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2005年05月31日
山火事
今治の方で山火事があったとは聞いていたが、まさか大三島、さらに卒論で調査した大山祇神社の辺りとは。。。
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大山祇神社の神体山とされる、鷲ヶ頭山が被害にあっているらしい。神社のすぐ裏手にまで火の手が迫っているとも聞く。社殿や民家にまで火の粉が及ばないことを願うのみだが、問題はそれだけでは済まないだろう。
宮浦や台(うてな)地区の集水域である山々(鷲ヶ頭山や安神山、小見山など)はほぼ花崗岩で構成されている。
瀬戸内海地域の場合、夏期の気象条件下では植生の失われた地表面は高温かつ乾燥し、花崗岩を母材とする表層土壌は、保水力が乏しいためこの影響を強くうける。実生などの発育が阻まれるから、ひとたび植生が失われるとその回復は困難である。
花崗岩は風化して粗粒土壌をつくり、しかも粘着力が乏しく、土壌浸食への耐性は弱い。植生の無い、特に根株まで除去されてしまうと、土砂の流出量は甚大となる。
おそらく地域の人々の脳裏には、土砂災害への危惧があるかと思われる。明治時代、「はげ山」
(「はげ山」が成立する条件には自然条件だけではなく、人為作用が大きく関わっているというのを立証したのは千葉徳爾であった。詳しくは千葉徳爾著1991『増補改訂 はげ山の研究』そしえて をご覧下さい)
と化していた鷲ヶ頭山などへの植林が成され始めたのは、明治38(1905)年の土砂災害によって、宮浦地区が甚大な被害を被ったのがきっかけであるという。
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この写真は大正時代の鷲ヶ頭山山麓の植林作業を写したものではないかという(写真は大三島町教育委員会に以前提供していただいた)。
このような状態の所に多量の降雨がもたらされると土砂災害を被ってしまう。
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(写真は大三島町教育委員会に提供していただいたもの。昭和初期の宮浦の新地だと思われる。)
その土砂の供給量がどのくらいすごいかと言えば
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(この写真も大三島町教育委員会に提供していただいたもの。大正時代の宮浦の新地だと思われる。)この写真、中央に橋が架かっているが、この橋の上を川(明治川)が流れているというくらいの天井川なのである。現在は河床を掘り下げて護岸工事などが施されているが。
山火事によって根株まで焼失してしまうかどうかは分からないが、地域の人々は去年のように台風が次々と上陸するような天気になったとしたら・・・・と不安に思っているかも知れない。煽るつもりは無いが、このような土地条件であるというのもまた事実であるから、行政の担当者を含めあちらの方々の心中はいかばかりかとも思う(若年の人たちはあまり危機感はないかもしれないけど。。。)。
ともあれ一刻も早い鎮火を望むよりほかはないが。。。
投稿者 daurade : 01:32 | コメント (3051)
2005年05月30日
続 歯痛
私は
3: ちっ!・・・・・ばれたか。。。
と思った。
・
・
・
ハタチくらいの時、虫歯とは違う妙な違和感を覚え、近所の歯医者に行った。
一通り歯をチェックしてもらったものの、異常は見受けられなかったが、念のためレントゲン写真を撮ることになった。
左の奥歯の部分的なレントゲン写真を見ながら、医師はうなっていた。
彼はレントゲン写真を私に見せると、こう告げた。
「新しい歯が生えてきてますね」
・・・
・・・・・・・・・
は?
私一応全部生え替ってると思いますよ?親不知ですか?
犬歯と臼歯の間からタケノコのように生えつつある、ニューカマー。
まったくもってウェルカムとは言い難い。
とりあえず、このまま様子を見て痛みが無くなれば、問題ないと言われた。ただ、痛みが止まらない場合は、手術して取り出すほかない、と。
多分もうハタチ過ぎているから、これ以上成長することはないでしょう、と笑顔で送り出され、一安心して家路に着いたのだったが。。。。
・
・
・
結局、その別の歯医者では顎全体のレントゲンを撮られた。
いやな予感がしてた。もうドキドキだった。
その写真を見てびつくり。
団体様がおいでだぁ~
以前指摘されたニューカマーがさらに成長していただけでなく、その下にはまるでふて寝しているかのように歯が横たわっている。そして逆側にも新たに・・・・
手術を薦められたが、弟が歯の手術をして○十万も費用が掛かった上に、失敗しても文句は言わない旨の誓約書を書かされていたのが脳裏をよぎり、とりあえずその場は保留ということにした。
さて、困ったぞ。というか、手術いやだ、と。
投稿者 daurade : 22:11 | コメント (0)
告知
今までのコンテンツであった、RUBBISH、ツーリング、STUDYはブログの方に移動しました。
それぞれ、徒然系、旅系、研究系に分類してあります。
投稿者 daurade : 00:26 | コメント (0)
2005年05月29日
焼酎
行きがかりで一昨日も徹夜。昨日のバイトがまじできつかった。。。
原因は焼酎ということが発覚した。
グラス2杯以上飲むと、血の巡りが良くなり過ぎてどうにも眠れなくなるらしい。
二日酔いにならないのがせめてもの救いだが。。。
せっかく家に戻ってきたのに徹夜とはこれ如何に。
今日の寝言(うなされ系) 「やはり満員電車には気を付けろ!」(私に体を密着させて立っていた酔っぱらったおっさんが、電車の振動に合わせて「うーん」とか「はぁ」とか「おぅ」とか言うんです。俺が男でよかったなぁ、おっさんよ。)
投稿者 daurade : 00:05 | コメント (0)
2005年05月28日
新宿高校・・・
今日は久々に高校時代の友人たちと飲んだ。
みんな(といっても私含めて4人だが)それぞれ変わりなく元気そうだったのでなによりだ。
基本は高校時代の思い出話だが、如何せん私は高校時代マニアックな生活をしていたから、ポンポン飛び交う名前についていけないが、それでも当時を彷彿とさせる話はたまにはいいもんだ。
当時仲の良かった連中とは今ほとんど連絡が取れない。というか、連絡先がわからん。とりあえず生きていればいいのだが、まあそれは相手にとっての私も同様かとも思う。
みんな昔の話をけっこう覚えてるもんだ。我が家の台風話を話題に振られるとはおもわんかった。確かに普通はあり得ない話だよな・・・。家傾いてた話とか。
飲み会ついでに新しい校舎も見に行ったのだが、噂通りえらい変わり様だった。昔の下駄校舎が懐かしい。あの綿埃まう校舎が。
高校の見学に行った時、当時の教頭に案内してもらったのだが、廊下に吹き荒れる綿埃に苦笑いしていたのを思い出す。まあ、こんな所ですが・・・みたいな。あれで高校決めたようなもんだ。実にユニークであった。
なんにせよみんなそれぞれの環境で頑張ってるのはなにより。私も試験を頑張らねば。試験落ちたら残念会をやろう!と言われた。正直その心遣いはありがたい。とにかく今できることをやるのみだ。
投稿者 daurade : 00:59 | コメント (0)
2005年05月26日
ね、ねむい。。。
トップページ一新しました。
朝日が目に染みる。。。
Techknow Weblogさんのおかげでなんとかなった~。ありがたいことです。
今から頭切り替えて、柳田の『先祖の話』に目を通して、仮眠して、10時までに大学へ。。。
くらくらする。
投稿者 daurade : 07:16 | コメント (0)
2005年05月22日
歯痛
こう忙しくなってくると蠢き出すヤツがいる。
そうなったヤツを見て、何人もの人たちが絶句した。
そんなあなたたちを見て、私に絶句させてくれとまず言いたい。
去年の夏、どうも虫歯ができたような痛みを覚えたので歯医者に行った。
とりあえず歯を診てもらったところ、別段虫歯は無いと言われた。
が・・・怪訝そうな顔の医師はレントゲンを撮ると言い出した。
私は
1: ??何で?虫歯はないんでしょーが。
2: 金か!余分な金をかけさせたいんか!
3: ちっ!・・・・・ばれたか。。。
と思った。(次回に続く)
投稿者 daurade : 23:04 | コメント (0)
2005年05月21日
新潟編
大学2年の5月くらいの事だったと思う。前日,「深夜特急」をビデオで見る→翌日出発。
「深夜特急」の中で大沢たかおがカワサキのKDXで黒海沿いを爆走するシーンがある(黒海でないかも。。。)。しかもノーヘルで,である。私の中で黒海と日本海が繋がった結果,翌朝ツーリングセットをセローに積み新潟に向けて出発したのであった。あんなんみせられたらねえ,しょうがねーって。行きたくなるもの。
自宅から環八経由で国道17号へ。あとはひたすら17号。とにかく17号。利根川を渡ろうが,だだっ広い関東平野にうんざりしようが,高崎観音を拝もうが,とにかく17号である。もっとも利根川を渡った時はちょいと感動したが。
前橋から三国峠に近づくにつれ,越後山脈の名残雪が眼前に迫ってくる。セローでの初めての泊まりがけツーリングである。それはもうテンション上がります。三国トンネルがなげーことなげーこと。トンネルを抜けるとそこは雪国だった。わーい,雪だあ!!きれいだなあ~
って!!雪?!ありえないありえない!今もう初夏ですぜ?普通にスキー客いるし。。。
まあ,道路に積もってないからよかったのだが。しかし,初新潟で雪ってのは実際へこんだ。おまけにスキー客の中に混じるとすごい浮いてるのにもへこむ。何が「深夜特急」だよ。。
ともあれ何とか六日町までたどり着くも,既に夕方。しかたなく野宿する場所を探し,魚野川の河川敷にテントを張った。野宿は慣れてるものの,初めて一人で,である。夜中に崖から何か獣だかがガサガサテントに向かって下りてきて,びびりまくった記憶がある。おまけに朝起きたら手袋片方なくなってるわ,天気は崩れて今にも雨が降りそうになるわ,ついでにもっとどでかい事件は起きるわ。とんでもねーツーリングだ。。。さすがに事件の話はできません。。。これ以前喋った時に聞いてた人は胸にしまっといてください。。。
もうねえ,日本海どーでもいーや。つーか雨じゃなくて雪降ってきたらどーすんだよ。こっちはタイヤが2個,一直線に並んでるだけなんだっつーの。
はい。撤収です。同じ道です,全く。。トータルで16時間程度。初ロングツーリングにして,初戦黒星の苦い経験であった。
投稿者 daurade : 23:43 | コメント (0)
盆堀林道編
林道と聞いてすぐああ,あんな感じののとこ走ってる物好きね。と思える人の方が少ないだろう。ごく一部のマニアと山登りする人ぐらいなものか。まあわかりやすく言えば,砂利道の峠道と思って頂いて差し支えなかろう。もしくは河川敷のモトクロスをイメージしてもらってもかまわない。
かくいう私も林道なんてもの大学入るまで知らなかったし。それがなぜ林道か。その話は他に譲るとして,とにかく林道なのである。中免を取ったのが98年の夏で,YAMAHAのセローを購入したのがその年の秋ぐらいだったと思う。まずバイクのカスタムを始めて本格的に乗り出したのが10月下旬くらいだったと思う。
話を戻す。さて全くの初心者の私は右も左もわからない。まず初心者レベルの林道探しからであった。ツーリングマップを調べても近場にほとんど林道はない。ようやく見つけたのが盆堀林道であった。装備はブーツ(スキーとかに使うようなもの。オフロード専用の靴である。)と軍手のみ,全くの我流,しかもぶっつけ本番であった。このブーツというのが結構高価でこれを購入するかでかなり悩み,林道ツーリングを敢行したのは12月も半ば過ぎていたと思う。
まあ,12月だからそれなりに寒い。軍手だけでは正直きつい。自宅を出て多摩川を渡り,川沿いの道を遡り川崎街道に出る。多摩ニュータウン通りに出たらそのまま道なりに進む。まあ大学への通学路でもある。基本的には通学≒ツーリングとも言う。そして野猿街道を北野へ,国道16号から20号を経て秋川街道を五日市までひた走る。途中の小峰峠(現在は旧道となっていてほとんど通行はないと思う)は急に1.5車線のワインディングロード。ここでまあ小手試しとばかりに調子に乗っていたら,ブラインドカーブの向こうから車!危なく木にぶつかりそうになる。。。
いかんいかん!!こんな所で羽目を外す訳にはいかん。。。バイクは自制心と技術のバランスである。
この小峰峠の峠部分はトンネルになっているのだが,このトンネル明かりすらない。もちろん私1人。一瞬ひるんだが,まあ昼間だし,ここを越えねば目的地には辿りつけないこともあって,かなりのスピードで通過したのだった。このトンネル,後に知るところとなるのだが,曰く付きの場所であるらしい。とは言ってもたかが100mくらいのトンネルであるから,通過には時間はかからない。
トンネルを越えると秋川の上流部,五日市の駅もすぐである。秋川にかかる橋を渡りながら,眼下に広がる河原を眺めていたのだが,どこか見覚えがある。そういえばこの河原,確か中学の頃飯ごう炊さんで来たことがあったなあ。。。その時の写真が脳裏に浮かんだのであるが,なぜか浮かんだのは私の写真ではなく,友人のK-crの姿である。あの頃は彼も非常にスマートだったのだ。。。当時は何気に男前でもある。
話が逸れた。五日市から檜原村への道を少し走り,脇道を入る。盆堀林道の入り口の看板を過ぎるとすぐにダート(砂利道)である。この部分はまだ谷底であるのでフラット。ややぬかるんでいたものの走りやすい。
さすがに初ダートである。時速30km出すとさすがに直線でも怖い。カーブなどは徐行である。しかしこのダート300mも続かず舗装路に。こんなものか。。。と思いながらも走り続ける。しかし,周りの雰囲気は非常にいい。都心部から2時間たらずでこんなにも深山の雰囲気を味わえるとは!!季節は冬であったが植生はほとんど杉であったのがこの雰囲気を醸し出しているのであろう。
まあ,この雰囲気だけでもいいか。と思いながらも道は徐々に峠に向かい谷底から登っていく。するとまた道はダートに。そう,ついに盆堀がその本来の姿を現し始めたのだ。
断続的に舗装路とダートが入り交じる。基本的に直線はダート,カーブは舗装路だった。そのカーブの舗装路の1ヶ所で私はスタックして止まったのだが,実はこれ,非常に運が良かったのだ。そのカーブの部分,湧き水が出ており,なんとそこが凍っていたのである。さすがにベタ足をついて通過するも,滑る滑る!もしスタックしなかったら,岩肌に叩きつけられていただろう。。。しかし,不思議と恐怖心はない。
なぜか。それはアドレナリンドッパドパ状態だからである。
ヒルクライムのダートは基本的に怖くはない。重心を前に持っていき,フロントが上がらないようにしてやれば,普通のダートは怖くはない。もっとも勾配と路面状況によるが。盆堀はガリー(雨水などの流水によって地表面が浸食されたもの。小規模の涸れ谷である)が路面にあるものの,路面状態は悪くない。
まあしかしこの時の感情は筆舌に尽くしがたいものがあった。未だかつてこんな興奮を味わったことはない。カブの時など比較にならない。この路面の凹凸を前輪が捉える感触。後輪が路面を蹴り出す感触。それらが一連の感覚となり,体全体をつたって脳内に奔流となって躍り込んでくるのである。恐怖心などない。あるのは私とバイクと地面のみ。完全にそれらと対話している己だけが存在しているのだ。峠に向かい急速に勾配がきつくなるも,私にとっては乗り越えるべきセクションの1つでしかない。眼下の景色もそれにつれて開けてくるのだが,そんなものも関係ないのだ。走ることこそ全てであり,それ以外に意味があるのだろうか?とも思えてくる。
何時しか私は咆吼していた。それ以外にこの感情を適切に処理できない。と言うよりもそれはもうすでに起こっていたことであり,理由などは後付でしかない。
峠まではあっという間であった。ダートは距離にして1kmあったかなかったか。しかしこれほど充実した時間を過ごしたことがあったろうか。改めて登ってきた道を振り返る。自動車がすれ違うこともできない細い道。ガードレールもない路肩の下は杉などが覆う急勾配な斜面。この時になってさすがにゾクッとしたが,それも一瞬である。そして一服し終えると,私は峠の向こう側を下りていった。
ダウンヒルは前輪のブレーキパッドとタイヤのグリップ力に文字通り命がかかる。クライムと違いアクセルを緩めてもバイクは止まらない。しかも後輪のブレーキは使い物にはならないのである(私のセローはドラム式なのだ)。先ほどのテンションは急速になくなり,カーブごとに恐怖心が全身を貫く。この果てしないような繰り返しが1kmほどつづき,舗装路になった。舗装路になった途端に強気になるのは安心感と走破からくる自信からである。舗装路の走り易さは感動的である。その後は何事もなく高尾から町田街道を経て,帰路についたのであった。
残念なことに盆堀林道は舗装化が進行しており,ダート部は峠の一部のみである。しかし,初めての方にはちょうどいいかもしれない。
走行距離約80km。時間にして5,6時間くらいのミッションであった。
投稿者 daurade : 23:18 | コメント (0)
初ツーリング
初めてのツーリングは高校2年の夏休みだったと思う。行き先は特に決めていた覚えはない。とにかく遠出がしたかった。親には2,3日帰らないと宣言し,愛車のホンダスーパーカブ50にテントとシュラフなんかを積んで,颯爽と家を出たのであった。
何故か自然と足は,相模湖に向かっていた。国道20号を相模湖までひたすら走り,相模湖に着いたはいいが,真夏にも関わらず鳥肌が立つくらいの寒さ。自分としては十分に準備をしたつもりであったが,なんせ経験が全くといっていいほど無い。だから当然防寒具はカッパくらいしかない。カッパでもないよりましなのだが。Tシャツにカッパでは焼け石に水としか思えないほど寒かった記憶がある。
相模湖の先は,そのまま20号を甲府まで行き,長野まで行こうと意気込んでいたのだが,行く手には分厚い積乱雲が立ちはだかっていた。
んー。。。まあ,あれだ。今は夏だし,やっぱ海だな。
行き先変更。相模湖から国道412号に移行し,ひたすら南下。とにかく寒くて景色を楽しむ余裕すらない。厚木を過ぎて,国道129号を相模湾目指して爆走している途中で,豚を移送しているトラックに遭遇。半ヘルだったこともあり,その臭いにカルチャーショックめいたものを感じた。バイクの弱点をまた学んだ瞬間であった。
さすがに海!季節は夏である。さっきまでの寒さは一体なんだったのか,と思うほど暖かい。。。いや,暑い。。。カッパ邪魔。。。そんなうちに江の島が過ぎ,鎌倉,葉山と国道134号をひた走る。夏の湘南にミスマッチな男は走りながら考える。
今なら黙って鎌倉の親戚の家にころがりこめる。しかし,確実に親にばれる。。。啖呵切ったのは今朝だし。。。
私は公衆電話の前で止まり,あるところに電話をかけた。相手は江戸川の小岩に住む高校の友人Y。なんとか頼み込んで,2,3日泊めてもらうことに成功した。
それから,私は三崎で昼寝をし,国道16,1号と爆走し小岩のY家に転がり込んだのであった。そして3日後に何食わぬ顔で帰宅した。
これが,一番最初のツーリングだった。走行距離およそ200㎞。時間にして10時間ほどだったと思う。
投稿者 daurade : 23:04 | コメント (0)
もう色々あったよ富士山編
確かSMと富士山に行ったのは伊豆に行った後,夏休み前くらいの時期だった。多分梅雨の頃だったと思う。なんでAtが居なかったのかは覚えてないが,多分装備の不備が理由だったろう。
・・・何故って?それはもう言うまい。
この頃はまだまだ駆け出しの我々。梅雨だろーとなんだろーと走りたくてしょうがない。とはいえ大体めぼしいところは走破してしまった感のあった私は,遂に聖地富士走破をSMに打診したのだった。
マップの情報によれば,大弛と同レベルらしいのだが,地理学科ならではの情報から相当ガレているのではないかという見解が得られた。
それもスコリアの礫がゴロゴロしているとなれば,もはや装備を固めなくては走破は不可能。というわけでAtには言わずに出発することになった。
どういうルートだったか失念したが,おそらく国道413号で向かったと思う。山中湖に抜けて,国道138号を河口湖へ。富士スバルラインを少し過ぎた辺り,船津登山口を南へ。
というか,アバウトに南へ。んー。ここでの間違いがそもそもの失敗の始まりだったのかもしれない。
目指すは富士林道だったのだが,どう走っても目的地に辿り着かない。完全にロスト。無論私が先頭を走っていたのだが,迷っているというそぶりも見せず,舗装路が果てるまで突き進む。
辿り着いたのが「天神山スキー場」。
もうねえ,地図見てたのに全く見当違いの所に出たわけですよ。そんで申し訳なさそうに振り返ると奴がいるわけです。
「ごめんね!迷った!」(あくまでも爽やかに。さりげなく好感度アップのつもりで)
いつもなら,毒のひとつやふたつ吐くSMだが,この時は普通に地図を眺め,現在地をフォローしてくれた。どうやら我々は鳴沢林道とやらの入り口にいるらしい。
とりあえず鳴沢林道行きますわな。ここから先,どこをどういうルートで河口湖まで下山したのか不明であるが,恐らく富士山の北西斜面を周回していたと思われる。
私の地図には鳴沢,富士,東軒林道は「フラットで走りやすい区間と岩盤が露出した区間の半々」とあるが,感想としては
激ガレ
特に鳴沢林道から天神峠を越えて片蓋山,幸助山の区間は冷や汗ものであった。おそらく,本線を外したためと思うが,おかげで雨の中,鋭利な軽石で埋め尽くされた人ひとり通れるくらいの道なんかも走破した。
もうねえ,転けたらザクロですよ。まじで。そしてそれよりも
青木ヶ原樹海の直近の林道で支線に入っちゃダメダヨ~。僕たち迷子になっちゃうヨ?
ってことです。色んな意味で走破できて幸せ。
そして富士林道に入り,富士山西側斜面を今度は北上し始めたんですが,また事件です。
いのしし出たの。
まあ正確にはうりぼうのケツが藪の中に消えていく瞬間を私が目撃したんですが,子いのししがいれば当然親もいると思われ。。。
ニアミスにほっとしたのは言うまでもない。いのししに
ド~~ン!
ってされても林道じゃ対応できませんよ私たち。とはいえ,それを除けば殆どがフラットな道で,何となく下山。
でとりあえず時間もあるし,走り足りねえってことで(あの天気でよくそこまで思ったもんだ。。。)精進湖から国道358号で甲府方面へ。途中の峠越え(右左口トンネル)で旧道の林道を走破。
これもまた荒れたダートで,正直帰りたくなった弱い心は胸に秘めて,何とか走破。走り終えるとまた林道走りたくなるからバカである。
境川村役場を経て,県道308号でまたまた富士五湖方面へ。無論これもダートの峠越えである。これはほとんど舗装路で歯ごたえがなかったので,県道36号を経て国道137号へ。目指すは御坂峠旧道からアプローチする西川新倉林道,日滝林道である。ここまで来るとビョーキですな。
御坂峠の茶屋を過ぎ,林道を少し行くと,前方に人影が。おっさんが犬の散歩をしとる。
よく見るとリードつけてねえや。まあ,人も通らないからかなあと思ってたら,なんか犬がダッシュして来るじゃないすっか。
・・・・・いやいや。
犬,勢い止まらず。何か牙剥いてる。俺まっしぐらである。
!!何??俺ロックオン??
すれ違いざまに噛みつかれそうになった私は,辛くもこれをかわした。SMもかわしたのをミラー越しに確認して,一息つこうとした。
しかしである。ミラーには狂ったワンコが,白い悪魔が猛然とSMを追い越して私を追いかけてくるのである。そしてその後ろに悠然とSMが走る。
これは新しいゲームですか?それとも試練ですか?ダウンヒルのスペシャリストになれと?
などと考えているうちにみるみる差が縮まる。そりゃ死ぬ気でアクセル回しますわな。呆気にとられたおっさんを後目にワンコとのチェイスは続く。追われる方が心理的には辛いということを骨身にしみて実感した瞬間であった。
気付けばミラーにはSMだけが映っており,ほっとした私はバイクを停めた。SMは爆笑していると思いきや,意外と冷静なのが腹立たしい。私がとてつもない犬だったなと聞くと,SMは
なにあんなちっさい犬とじゃれてんの?
だって。
いやいやいや。明らかに殺意がありましたよ!あれは。野性の血でしたよ!
そして敢えて言おう,
でかい犬だった
と。
その後は何事もなく下山し,往きと同じ道で帰路に着いたのであった。犬恐るべし。ルートマップはこちら。
投稿者 daurade : 22:56 | コメント (0)
伊豆林道探索編2 00年GW
本編はAtの投稿を元に,管理人が加筆・訂正をしたものである。無論,転載許可済み。本文はなるべくAtの記述をトレースし,私の加筆は()内の記述である。
翌日,寝起きで大鍋林道突破。なんともあっけない・・・。(事はない。前日の雨で露岩が滑り,なかなか走りごたえがあった。というのも,私だけ荷物多いから。。。キャンプ道具やら炊飯道具,食材などなど,全て私が後ろに積んでたから。。。)
眠気ざましにR414で下田へ。天気は多少良くなる。しかし,のんびりしていられない。我々はこの日,大学の助手であったIzaさんと先輩であるBBさん,TktさんそしてMgちゃんとBBQの約束をしていたのだ。待ち合わせ場所は伊東駅前。
ひたすら,下田からR135を北上。途中の伊豆高原で寒さにより萎えるが無事伊東に到着。車組(助手&先輩陣)と合流した我々は,BBQの場所探し・・・。
(時間にして8時くらいだったか。時間的にまだ早いということで,とりあえずBBQの前に温泉に入ろうということになった。伊東で探すも,公衆浴場もやっておらず,仕方なく熱川まで移動することになった。
熱川の海岸沿いの温泉に入る。露天風呂で景色を楽しみつつ,疲れを癒す。
風呂から上がり,さて飯でも・・・という事になり,我々は場所を探すことになった。場所を探しつつ,スーパーも物色。BBQの食材は現地調達に限る。やはり場所柄魚介類を食べようということになり,とあるスーパーでイカなどを購入し,適当な砂浜をを発見。ようやくBBQにありつく。
やはり特筆すべきは,魚介類。皆無言でほおばる。特にイカの肝は絶品であった。日本酒を飲めないのが痛い・・・。)
飯後に温泉でも入ろうということになり,いざ修善寺へ!!ということになった。Ikが知っていた最近出来た総檜風呂へ!
(何故修善寺になったかというと,私の母の友人が修善寺に住んでおり,そこからの情報によって,この温泉の存在が知れたのである。そこで私が強烈に修善寺をプッシュしたのだ。距離的にかなりあったものの県道を走り繋ぎ,修善寺に着いたのは15時くらいだった。ちなみに温泉名は「筥湯(はこゆ)」」という。)
素晴らしく気持ち良かったのを覚えている。あの温泉は俺ん中で3本の指にはいる。
(そうなんです!当時はまだ完成したてで,そんでもって内湯だけなんだけど,その浴室中に檜のいい香りが立ちこめて,それはもうなんともいえない清々しさだった。皆さんも満足げだったので,私も一安心だったのだが・・・。
Izaさん,波動砲発射す。とりあえず下図を。

下手な絵ですが,説明しますと,このように足を延ばし,つま先を立て,両手でスカーリングして浮上するわけです。ヤマトに見立てるそうです,足を。これはなんとも難易度が高く,私には到底まねできるものではなかった。てかすいません,ヤマト世代じゃないんです。
とまあ,こんな感じで充実した温泉だった訳で,参加者全員満ち足りた気分で帰路についたのであった。Atは)
帰りはどこをどう帰ったか記憶がない。車組とどこで別れたのかも不明である。我々3人が流れ解散したのだけは覚えている。
(というので若干補足。帰りは車組は高速で,我々は下道で帰った。一応大井松田の出口付近で待ち合わせということだったが,多分高速は渋滞していて,下道の方が混んでいないと踏み,どちらが早く着くか競争することになったのだ。
結果は我々が僅差で負けたものの,なかなかの走りをみせることができたと思われる。合流後食事をして,私はR246で,他のメンツはR129ということで流れ解散となった。)
投稿者 daurade : 22:48 | コメント (0)
伊豆林道探索編 00年GW
本編はAtの投稿を元に,管理人が加筆・訂正をしたものである。無論,転載許可済み。本文はなるべくAtの記述をトレースし,私の加筆は()内の記述である。
伊豆に行ったのは琵琶湖に行った翌年,GWころだったと思う。泊まりのツーリングは,確か2回目で,連休を利用して林道を走ろう!!!と話が持ち上がったのだった。
(Atはツーリングメインの記憶しかないかもしれないが,実は琵琶湖から引張っているものが,この件のきっかけなのである。
BBQ食いそびれた人たちがいます。アポ3人です。
それを哀れに思ってくれた人が,せっかくだからBBQやろうぜ!ということになったのだ。ただ,ぶっちゃけ私は乗り気ではなかったのだ。その理由はおいおい明らかになろう。)
春先の山は5月でも寒いが,バイクに乗れる時期が来たので,皆うずうずしていたのだろう。目的地は,雑誌で見て惚れた長九郎林道&萩ノ入林道,大鍋林道である。面子はIk(管理人),SM,Atの琵琶湖組。(それとBBQを企画してくれた,大学の助手Izaさん,先輩のTktさん,BBさんそれとMgちゃんであった。)
我々は先発隊として前日に伊豆入りし林道を走り,翌日彼ら車組と合流する予定だった。
しょっぱなの長期ツーリングが琵琶湖だったため,多少のきつさに耐えられる精神力がその時点でついていた。琵琶湖(伝説)みたいなツーリングは,後にも先にもないのだが・・・。
(嘘です。あります。私だけでなく,Atだって青森の巡検行ったときにセロー壊して帰ってきたのに・・・。本題に戻ろう。)
ツーリング当日の天気は曇りだったと思う。伊豆に入ると,残念なことに小雨がぱらつきだしたと思う。出発時刻がいつだったか定かではない。Ikが大学まで来たのか,それとも国道246のどこかで合流したのか。
まてよ?R246の愛甲石田の駅前にあるコンビニで待ち合わせたんだっけ??(はっきりいって,私も覚えてません。ただコンビニはSMが居た記憶がないので,多分大学に集合して,そして誰かが遅刻したんじゃないか?)
合流した俺たちは,R246から沼津に出て,国道414号経由で国道136号に入った。そして,出発から休憩をとっていなかったので,コンビニに寄ろうということになった。そこで事件は起こる。走行の順番はIk,At,SM。右手にコンビニが見えてきたので・・・
(まだそのネタは早すぎる!その前にR246・御殿場付近で発生した事件に関して少し。
確かこの時,先頭はAtが走っていた。私とSMがそれに続く。
と思ったら,At急加速!
何事??
At,ぐいぐい加速。遙か彼方に消え去る。
と思ったら減速し,急速に我々との距離が詰まる。
・・・そんなんの繰り返しだった訳で。コンビニで聞いてみると
At:いやー,バックミラーでさ,おまいらが豆粒みたく小さくなったりすんのがおもろくて・・・
だって。さて件のコンビニに目を戻そう。。。)
我々は,沼津駅に向かってR414を東海道線の線路沿いに走っていた。2番手の私(At)は右ウインカーを出し,コンビニに入ろうとした。その時点で先頭のIkはもうコンビニに入っていてもおかしくない。だが、Ikはよそ見していたのか急激に右折したかと思うと
縁石に「バコォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」・・・・・・・はまった・・・・。
俺(At)とSMはコンビニの駐車場で笑っていた。しかし,なかなか抜けないので手伝い,どうにか休憩をとったのであった。
その時の会話。
俺(At):「・・・・・どうしたの?」
Ik(私):「え・・・信号が・・・」
SM:「・・・・・ニコニコ」(というよりニヤニヤ・・・・)
俺:「信号???」
Ik:「信号が点滅してて見とれてた・・・。」
俺&Sm:「・・・・・・・・・・・・苦笑」
確かに一直線の道路に信号が5,6個黄色点滅だったが・・・。まぁ、怪我もなく、セローも無事で旅は続く・・・・。
(説明しよう。その道路は直線が1Kmくらい続き,非常に見通しがよかった。その道路にいくつも連なる信号は,ほとんど全て黄色の点滅で,それがずーっと一直線に続いてる訳です。
ええ,確かに見とれましたよ。いや,見とれるって,実際。
そしたら,コンビニが急に現れて(ような気がしたのね),右折だ・・・って思ったら,対向車来てて,慌てて駐車場に入ったと。
いや,入れなかったと。
あの高さのある縁石に思いっきり乗ったよ,こんな感じで。

まじでタイヤ交換出来そうだった。タイヤ交換は耳落としが重要なんです,斬り。切腹。)
休憩後,修善寺手前でR136からR414に移り伊豆を南下。この辺りから小雨がちらつき始める。ちょうど昼飯の時間になりかけていたので,お決まりの道の駅(天城越え)でお決まりのインスタントラーメンを駐車場の片隅で作り,食らった。バスの団体客に変な目で見られながら・・・・。
その後,天城トンネル(旧道)をくぐり,いよいよ林道へ!!!
まずは荻ノ入林道,フラットで走りやすい林道。雨のため滑りやすい露岩に最高レベルの注意を払う。例によって俺(At)だけサンダルみたいな靴なので・・・。
次に長九郎林道,結構ぼこぼこしていておもしろい!!!テンショングぐんぐん上昇!!!(確か砂利が多くて,私は転けそうになった。。。思いっきりけつを左右に2,3度振らせるも,天才的なバランスで持ち直す。さっきのミス帳消し。)
難なく(私以外はね)走り終え,寝床を探す。すると長九郎と大鍋の合流点にやや広い平坦地発見!!!まだ,午後3時頃だったが早めにテントを張る。我々もバカではない。ちゃんと琵琶湖で学習してるのだ。
テントを張り一息ついていると,遠くから排気音が・・・。えーーーBMWの軍団です。我々ぽかーーーん。
大型で来るとは・・・やるなと思いつつ飯の支度。ご飯,味噌汁,サンマの缶詰を流しこむ。疲れたので早々就寝とおもいきや,遠くで野良犬らしき遠吠えが・・・だんだん近づいてくるではないですか!!!!と考えているうちに熟睡。
(すぐ寝付けたのは私以外だろう。Atは覚えてないらしいが,昼食の前に1本林道トライしてるんです。
丸山林道。
しかし,結局道に迷い断念。
結果的にはよかったと今でも思っている。実は,あまり伊豆行き乗り気でなかったのは,それ以前にみたTV番組の影響なのである。「アンビリバボー」のとある放送で,伊豆の林道で幽霊をビデオに撮ったのを公開していたのだ。コーナーミラーの所に半透明の着物を着た女性が立っているのを。
思うにその林道は丸山林道の可能性が高いのではないか。わからないけど。ただ,長九郎にもミラーあったんでね。林道内で野宿はあまりいい気分ではなかった。)
投稿者 daurade : 22:32 | コメント (0)
琵琶湖修行編4
正直申しまして,寒くて眠れませんでした。
テントの中で身を寄せ合う我々3人。もうむさいとか関係ないです。だって寒いんですもの。どれだけ夜明けが,日の光が待ち遠しかったことか。
7時ごろ起き出すも,マジで寒い。氷点下ありえない。
見ればテントのフライシートが真っ白になっている。とりあえず,あったかいものが飲みたい。私は湯を沸かし,コーンポタージュを飲みながら,朝食の準備を始めた。
今日の目的地はない。もう帰宅するからである。
体力の限界。。。
朝食を済ませ,宿の人に礼を言い,われわれは出発した。帰宅するということもあって大分気が楽だ。そこで,今日は先頭を交替で走ることになった。
県道17号を韮崎まで走る。韮崎から国道20号へ,甲府の中心地に差し掛かったところで国道411号に入った。笹子トンネル飽きたんですもの。たまには青梅の方に抜けるのもいいかなと。ただ理由はそれだけではない。
この日,大学の友人たちが奥多摩でバーベキューをするといっていたのを私は忘れてはいなかった。というかわれわれも誘われていたのだが,敢えて断ってこの旅に出たのだ。
でもね,毎食カーボンばっかりじゃあ飽きますよ。肉食いたくなりますよ。
そんなわけであわよくばバーベキューを強襲し,肉だけかっくらう計画を立てたのだ。
R411に出て,笛吹川を渡った辺りで先頭を交替した。確かAtだった。しばらくそのまま進んだのだが,私はあることに気付いた。At,ウィンカー点きっぱなし。直線道路を黄色のを点滅させながら爆走中。バックミラーを見るとSMも気付いている様子。面白いから気付くまで放置することにした。
結局Atは塩山を過ぎるまで気付かなかった。休憩したときにその事を言ってやったら,「疲れてんだよ」だって。
嘘付け。立ち乗りしてノリノリだったくせに。。。
その後は何事もなく,優雅に柳沢峠を越え奥多摩湖へ。ここまでくればバーベキュー会場は目と鼻の先である。彼らは奥多摩駅から歩いて行くと言っていた。とりあえず奥多摩駅まで行かねば。
奥多摩駅近くのコンビニにたどり着くと,既に昼を過ぎていた。早速友人の携帯に電話を掛ける。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つ,つながらね。圏外って。J-PH○NEつかえねえ!
最悪なことに友人達はほとんどJ-PH○NE。これじゃあ,くわしい場所がわからねえ。。。At速攻あきらめておでん食ってる。はや!
SMもパン食ってる。
私は・・・・カレーヌードル食いました。2人は絶句してたけど。
どれだけラーメン食うねん!って話ですが,カレーは別格だもの。
結局そのまま帰宅。後日友人に聞いたところ,彼らは件のコンビニから少し脇に入った河原でやっていたらしい。・・・・・とりあえず狼煙でもあげてくれとは言っておきましたが。
走行距離約180km。こうして怒濤のツーリングは無事に幕を閉じたのだった。多分1万も使ってないはず。
投稿者 daurade : 22:28 | コメント (0)
琵琶湖修行編3
相変わらず寒い。寒くてあまり眠れない。日が昇るのを待ち起床。一回テントの外に出るも,寒くてまたシュラフへ。全員が起きたのは7時ころだった。
明るくなって初めて辺りの様子が分かった。多分テントを設営していい場所ではない。。。空気は澄んで気持ちいいものの,やはり寒い。とりあえず,いつものメニューを作ろう。
朝飯食って,今日の目的地を話し合う。というか昨晩からほぼ決定していたのだが。
目的地は諏訪のレッドバロン。SMのレイドの調子がいまいちよろしくない。昨日このキャンプ場に着くなり,オイルが漏れてるとの申告あり。とりあえず私が持ってきていたエンジンオイルを継ぎ足そうとするも,機械締めのナットが弛まず断念。そのまましまうのもなんだから,私とAtのセローに補充。
ええ,なんの解決にもなってません。
という訳で,急遽最寄りのレッドバロンに向かうことになったのだ。(SMはレッドバロンでレイドを購入した。バイク版のオートバッグスみたいなもんである。ちょっと違うけど。ちなみにレイドのオイル漏れは持病らしい)
撤収の準備をしていると管理人のおっちゃんが軽トラで参上。
・・・・・・・怒られる??
あ。こっちくる。微妙な表情してる。。。
おっちゃんとしばし雑談。てか,どしどしキャンプしてくれって。東京からくる人も珍しいとか。気さくな人だ。鈴鹿のおやじとは,えれー違いだ。
荷物を積み込み,県道8号,大平街道で飯田に向かう。確か途中には,廃村になった集落を通り過ぎたはずだ。その日は日曜で,朝っぱらから観光客が写真を撮りに来ていた。多分,夜知らずにここを通っていたら,びびりまくっていただろう。。。
なんでもこの大平という集落は,中山道の脇街道で栄えたものの,高度成長期に集団移住し,廃村したとのこと。現在は街並み保全され,当時の家屋で宿泊も可能らしい。まあ,当時のわれわれにはそんなこと関係なかったですけど。
飯田峠を越え,飯田の中心部に下山し,そのまま天竜川を渡り,県道251号へ。また山である。ここからが長かった。。。ずっと山道ですから。。。
矢筈湖から国道152号へ入り,そのまま矢筈トンネルへ。全長4kmほどのトンネルを抜け,林道に入り地蔵峠へ。峠を越え,青木川沿いに国道を北上し大鹿に抜け,国道と県道22との分岐に。このまま国道を走れればよかったのだが,その先の分杭峠で「地滑りのため通行止め」との看板を発見。仕方無しに県道22,59,210,49号と西側から回り込むように迂回しつつ,国道152に復帰した。
もう延々山道である。はっきり申しまして,海の方がよかったと。朝からずっと山道でうんざりであった。そりゃ,集中力も切れてきます。そんな時に事件は起きる。そう,現場で。
R152に入りブラインドカーブが続くタイトな下り坂を走っていた。私が先頭で,At,SMと続いていたと思う。いくつめかのカーブを曲がろうとした時,急に車が!
いや,まじで対向車なんかこねーだろと思って油断してたもんだから,あわや正面衝突のところであった。あの時車の助手席に乗っていたおばちゃんの顔が,今でも目に浮かぶ。ほんの一瞬のことであったが,ぎりぎりのところで車をかわし,そのまま私は走り去った。さすがにこの時ばかりは,後続の事は頭になかった。少し走って後方からクラクションが。
最初は車のかと思ったが,どうもセローのような気がする。路肩にバイクを寄せ,後続を待つも,来る気配はない。路肩の左側はガードレールがあるものの断崖絶壁。
来ない。。。不安がよぎる。
Uターンして現場に戻ると,SMとレイドがガードレールの脇に倒れている。Atがレイドを起こそうと手伝っている。
あわてて私も駆け寄り,SMを助け上げ,レイドを起こすのを手伝った。SMは右足を引きずっているものの,笑顔である。笑顔と言うよりも興奮して上気していた。
私が車をかわした後,Atもなんとかかわしたらしいが,SMはかわしたものの曲がりきれず,ガードレールの砂利にタイヤを滑らせ転倒したとのこと。幸い,厚着していたのとサイドバッグがクッションになり大事に至らなかった。サイドバッグ溶けたけどね。でもガードレールがなければ死んでたかも。。。ガードレールさまさまである。
スピードは出ていなかったものの,右の膝を痛打したらしく,ひざー,膝いてえと連呼していた。そこで,地図を広げた私は一計を案じた。打ち身には湯治だ!と。幸い途中の高遠には温泉がある。SMも足は動くから大丈夫だと言うので,先を急ぐこととなった。
とはいうものの腹が減っては戦はできぬ。そろそろ昼飯を食いたい。ちょうどこの先国道沿いに道の駅があるらしいので,そこで昼食をということになった。事故現場から10km程北,美和湖のほとりにそれはあった。着くなり,水場確保。てかトイレの洗面所ですが。そしてラーメン。不健康極まる。
芝生で昼食。しかしである。この道の駅で,このような暴挙に出てしまったのを我々は食事をしながら後悔した。観光客の視線が痛い。全くもって場違いなことこの上ないが,やむを得ない。背に腹は代えられぬ。
無事昼食を済ませた我々は一路高遠に向かった。高遠ではおじゃる丸のでかい看板がお出迎え。そして温泉へ。SM,困惑した表情を浮かべる。
曰く「血流がよくなって,余計痛い」
一理ある。。ま,まあ湯治だからいいんだよ。多分。
そんなこんなで湯船に浸かりながら,おじゃる丸の話に華を咲かせたわれわれ(私とSMだけだが)は,諏訪のレッドバロンに向かったのだった。
R152をさらに北上し,杖突峠を越えるともう日は暮れようとしていた。早くレッドバロンに行かねば!SMに聞いたところ,肝心の住所がわからんらしい。
・・・・な,なんと。この上さらに試練が?しかも地方のバイク屋なんざ,日が暮れたら店閉めるに違いない。まじで時間がない?
ここからが私の出番である。大型チェーン店だからおそらく国道沿いにあるに違いない。多分国道20号沿いだろう。しかしどっちだ?茅野より諏訪よりか?それとも逆か?
・・・・・私は諏訪よりに賭けた。さらにこの時間帯だとR20は混むと踏んで,裏道を通って諏訪方面に向かった。野性の勘の赴くまま,R20に出ると,なんとレッドバロンの真ん前だったのだ。しかも閉店ぎりぎり!
慌てて店内に飛び込み,なんとか処理してもらったのだった。ほっとした表情のSMが戻ってくると,今度はどこにテントを張るかの相談が始まった。というより,温泉に入りたいという気持ちの方がでかかった。
こうなりゃ温泉はしごしなきゃ気がすまねえ。昨日は入ってねえし,湯治しなきゃだし。というわけで目的地は八ヶ岳山麓の原村にある「もみの湯」に決定した。
ん?テント?そんなもんどうとでもなる。
茅野から県道188,17と走り,もみの湯を探す。迷いながらもなんとか辿り着くと
現在改装中
!!なんとな??ここまできて・・・。呆然と立ち尽くす私を後目に,2人は隣の建物へ。
??何してんの?あのこら?
2人に追いついて聞いたところ,隣で入れるっていうじゃないすか。???
2人:ちゃんと看板読め!
現在改装中 ですがご利用されるお客様は隣の樅の木荘にてご入浴できます
あ。はい。じゃあ隣へ。
隣の「樅の木荘」のロビーで宿の人に確認したところ,確かに入れるらしい。
宿の人:内湯ですがいいですか?泊まりのお客様と一緒になりますが?
私 :はい(入れればなんでもいいざんす!)
宿の人:今空いてると思いますよ?どうぞ,奥になります。
私 :あの・・・。ここら辺に公園とかありますか?
宿の人:???いやー,この辺は別荘地ですから無いですよ?なにか?
私 :実は・・・野宿する場所探してるんです。
背後からは2人の熱い視線が送られてくる。
宿の人:・・・・。ならうちの駐車場使っていいですよ。裏の方なら芝生だし。水も使って大丈夫です。
ああ!!菩薩に見える!!この人いい人だ!
こうしてわれわれはバイクを裏にまわし,テントを設営してから,温泉に入ったのだった。浴場には誰もおらず貸し切り状態。存分に温泉を満喫し,挙句私は泳いだ。
風呂から上がり外に出ようとしたとき,宿の人からありがたいお言葉が。
今夜は氷点下いくらしいですよ。
・・・・明日起きれますように。。。走行距離約140km。
投稿者 daurade : 22:12 | コメント (0)
琵琶湖修行編2
何時に起きたか覚えていないが,確か寒くて目が覚めた記憶がある。どんより曇った朝だ。遠くから波音が聞こえる。。。
む?いや。寝惚けてる。。。
しかし確かに聞こえる。他の2人も起き出してきた。寒くてあまり眠れなかったようだ。
駐車場でぼーっと立ち尽くしていると,Atがおもむろに湖の方へ歩き出した。てかなんか体を左右に振りながらぴょんぴょんはねちょる。。。
デンプシーロール??
いや,そんなことはどうでもいい。
湖岸からAtがおいでおいでしている。仕方無しに我々はそこに向かった。湖岸に波が打ち寄せている。波音はこれだったのだ。結構驚きだったはずだが,寝惚けの私にとってどうでもよかった。
Atは石投げていた。腕組みして見ていたSMも,不敵な笑みを浮かべて石投げし始めた。
うお。。なんか寝起きで。。。てか2人ともナチュラルにうまい。。。
・・・・・・・・・・・・・・・・ふ,ふふん。薄っぺらい石なんぞ跳ねさせおって!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私はおもむろにデカイ石を手にし,おもっきしぶんなげた。まあ,飛距離は言うまい。そしてそのまま第一回遠投大会へと。
こうして無意味に肩を痛めた我々は,朝食の準備に取りかかったのだった。。。
朝食は確かインスタントラーメンだった。それをとっとと平らげて,手早く荷物をまとめ,日本海に向けて出発した。
何故に日本海を選んだのか。当時私は大学のF先生の所でバイトをしていた。先生が採取してきた堆積物を試料に加工し,カーボンを測定したり,X線分析をしたりしていた。まあ,条件がよかったんで。
たまたま最初の飲み会で私とAtが先生の隣に座り,スカウトされたのだった。そのサンプルの中に三方五湖の堆積物があった。
そんな訳で三方五湖である。今更ながら2人ともごめんねえ。嫌そうだったもんなあ。
さてこの日どういうルートを取ったかはっきりいって断片的にしか覚えていない。。。多分琵琶湖の北側を反時計回りに周回し,国道303,27号で湖に向かったと思われる。
空模様は相変わらずだった。どんよりと雲が広がり,時折冷たい雨がぱらつく。
鬱だ。。。
湖への分岐辺りで私は路肩にバイクを停めた。
私:・・・・
2人:・・・
振り向きざまに目があった。
・・・・ですね。ルート変えよう。こんな天気で湖と日本海見てもねえ。。。
とりあえず琵琶湖方面に戻ることに即決。敦賀経由で国道8号で琵琶湖に戻り,そのまま国道365から関ヶ原を経て,大垣へ。
途中関ヶ原近辺の道端で昼食をとる。いや,ほんと道端で。しかもまたラーメン。。。コンロ出して。。。
確かこの時どちらかが写真を撮ったはず。その写真はかなり貴重なのだが行方知れず。。。なにも坂道で調理せんでもいいのにというような場所だったのだが,案の定,鍋ひっくり返しました。
気を取り直して,目的地再設定。しばしの談義の末,南木曾に決定。
南木曾・・・・。一体どれくらい走るんだよ。。。
とはその時思わなかった,少なくとも私は。何故ならもう壊れてましたから。
日本海に懲りて山にしよう,ということになったんだっけ?宿泊地は南木曾から飯田に抜けていく大平街道の峠にある,県民の森キャンプ場(無料)。しかも途中には冨貴の森温泉(?だったと思う)もあるというのが高ポイント。というわけである。
温泉は確か21時までとマップにあったので,それまでに辿り着かなければならない。
あとはひたすら走るのみ。国道21号を美濃加茂へ。そして国道418に突入。すでにこの時点で日が傾きつつあった。しかも段々道が細くなっていく。。。
まじで道あってんのか?国道っていう感じではない。。。それでも走り続けるしかないのだが。。。
山道をひたすら走る,走る。すでに日は暮れている。街灯も何もない。ガードレールがあるのだけが救いだ。セローのライトでは心細い。SMのレイドに先頭を譲りつつ,半べそかきながらどれくらい走っただろうか。
いくつ目かの尾根を越えると,眼下に町の灯が!この時ほど人里が暖かいと思ったことはない。
恵那に着いたのは19時をまわっていたと思う。しばし休憩を取り,温泉に向けてスパートをかけるべく私は走り出したのだが・・・。
後続が来ない。。。
私は路肩に寄り,彼らを待つも来る気配がない。仕方なく戻るとSMがAtのセローの脇で立ち尽くしている。
私:どうした?
At:・・・・
SM:エンジンがかからないらしいよ・・・
・・・・・・
隊長。。。勘弁してください。。。
いくらセルを回しても,うんともすんともいわない。
・・・ここで野宿か?こんな歩道で?
私が押しがけを試みようとAtのセローに跨った瞬間,気付いてしまった。キルスイッチがOFFになってます(キルスイッチとはエンジンを緊急停止させるスイッチで,普段はRUNになっている)。
えーと。RUNにしてー,セルまわしてー,エンジンかかってー・・・半べそAt,一瞬で笑顔に。
「いやー,まじであせったよ!!」
隊長。。。勘弁してください。それはこっちのセリフです(私・SM)。何故にそこがOFFに??
ともあれ,無事出発。国道19号をトラックに揉まれながら,南木曾の手前で国道256へ。温泉は目前である。途中にも何軒か温泉宿がある。今思えばそこにはいっときゃよかったんだ。
なんとか目的の温泉に辿り着くも,時刻は20時半。ぎりぎり間に合ったと思った。思って,速攻で支度して入り口行ったら
入館は20時までです。
・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
!!なんですと?!
駐車場にあった送迎バスからおっちゃんが出てきて,×印。われわれ脱力。するとおっちゃんは向かいに別の温泉あるよ,と言うじゃない。そしたら俺らダッシュでいくじゃない?
本日定休日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
振り向くと,おやじバスに乗って去る。
おやじ!!!!!待て,うおら!!ヴォケ!!
3人のライダーはしばしその場に立ち尽くしましたとさ。
仕方なくキャンプ場へ。寒い。身も心も。道,ガードレールもないです。寒いです。キャンプ場についても誰もいるわきゃない。てか,真っ暗。とりあえずテント設営,夕食準備。
星がきれいだった。カラマツ(だと思う)の樹冠から,星が瞬いている。飯を食いながら,星を見るのも悪くない。
私:クマ出ないかな?・・・
2人:・・・・・・
ああ!大事な問題流された!
就寝。走行距離約280km。
投稿者 daurade : 22:04 | コメント (0)
琵琶湖修行編1
99年の11月初旬の事であった。里山の落葉樹が色づき始めた大学祭の季節。そんな時期に我々3人は旅だったのだった。
出発前日の夜,私は大学にいた。SMは既に帰っていた。霧雨が降り続く,なんとも陰鬱な夜だった。Atの授業が終ると,我々2人は寮の風呂に向かった。かび臭い寮の風呂を出た後,Atの部屋で仮眠を取った。翌朝の出発時刻は6時。その時刻にはSMも寮の前にやってくるだろう。
遙か彼方から音が聞こえる。それが次第に輪郭を取り始めた時に訪れる静寂。それを何度繰り返しただろう。何度目かのそれで,私はようやく覚醒した。時計の針は6時をまわっている。あわてて窓の外を見ると,寮の入り口に人影が。まだ眠っているAtをたたき起こし,大急ぎで支度を整え,SMのもとに向かった。
えー,30分待ちだそうです。。。
いきなりやらかしました。しかも雨。それも昨夜より若干強まっている気配。既にSMは完全防水装備である。
装備所持品のレベルからいくと,SMがトップ。当時既にヤマハのクルクルレインスーツとやらを持っていた。しかもブーツカバーもなかなかの品。愛車レイドには振り分けバッグも装着している。
続いて私。NAPsで購入した安物のレインスーツと以前から持っていたレインスーツの二枚重ね,格安で購入したブーツカバー。そして愛車の後ろにはどでかい真紅のドラムバック。
そしてAt。雨具借り物。ブーツカバーなし。荷物の防水,ゴミ袋仕様。以上,ネタではないです。
この雨天のため,しばしの作戦タイム。てか普通は取りやめると思われ。しかしバカが3人集まれば,怖いモノなどなくなるものだ。結局そのまま出発。
いや,その前にAtのブーツカバーを何とかせねば。苦肉の策として私が考え出したのが,スーパーのビニール袋を足にかぶせ,その上からガムテープでぐるぐる巻きにするというもの。これならば一日くらいは持つだろうとふんでいたのだが。。。
出発。橋本から国道129号で厚木まで。そこからR246。以下名古屋までのルートは「初めての四国編1」を参照されたい。
経験を買われ私が先頭,そしてAt,SMという布陣であった。私は静岡まで行けば雨も弱まるだろうと考えていたのだが,それはとんだ思い違いであった。むしろその逆だったのだ。
御殿場を過ぎ,沼津を過ぎると雨は弱まるどころかますます激しくなり,我々を打ちのめす。特に先頭を走っている私は,数々の試練に耐え抜くこととなる。
朝の国道は無論車の往来が激しい。特にトラックとすれ違う時にその事件は起こる。R1の沼津~富士区間では轍が深い。当然そこに水が溜まる。トラックが通る。水がはねる。というか大量に押し出される。反対車線の私に水が掛かる。というかそんな甘っちょろいレベルではない。バケツで水を掛けられたくらいの衝撃なのだ。
雨宿りの為にPITに入った道の駅富士。まだ9時もまわってはいない。
2人の目が死んでいる。。。死んだ魚の目をしている。。。
当然だろう。何を好きこのんで晩秋の肌寒い中,雨に打たれて琵琶湖くんだりを目指しているのか。冷たい雨は容赦なく体力をもぎ取っていく。会話を交わすことなく座っている2人。見ると,既にAtのブーツカバーは無くなっていた。
「あれは本当に無意味だったよ・・・」
後にAtはこう語った。所詮はその場しのぎ。私の思い付きも空しく,季節はずれの豪雨に跡形もなく砕け散ったのだった。。。しかもこの時点で,水は容赦なく雨具の下に浸透し始めていた。正直,内心引き返そうと思った。それは他の2人も同じだっただろう。でも,ここまで来て・・・という思いの方が強かった。
雨どころか風まで強まってきている。。。路面を水しぶきが舞う。確か,安倍川の橋だったと思う。激しい風雨に慣れ掛けたその時にまたも事件は起きようとしていた。
安倍川の橋は確か2車線だったと思う。歩道はなかったように思うが定かではない。我々は左車線を走っていた。私の前には2トン車が走り,車間は10m程だったか。そのトラックがわずかに橋の欄干に吸い寄せられた気がした。いや,確かに吸い寄せられた。そこまでは確認した。しかし,私はなんの対処もせず,その場所を通過しようとしていた。
その時。自分では真っ直ぐ走っているつもりだった。だが,強風に押し出され,一瞬時間が止まった。次の瞬間にはガードレールが眼前に迫ってきていた。頭で認識するより先に体が動いた。瞬時に体勢を立て直し,事なきを得たのだが,もしあの時体が動いていなかったら。。。。
甘く見ていたのだ。危うく安倍川にダイブするところだった。。。私はまたひとつ身をもって学んだのであった。しかし・・・。よく考えてみると,以前にも似たような出来事があったような・・・。
いいんです!結果オーライなんです。バックミラーには悠々とそれをかわす2人の姿が。。。
その後は無事にやり過ごしたものの,磐田を過ぎ,天竜川を渡った所で,雨風が洒落にならんくらいに激しくなってきた。
だって,もう前見えないっすもん。。。
そこで急遽横道にそれ,私は休憩を取ることにしたのだ。何を思ったか,私は中田島砂丘に向かったのだ。いやね,そこなら休めるかなーと思ったんすよ。砂丘に到着し松林を抜けた。
雨宿りなんてできん!そんな状態じゃない!
風が吹き付ける中,呆然と立ち尽くす私たちを後目に,ひとりの勇者が敢然と歩を進めたのだ。
At氏,ダッシュで堤防の上に。そして腰に手を置き,大の字に太平洋を望む之図。
私とSMはその漢の後ろ姿を忘れないだろう。
10秒後,At氏そそくさと帰陣。その姿を見て我々爆笑。
曰く「砂が・・・」。
そう,前面砂まみれ。メットのシールドの砂を必死で払う,ひとりのバカちゃんの姿も,我々は忘れないだろう。
伝説の地となった砂丘を後にするも,天は我々にまだ試練を与え続ける。路面の水しぶきが荒れ狂っている。。。仕方なく,浜名バイパス陸橋の下に潜り込み,しばし休息を取ることにしたのだった。
2人は既に開き直ったようだった。むしろこの風雨を楽しんでいるように見えた。てか,そうしとかんと萎える。2人はさっきの事を話し始めた。私が欄干に吸い寄せられた時,2人とも逝ったと思ったらしい。。。御陰でこっちは無事だったとも言われた。。。先陣をきるということはしんどいものだ。しかも,ちょっと道を間違えた事も突っ込まれた。
実はこれは重要な問題を孕んでいた。この行程中は遂に明かすことはなかったが,後日私は2人に告白した。
見えてないんだ,と。
メガネを掛けないと正直,行き先案内板の文字すら読めない。ただ,字の輪郭と配列であらかたを予想しているだけだったのだ。SMの顔は引きつり,さすがのAtも絶句した。ちなみに私がメガネを買ったのは,この半年後であった。
雨は弱まる気配すらみせない。まじでここで野宿してもいいと思った。その時の私の正直な思いだった。
もう,琵琶湖なんてどうでもいーじゃない。住めば都とゆーじゃない!テント立てようぜ!・・・とは言えない。言えるはずもない。
言い出しっぺは私。視線を感じた私が振り向くと,SMがこう言った。「琵琶湖着くの?」
・・・。微妙。。。
確か時刻は昼過ぎだった。しかもこの空模様である。「てか風呂はいりてえ」とAt。珍しくまともな発言である。SMも頷いている。
・・・風呂?風呂。ふーろ?!ふーーろ!!!いえす!
それしか現状を打破する手はない。雨上等!そう,風呂があればいくら濡れようとそれでリセット。琵琶湖まで行けば長浜に温泉がある。と言ったら,Atさんもう我慢できんぐらいのオーラ。
・・・すぐ?それはちょっと・・・。
すかさずSMにアイコンタクト。SM「もうちょっと先いかね?」
さすがっす。なんとかAtに納得してもらい,先を急いだのだった。最悪長浜ということになった。19時がリミット。果して間に合うのか??
名古屋に近づくにつれ,雨も弱まりだす。何とか峠を越えたらしい。R23を弥富まで行き,県道66号を北上。途中銭湯とコインランドリーの看板に釣られて横道に。
銭湯の前で協議。既に雨は上がっている。ここで風呂に入り,かつ服を乾かすか?現在16時(多分)。
・・・・・否!琵琶湖を目指す!温泉に入るのだ!
服を乾かす時間もないと判断し,再びR66へ。県道14号を経て,国道21号。これで琵琶湖を目指す。この頃から雨との戦いから時間との戦いへと移行している。今思えば,ツーリングでタイムアタックしてどーすると。。。
無情にも日は暮れていく。私の体内時計が黄色信号から赤に変わる。まだ大垣。おそらく時刻は17時をまわっているはず。R21を走りながら,米原・長浜までの距離と道の流れ具合から,残り時間を推定する。
・・・多分無理!やばい。どーする?
!!
私は閃いた。急遽ガソリンスタンドに入り,給油。2人も釣られて給油。そしてすかさず私は店員に,この近くに銭湯はないかと聞いたのだった。店員が指さす方にはスーパー銭湯のネオンサインが!そう,高架の影に隠れて,我々はそれを見落としていたのだ。
私の野性の勘が最も冴えた瞬間だった。さすが俺!
銭湯の駐車場に着いて,雨具を脱ぎ,温泉セットを引っ張り出し,風呂に入るまでの所用時間は,恐らく5分もかからなかったろう。そして湯船に浸かった瞬間の気分をどれほどお分かり頂けるだろうか?
3人:あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
もう何にもいらない。神様ありがとう!がんばってよかった,まじで。。。思わず泣けてくるほどの快感。
この銭湯には電気風呂があったのだが,Atはどうやらそれがお気に召したらしく,ずっと浸かっている。
てか,おいでおいでしてる。
はじめは無視してたんだが,すねるから行った。んで,3人で浸かってたら何かしらんけどブルース・リーの話からキン肉マンの話になって,SMが胸筋をピクピクさせ始めた。Atと私爆笑。普段絶対そんなことはしないからだ。
At,ご機嫌麗しゅうなってSMに「マッチョ」と名付ける。
SM却下。
At構わずマッチョと連呼。
SM無視。
そんなやりとりを横目に,ひとりのんびり湯に浸かる私。
すっかり上機嫌になりつつも,濡れた雨具を着てまたへこみ,それでも果敢にR21を米原まで攻める。琵琶湖の湖岸に到着したのは19時をまわっていた。我々は,道の駅にテントを張り,夕食を取った。メニューは白飯とみそ汁とインスタントラーメン(しょうゆ)。
SM「ラーメンがこんなにうまく感じたのは初めてだ」。
こうして,波乱の幕開けとなった初日は無事に過ぎていったのだった。
走行距離,約400km。走行時間,12時間強
投稿者 daurade : 21:37 | コメント (0)
初めての四国編8
9月26日。朝3時起床。正直もちっと寝ていたかったのだが。。。このさざなみ街道,どうやら走り屋達のコースらしく,一晩中うるさくて眠れなかった。冗談抜きで道端だったから。車が突っ込んでこなかったから,まあよしとすべきだろう。
朝食を取り,4時に出発。国道421号で桑名を目指す。
あくびをかみ殺しながら,朝靄の国道を走る。さすがに走っているのはトラックくらいのもんだ。走り屋たちも今頃は夢の中だろうか。まあ,私の分までせいぜい眠りやがれい。
地図には田園路とあるが,暗くてさっぱりわからん。わからんうちに道は山間に入り込んでいく。永源寺ダムを通り過ぎ,勾配とカーブがきつくなる。
地図には石榑峠より,三重県側急坂とある。これ以上の急坂かよ。。。まじで谷底墜ちそう。。。と思いつつ,何とか峠まで。峠にはコンクリートの車止め。こ,国道なのに。。。立ち往生してる乗用車を後目に峠を下り始める。
・・・。まじで急坂でした。。。国道と思えないほどの狭路。眠気に打ち勝ちながら何とか下山。国道306号を南下し,四日市へ。
桑名は混みそうだから,四日市から国道23号を使った。後はこのまま往きと同じルートで豊橋まで。。。
豊橋からは国道151から国道362号・姫街道へ。東海道の裏街道という表記に惹かれたの。それだけ。裏ってなんか惹かれるのよね。
その姫街道をひた走ると分岐が。新道と旧道。もちろん旧道。そしてまた分岐。旧道とまじ旧道。つまり昔の往還である。無論後者を選択。
しばらく行くと石畳から,ぬかるんだダートへ。しかも道はどんどん細くなっていく。。。さすがに不安になり,バイクを止め徒歩でその先を確認。木道になっている。。。さすがに無理かもと思い,後ろを振り返るとあるべきはずのモノの姿がない。
??バイクは??
一瞬固まる。次の瞬間,状況を把握してまた固まる。バイクが思いっきり倒れている。どうやらぬかるんだ地面にスタンドがはまったらしい。泣きそうなくらいの足場の悪さの中,何とかバイクを起こし,荷物を積み直すと,今度はなにやら荷物が減っている。急いで来た道を戻ると,点々と荷物が落ちている。。。ヘンゼルとグレーテル。戻って正解だった。
旧道まで戻り,調子に乗ったのを悔やみながら,峠を目指した。旧道の峠まで来てまた固まる。行く手にはトンネル。これがまた何とも形容しがたいモノだった。ぶっちゃけ新道まで引き返そうかと思ったくらいだ。しばらく躊躇したものの,私はダッシュでトンネル抜けたのだった。
そのまま三ヶ日まで下り,そこから東名高速に乗った。まだ10時をまわったくらいだったが,限界が近づいていた。このまま下道で東京まで走る気力は遺っていなかった。
高速を根性で爆走するも,居眠り。バイクでも普通に寝ることが出来るということを身をもって体験し,あまりの事態にあわててPAへ。
何度かPAで仮眠を取りながら何とか東京まで。自宅に着いたのは13時半だった。疲労困憊。こうして四国への旅は幕を閉じたのだった。
走行距離,約450km。給油数10回で約1万円。温泉,宿代,フェリー代などで約2万8千円くらいの出費だった。総計4万円也。
投稿者 daurade : 21:30 | コメント (0)
初めての四国編7
9月25日。台風一過。清々しい朝だ。ばあちゃんが作ってくれた朝飯をかきこむ。つーか飯うまい。なんつっても魚とか取れたてだし。
おとといの晩飯なんかじいちゃんが釣ってきた魚の刺身だし。いやー,刺身うまかった。関東ではほとんど食べないと思うが,確かボラだったと思う。あとはタコをなんか変わった食べ方(無論関東,というか腰越の食文化と比べてという意味だが)をしていた。
そう!ショウガ醤油で食ってた!!これ結構うまいっす。大抵酢醤油なんかだと思うが。小豆島周辺の食べ方なんだろうか??結局この食べ方,我が家では流行らなかったが・・・。
なんやかやで荷物を積み込み,みなさんに挨拶をして出発した。9時半ごろだった。ばあちゃんが昼飯にとおにぎり6つとミカン多数を持たせてくれた。素直にうれしいが,6個食えるのか?俺は。。。この昼飯がひとつのドラマを引き起こすことになろうとは思いもしない。
土庄を発ち,県道26号・27号を走り,寒霞渓方面へ。おとといの「太陽の丘」の手前で林道に入る。といっても舗装路。この林道が福田港への近道なのだ。雲一つない青空。赤松の混じる二次林の斜面を縫うように下っていく。するとどこからともなく大きな影が。
!!
トンビが私のすぐ横を滑空していく!本当に手を伸ばせば届きそうな宙を。無論テンション鰻登りであります。
ほんの一時の同行者に別れを告げ,彼は自分の空に戻っていく。それを見送りながら,私は港を目指した。
福田港に着いたのは10時半過ぎ。どうやらフェリーの出航まで1時間ほどあるらしい。手持ち無沙汰の私はなにするともなく港を見ていた。同年代くらいだろうか,港の駐車場でバドミントンをやっている。のどかなもんだ。私はバイクを所定の位置に置き,待合室に入って船を待つことにした。
予定通り出航。約2時間の航程だから,13時半には姫路に着くはずだ。早速小豆島を眺めながら昼食を取り始めた。
偶然を偶然で片づけるのも人生,その逆もその人次第だと思うが,それを生かすも殺すも自分の感性というか,勘みたいなものにしか最終的には頼れないのではないだろうか。
何かの選択を迫られた時,日常の何気ないひとこまの偶然を受け止める時,そんな時に人は,どれほどまともに判断したり,その偶然に気付くことができるのだろうか。そして一体どれくらいの成功と失敗を積み重ねていくのだろうか。
ただその結果として,今の自分を含め私を取り巻く環境があるということは間違いない。それは本質的には同じ事の繰り返しで,ただただ繰り返していくだけのものかもしれない。しかし,人はその無限とも思えるループを螺旋に変えていくことができる,と思うのは楽観的だろうか。
例えそれが楽観であったとしても,人にその意志があれば,すくなくとも上を向くことは出来る。リングのどこかを跳ね上げてやれば,それは螺旋へとつながっていく。質を高めていくことは出来る。
そのチャンスは恐らくどこにでもありふれている。そのチャンスを掴む為には今の自分を受け止めて,すっと見つめてやればいい。その先には,今までの道のりも見えるだろうし,あるいはこれからが霞んでいるのかもしれない。教訓や反省とは違う,何をすべきかが湧いてくる。
そしてまた歩き出す。この一歩が次のチャンスへの一歩であることは間違いない。そしてまた同じような場面がやってきたとしても,違った何かに気付くことが出来れば,それはまた次へと繋がっていく。
もしかしたら,立ち止まることがループを螺旋に変える原動力なのかもしれない。選択肢のどちらを選んだのかということよりも,むしろ何に気付くことができるのか,ということが最も重要な事のような気がする。
ある偶然が私にもたらしたとりとめもない考えである。少なくともこの偶然は,その時まで私が考えてきたことにある輪郭を与えてくれたものだった。
姫路港に着いたのは13:40。港から姫路の中心部を通り,国道372号へ。姫路~篠山~亀岡そして山陰道(国道9号)にて京都へ。なだらかな丘陵と盆地。盆地底に水を集める河を下り,そして遡り,緑豊かな尾根をいくつ超えたろうか。標準子午線,かつての源平合戦の古戦場・三草山などを通り過ぎ,私はひたすら京都を目指した。
京都に着くとそこは金閣寺だった。
適当に走っていたら,何故か見覚えのある所に。そこは中学時代に修学旅行で来た金閣寺だったのだ。てか金閣寺くらいしか,当時京都で分かるところなんかないっす。
今冷静に考えると,どうやら五条天神川で上り,そのまま仁和寺の西まで行き,竜安寺や立命館大の脇を通り抜け,金閣寺まで迷い込んだものと思われる。
実は京都を甘く見ていた。碁盤目に道が走っていると踏んでいたのだ。だから地図を全く見ずに比叡山の麓を目指したのだった。
結局,金閣寺から北大路を白川通りまで行き,北大路白川を下り,県道30号・山中越えを目指した。山中越えに差し掛かった時点で,既に16時をまわっていたと思う。
この日はどこで野宿をするかちゃんと決めていなかった。ただ漠然と琵琶湖の東岸で,としか考えていなかった。つまり,私はあせっていたのだ。日が暮れてからねぐらを探したんでは遅すぎる。
刻一刻と日が傾いていく。琵琶湖の西岸まで下り,大津の北側を通り,近江大橋を渡る。県道26号を北上するも,すでに日没は秒読み段階。地図を見ながらキャンプサイトを再確認。なんとか日暮れまでに辿り着きたい。
しかし,懸命の走りも空しく,無情にも日は京都の山間に飲み込まれていく。琵琶湖湖岸のさざなみ街道沿いにあるキャンプサイトは,結局見つからなかった。。。仕方なく道ばたにテントを張る。
夕食は飯とみそ汁,そしてさんまの缶詰。そいつを手早く掻き込み,そうそうにシュラフにくるまった。眠りに落ちようとしたその時,なにやら外に気配が。がさがさなんか漁ってる。。。
無視無視。こういうときは無視するに限る。
がさがさ。。。。
き,気になる。。。眠れねえ。。。や,やむをえん。
私は入り口のファスナーをおそるおそる開けた。
なんかおる。。。
月明かりにぼんやりと輪郭が浮かび上がる。次の瞬間,それはこちらを向いた。ふたつの小さな光。月明かりに誘われて現れたのは,狸だった。どうやら缶詰のにおいが気になるらしい。私は余っていたさんまを狸にやり,空の月を眺めた。
投稿者 daurade : 21:14 | コメント (0)
初めての四国編6
9月24日。この日は1日休み。てか表出られません。台風通過中。実は,この年一番の台風だったのだ。九州の不知火では高潮の被害で何人もの方が亡くなられた。愛知ではこの日竜巻が発生するほどであった。
ともあれじっくり休養を取れたのは幸い。明日に続く。
投稿者 daurade : 21:13 | コメント (0)
初めての四国編5
諸事情あってテツーヤです。9月23日。朝食食う気もしないっす。そそくさと荷物をまとめ,院長夫妻にご挨拶。9:30に小豆島に向けて出発。だらだら走って高松港へ。
台風来るんだろうか??何か晴れ間が覗いてます。昨日より天気いいかも。まあ雨が降らないに越したことはないので,よかったんだが。途中,時間があったので観光でもしようかと思ったが,眠くてそんな気力0。栗林公園か屋島でも行こうかと思ったけど,結局港に直行した。
小豆島の池田港に着いたのが,正午過ぎだった。高松~池田間,初瀬戸内海だから印象に残っていそうなもんだが,あまり覚えていない。。。そりゃあ昨夜の疲れが出てましたから。でも船内ではすごいくつろげたように思う。
小豆島に着いて最初に向かったのは土庄。ここは私の父方の祖母の里である。祖母の兄弟はみんな東京に出ているのだが,祖母の従姉妹やその本家筋の人たちはご健在ということで,この日は祖母と最も仲が良かったS家に厄介になる予定なのだ。池田港から土庄に着いて,とりあえず電話。詳しく道を聞くとすぐに分かった。
家の前ではじいちゃんばあちゃんが出迎えてくれたいた。私がまさかバイクで来るとは思ってなかったらしく,あんたごっついことするな~とびっくりしていた。とりあえず荷物を置かせてもらって,早速島内探索。
土庄を始点にぐるっと右回りに周回。天気はびっくりするくらいいい。なんと晴れ間が覗いている!
海と,そして花崗岩質の白い砂浜に太陽がその破片をところどころ注ぎ込んでいる。光が痛い。今回のツーリング始まって以来の快適な走りを堪能。島の北部から中央部に南下する道で寒霞渓へ。北半分の登坂路はびつくりするほどの急坂だった。曰く下りだとブレーキが焼き付くとか。。。
しかしその急坂を登りきり,南側の斜面にまわった所に「太陽の丘」という公園からの眺めは素晴らしかった。
台風の影響で目まぐるしく形を変えていく雲。遠景に広がる四国と海にちりばめられた島々。そして内海の島々を縫うように歩く船。そのスピードあるいは海と空の青さのギャップに目を,心を奪われる。
どれくらい島を登ってくる風に吹かれていただろうか。私はその風景に別れを告げ,島の南部,内海に下りた。
内海から二十四の瞳の分教場へ。そして島の東側を北上し,今度は左回りに島を廻って土庄へ向かった。S家で一休みして,夕食後本家に行っておしゃべり。帰りはほろ酔い気分で千鳥足。だいぶ風が強くなってきた。
投稿者 daurade : 21:02 | コメント (0)
初めての四国編4
朝8:00起床。9月22日。むー,起床。起床ねえ。。。起床ではないです。ましてすがすがしい朝でもない。そんでもって朝食前にプチびびり。どれくらいびびったかといえば,その昔Tnちゃんちで初めてバイオハザードを見たとき,犬が窓ぶち破って出てくる場面でプリンをこぼしたくらいのびびり。
ベッドの上でボーっとしてたら ギィィィィとドアが開き、しわくちゃなばあちゃんが、お紅茶どおぞ、みたく入ってきたんですもの。
朝食もそこそこに出発。風は若干強いものの恐れていた程ではない。空模様は怪しい。というかすごい勢いで雲が流れていく。雨は降っていないので,とりあえず国道32号で琴平へ。うどんの店が立ち並ぶ。昨晩食ったんですが,また食いたくなってる自分。でも面倒だったから先を急いだ。
琴平。こんぴらさんに行くのは長年の夢だった。夢というより,むしろ憧れに近いかもしれない。
~こんぴらふねふね おいてにほかけて しゅらしゅしゅしゅ~
皆さんご存知だろうか?この歌は江戸時代末期,金比羅参りの隆盛に伴って全国的に流行した御座敷唄と言われている。
この歌が書かれている団扇が我が家にはあって,それが何故か印象に残っている。あとは讃岐の民話の本。その2つが未だ行ったことのない自分のルーツというものに対する好奇心と象徴的に結びついていた。だから金比羅詣でなのだ。
金比羅さんに何が祀られているかとか,そんなん一切当時しらんかった。知っていることと言えば階段がめちゃめちゃ長いということ。
というわけで境内の施設なんぞには目もくれず,ひたすら階段を登り続け,奥社まで。そこから下までほとんど休みもせず駆け下りること約2時間。なかなかのタイムだと思われ。
その途中まったく立ち止まらなかったといったらそうでもなく,社務所で黄色いお守りを買ったりした。また書院で円山応挙の絵を見たと記録には残してあるが,残念ながらこちらは記憶にない。
さて,息を切らせて戻ってきて昼前。雲行きは相変わらず。さあてどうしたもんか。
とりあえず西へ行こう。国道319号で善通寺のICへ。そこから高速に乗って西進。単車を流しながら考えた。愛媛か高知,どっちに行こうかと。地図によればこの先の川之江で分岐するらしい。まあそれまでに決めりゃいいやと。
快適に走行しつつも台風が気にかかる。でもこの空模様ならいけるか?いや行く!むしろ行ける!うーん。じゃあ高知に決定。愛媛はまた今度。
てな訳で高知に目的地再設定。高知道をひた走る。今どうなっているか知らないが,当時は高速といっても対面通行かつ片側1車線が殆どの区間だったから,バイクだとめっさ怖かった。後ろからは煽られっぱなし。必死こいてハンドルにしがみつく。だから高速って奴は・・・。私がツーリングで高速に乗ったのはこの時が初めてである。
しかも高知道,地形との関係でほぼトンネル。心底高速に嫌気がさしたのが半分,雨がしのげてラッキーと思ったのが半分。でも経験したことが無いとわからんと思うが,めちゃ長いトンネルをバイクで走るのはやはり嫌なものだ。空気は悪いしね。
ただこの時は交通量が少なかったのが,唯一の救いと言えば救いだったが。トンネル出たとき強風に煽られたのはショックだった。自分がではなく,前走車が。普通の乗用車があそこまで横滑りするとは知らなかった。おかげで対応出来たけど。てか,事故に繋がらなくてよかった。
そんな感じで高知ICで降りた。高知のどこに行くかは決めていた。桂浜の龍馬像。ここしか浮かばなかった。県道から国道32号へ出て,県道34号へ。記憶が確かなら,このR32から34への交差点は路面電車が走っていると思う。
なぜ覚えているか。それは濡れたレールでこけそうになったから。。。そんなこんなで桂浜。無事に龍馬を拝む。
海大荒れ。むー。満足なり。さて帰ろう。
同じ道で。途中,後ろに積んであったカッパの紐が後輪に絡みついて破砕。ちいとばかし,びびり。んで病院に戻ったのは18時前だったと思う。ダッシュでシャワーを浴びる。なんでかって?それはまあまたの機会に。。。そして院長夫妻とその娘2人(お腹の子も入れたら合計6人)で夕食を食べに行った。
確か円座という駅前の中華料理屋だったと。まあ色々話をしながら食事をして,満腹になり帰宅(?)。腹はね,いい感じにはなったんですがね,ちょいとへこみました。。。
投稿者 daurade : 20:55 | コメント (0)
初めての四国編3
8時に目が覚めた。9月21日。雨は降っているんだろうか?と思いつつ,寝ぼけ眼でカーテンを開けた。
半ば強制的な水面。昨夜は暗くて気付かなかったが,私の泊まった部屋の外は湖だったのだ。どんより曇っていて,お世辞にも清々しい朝とは言い難かったが,私は窓の外を見入った。数羽の白鳥がのんびりと湖面を滑っている。
私は窓を開けていた。差し出した手に,小さな水滴の感触。小雨がぱらついている。・・・そうだ。台風来てたんだった。完全に目が覚めた。
私は荷造りをしつつ朝食をとった。といってもお茶とパンだけであるが。朝食は頼まなかった。無駄な路銀は使わない方がいいという判断。手早く荷物をまとめバイクに積み込み,宿の人に礼を言うとすぐに出発した。
小雨の内に着きたい。目的地は脇町。うだつの街並みで有名な所である。詳しくは知らないが,脇町は13世紀中頃に城下町として成立し,江戸期には藍の集散地として栄えたという。商人達はその繁栄ぶりを顕示するように豪勢な「うだつ」をあげた。その街並みが現在も保存されている。
10時前に脇町に到着。親戚の家を探す,といっても高校の前の店と聞いていたのですぐにわかった。父方の曾祖母がこのIw家の出で,当家のじいちゃんは私の祖父と従兄弟ということになる。そのじいちゃんには確か3人の息子さんがおられるはずだ。父とは,また従兄弟の関係になる。山男で高校の地歴教師,ハーレー乗りなどなど。やはりどこかで血がつながっているということを実感せざるを得なかった。平日だったのでおじさん達にはお会いすることが出来なかったのが残念だったが。
挨拶だけしてすぐにでも出発しようと思ったが,じいちゃんとばあちゃんが案内しちゃるというので,その街並みを見学することとなった。私は祖父と瓜二つらしいので,向こうも懐かしがってくれたものと思う。私としてもうれしい限りだ。祖父は戦争で亡くなっている。
昼食までごちそうになり,さらに私の曾祖父の話も色々と聞くことが出来た。曾祖父がただものではないということは聞き及んでいたが,いまだに記憶に残っているとは。。。正直驚いた。
和辻哲郎は『自叙伝の試み』にて曾祖父の事を書き及んでいる。それにはひどい方言で聞き取れぬといったことや,彼と同期でさらに一高の寮で同じ部屋だったということが綴られている。同部屋だったということは,試験を首席クラスで突破したと思われるし(多分),その後,帝大の医科に進んだ程の人物だから,脇町で曾祖父の事が語られている事は推してしるべし,といったところか。
その帝大に進む際に経済面で世話になったというK家にも,案内していただき挨拶をすることができた。両家には藍染めやらスダチやら色々おみやげまで頂き,私は脇町を後にした。目指すは香川の由佐である。
国道193号を北上し,香川へ。小雨の降り続く中,四国山地を越え14時過ぎに目的地に辿り着いた。I家。我が家の本家筋に当たる家である。
I家は由佐(正確には岡だろうか)の小高い丘の上にあった。挨拶をすませ,この旅の1番の目的を果たす為にその場所に案内して頂いた。祖父と曾祖父の墓所である。生まれて初めての墓参り。どんな理由があるにせよ,一度も墓参をしていないというのはあまり気持ちのいいものではない。
墓はI家より20mほど坂を登った所にあった。見晴らしのいい一画に4基。私は線香と花を供え,手を合わせた。
本家のおじさんにもう1つの墓所に案内して頂いた。S寺だったと思う。そこは我が家の遠い先祖の墓がある。私は父からそれを聞いていたので,おじさんに連れて行ってもらった。
寺に着くとばあさんが出てきた。おじさんが事情を説明すると,ばあさんは私の顔をのぞき込んだ。曰くその墓に人が訪ねてくるのは,30年ぶりだと。
あんたのお父さんが大学を出た頃に来たきりだと言われた。
罰が総出で当たりまくるわさ。。。だからビンボなのか?ともその時思ったが,ばあさんが道を案内してくれたので,そこに向かった。
寺の裏山の藪の中にひっそりとそれらは立ち並んでいた。ヤブ蚊がすごい。何基あったろうか。10基以上あった気がする。おじさんもここは知らなかったという。とりあえず,線香をその全ての墓に供える。つーか無縁仏もあったような気もする。中には江戸時代の墓も。
墓参りを済ませ,本家のおじさんに川部の親戚の家まで案内してもらった。我が一家の本籍地がある所である。
曾祖父が開業した病院があり,今は父の従兄弟が継いでいる。そこの院長つまりおじさんと色々話をしていたのだが,心は上の空。
だってもう台風来てますから!今日泊まるところまるで決めてなかったし。そんなことを考えていると,おじさんが今日はここに泊まってけという。
!!!
しかし,とおじさんが付け加えた。今奥さんのツワリがひどいから病院なら自由に使っていいとのこと。私は一瞬たりとも迷わず泊めてもらうことにした。
ごめん。一瞬迷いました。でも台風の中テントはいや。
2Fの個室があてがわれ,私は荷物を運び込んだ。一息ついているとおじさんがやってきて飯を食いに行こうという。うどんが食いてえというと,連れて行ってくれた。釜揚げうどんに感激。
投稿者 daurade : 20:46 | コメント (0)
初めての四国編2
雨音で目覚める。9月20日,午前6時。寝起きでへこむ。なぜに鈴鹿まで来て雨なのか。。。
とりあえず飯だ!全てはそれから。
朝食はパンとコーンポタージュ。食事をとりながら今日の目的地を確認する。徳島の土成らへん。以上ひとりミーティング終了。
雨は霧雨になってきた。時間は7時。私は雨具に身を包み出発した。
国道1号で亀山へ。そこから国道25号。通称タダ高速らしい。
もうねえ,雨関係ないっす!盛り上がって参りました!信号なんざないし。煽られっぱなし!でもねえ,伊賀ですよ?ケンイチウジーーー!ですよ。山々に霧が掛かり消えていく。刻々と姿を変えていく雲と山容。忍者出てこーい!!まあ通りすぎれば,なんてことないんですが。。。
R25で天理まで行き,国道169で奈良盆地を南下。奈良なんざ中学の修学旅行以来である。石上神宮,崇神天皇陵,大神神社などなど,今でこそ興味の対象であるが,当時は全てスルー。桜井,畝傍を経て吉野川へ。
大淀から国道370,24で橋本へ。橋本から国道371号でやや北上し,紀ノ川広域農道に入る。
和歌山まではR24が近いが,広域農道をおすすめしたい。やや遠回りになるももの,交通量は少ないし,信号もほとんどない。さらに景色もいい。紀ノ川に浸食された尾根と谷をそのままトレースした道路は,アップダウンありーのワインディングありーのでかなり面白い。紀ノ川の支谷の谷底には畑と水田が点在し,斜面にはミカン畑が広がっている。まあほとんど車の往来が無かったんでね,なびかせちゃいました,ハタを。ベジータの息子をミラーに差して。乾くのめちゃはやいけど,市街地では無理だなあ。しかし,洗濯物の乾燥と移動を同時進行で行なうのは基本といえるでしょう。
広域農道を根来寺(戦国時代の鉄砲衆で有名だったはず)まで突っ走り,そこから県道63,7で紀ノ川河口まで。ええ,さすがにハタは収納してます。紀ノ川大橋を渡って和歌山の中心地を経由してフェリーターミナルへ。和歌山港に着いたのは12:30であった。
港から四国の方を眺める。なんか雲の量すげえ。
乱積雲?なんか手ぐすねひいて待ち受けるといった感じ。
とりあえず昼飯食いながら,乗船手続き。出航は14:30とのこと。荷物をほどいて湯を沸かし,インスタントラーメンを食す。徹底的に自炊なり。
出航時刻が迫るにつれ,なんか緊張してきている自分。長距離フェリー初&バイクである。どきどきしながら乗船。指定位置に誘導され,はよ客室行けーと促され,そそくさと客室へ。徳島の小松島に着くのは16:30。ごろ寝をしている内に眠ってしまっていた。気がつくと,もう窓の外には港の岸壁が近づいている。
下船して国道55号に出る。雨が強くなって来ている。和歌山では雲の切れ間から,太陽が顔を出していたのに。
和歌山で,私は土成のやや西にある金清温泉に電話を掛けていた。今日の宿を取るためである。さすがに,雨の中野宿する場所を探すのは億劫だし,翌日は親戚の家に顔を出せねばならない。私は大枚をはたいて,宿を取ることにしたのだった。
幸いなんとか泊めてもらえることができた。私は急いで宿に向かった。R55から国道192,県道34,12号を走り繋いで,金清温泉に着いたのは18:30だった。辺りはすっかり暗くなってきている。徳島自動車道の高架をくぐり,暗い山道を走る。
こんなとこに本当にあるんだろうか?かと思っていると送迎バスとすれ違った。間違ってはいないらしい。
宿に着き,早速夕飯をお願いした。食堂にはけっこう人がいる。遠くの方からいい気分のおっちゃんらしい歌声が聞こえてくる。宴会だろうか。
どうやら宿というよりは,地元の人の保養所のような雰囲気である。私が食事を待っていると,年配の一団が帰っていく。泊まり客は少ないらしい。
食事が来た。私はそれを掻き込みながらも,目はテレビに吸い付けられていた。
天気予報。台風来襲らしい。しかも超大型。そいつが沖縄あたりに停滞しているとブラウン管が喋っている。
・・・まじかよ。家出てくるときはそんな話聞いてねーぞ。しかも本州の方に来るとか来ないとか。
食事はあらかた平らげていた。私は沈んだ気分で温泉に向かった。
何は無くともやはり風呂である。命の洗濯。湯船につかりながら,まあ何とかなるだろうと思っていた。
投稿者 daurade : 20:41 | コメント (0)
初めての四国編1
今までは単発かつ衝動的なツーリングであったが,今回は初のロングツーリング,といってもたかだか1週間だが,そのことについてまとめとこうと思う。
まず初日。出発したのは大学2年の9月19日(日)。午前3時に自宅を出た。初のロングツーリングということもあって,今回は今までの経験と勘,ツーリングマップの情報を駆使してルートを設定した。基本的に有料道路は使わないのでルート設定と走行時間帯の予測は重要な問題である。だってツーリングで渋滞に巻き込まれて余計な体力,集中力を削ると事故につながるし。基本的には渋滞しそうな箇所を極力回避し,車線の多い幹線道路,あるいは交通量の少ない県道などを使う。まあツーリングマップのおすすめを使えば一石二鳥なのだが。
東京から西に向かう場合,主なルートは国道1号,国道246号,国道20号である。今回は初日の目的地を三重県の鈴鹿に設定したので,1号か246号に絞られる。基本的に関東を出るまでは渋滞は必至なのだが,その場合日中を回避し,夜間走行を選択する。さらに夜間走行のもう一つのメリットは,特に夏期の場合,炎天下を避けて快適に走れる点である。デメリットは,夜なので当然景色は見れない。ので初めて通る道やおすすめルートの場合は要注意。さらに幹線国道は,長距離トラックが多く走っているので,ほんっっっとがんばって走らんと怖いです。煽られること多々あり。。。私は前後左右全てトレーラーに囲まれたことがあるので。。。てゆうか夜の幹線国道はトラックだらけ。一度も私と同じ境遇のバイクを見かけたこたない。バイクといえば族ぐらいなもんである。
本題に戻る。1号か246号だったら基本的に246を選びたい。だって箱根越すの面倒だし。。。時間もかかりゃ走り屋もいる。実際1度だけ深夜西日本から帰宅途中,気分を変えようと1号の三島側を走行中に,グリッパー(ドリフトしない人たちの意,ドリフトとは・・・しげの秀一『頭文字D』なんかを読んで下さいまし)らしきレビンとR32に登りでぶち抜かれた。こんときは70~80km/hで走っていたのにあっという間であった。以来夜は1号を避けている。
というわけで,246である。厚木~秦野までは断続的に渋滞するが,夜中はそうでもない。もっともこの時夜中に出発したのは,合理的な判断だけではなく,興奮して眠れなかったからという大きな理由があったりもする。それから246は,神奈川県警の覆面パトがよく出没するので注意が必要である。私もツーリングの帰り,夜中だったが疲労のあまり集中力を欠いて,覆面をぶち抜いてとっつかまった経験がある。次の日の講義のためにあせって帰宅していたのが仇になったのだが。。。ともかく自宅から246である。
この246に出るルートは,二子玉川から246,向ヶ丘・専修大学~あざみ野経由で246,世田谷通りで鶴川まで行きこどもの国経由で246,という3つの中から気分で選ぶ。
246は夜なので比較的空いている。厚木の中心部もすぐに通過し,伊勢原,秦野もこの時間帯ならばかなり流れはよい。秦野を過ぎると徐々に山間部に突入していく。まあ夜中なので景色の変化はわからんが,両側に迫ってくる山体の迫力というかプレッシャーはかなりのものがある。なんというかそこだけ闇が濃いというか,そんな感じである。松田を過ぎると信号の間隔も開きが出て,かなりスピードが出る。山北,谷峨を過ぎるともう静岡県である。そっから先はほぼ直線。御殿場,裾野とハイスピードで駆け下りてゆく。大体沼津まで2時間程度だろうか。不思議なことに御殿場あたりに差し掛かると「いってきます」という気分になるのだ。まあ,関東を出たということである。
夜も白み初めて,テンションも上がってくる。沼津から国道1号に乗り換え,今度は静岡突破を目指す。右手には愛鷹山。その背後にうっすらとではあるが,富士山も見える。これらを眺めながら,湿地帯の中を走り抜けていくのはなかなか気分がよい。ええ,よそ見はだめですね。富士の手前あたりで1号は高架になる。ちょっとした高速気分だが,対面通行なので結構怖い。。。そのすぐ右側を新幹線が走っている。新幹線に抜かれるとわかっていても結構くやしい。この辺りは製紙工場とかがあり,高架の上から工場内に積まれたチップの山が見える。ここを走ると毎回思うのだが,あの独特の甘酸っぱい匂いはなんなのだろう。
そうこうするうちに高架は終わり,道の駅富士を過ぎると富士川である。富士川を渡り大きく左にカーブすると,目の前は太平洋。ここから清水までは海沿いをひた走る。この辺りは東名高速と併走しているのだが,下手すると国道を走っている車の方が速いのである。。。私も1度高速を走っている車を抜いた事がある。なんかねえ,がんばれちゃう道です。ここ。
興津~清水区間は時間帯によって渋滞する。特に東名高速の清水インター付近,静清バイパスの高架入り口。上り下り共に渋滞するので要注意である。高架は丸子まで続き,対面通行なので走行には注意したほうがいい。丸子に到着したのが,確か6時半くらいだったと思ったが,給油しようと思い静岡市街へ国道1号の本線を戻った。しかしガソリンスタンドがことごとく閉まっている。。。さすがにガソリン無しでは相棒も鉄の塊だ。途方に暮れてバイパスへ引き返したのだが,一軒だけ建物の明かりがともっているスタンドがあった。7時開店とあり,しばしスタンドの前でたたずんでいたら,私の姿に店のおっちゃんが気付いてくれて,特別に給油してもらえたのであった。
地方に出かける場合,日曜はスタンドといえども休みの場合があるので,残量には常に気を付けるべし。基本だが最重要である。
1号のバイパスに戻り,宇津ノ谷トンネルを越えると藤枝である。このあたりになるとややテンションが下がる。車のナンバーも東京周辺のやつないし。。。
。。。えれーとこきちまった。帰りてー。。。いやいや!中途半端に遠いから,帰るのも面倒なので先に進まねばならぬ。
1号線はバイパスがかなり整備されているのだが,藤枝,掛川,磐田,浜名のバイパスは有料道路なので,今回は断固として走らなかった。今回はというのは,これらのバイパス,22時から翌朝6時までは無料になるので以降はかなり利用した。しかし1車線の上,上記の時間帯はトラックしか走っていないので非常に気力,体力共に消耗する。
藤枝市街は断続的に渋滞する。島田バイパスは流れがよい。大井川を渡り,金谷バイパスで牧ノ原台地の上へ登る。日坂を経てバイパスを断固拒否して,掛川市街地へ。袋井を経てまたまた磐田で市街地走行。天竜川を渡り,南に進路を変え,中田島砂丘を経て浜名湖を渡り,再びバイパスに復帰する。バイパスは高架なので,眼下には遠州灘が広がり気分は爽快である。調子に乗ってあまり立ち乗りなどはしないよう心がけたい。
個人的には,藤枝,磐田,掛川,浜名の順でバイパスの利用価値は下がっていくと思う。少なくとも前の2つは使って損はないと思う。というか,たいした値段ではないので普通の方は使った方がよろしいかと思う。今回私は断固として使わなかったが。
遠州灘を背に北上すると,もう愛知県内である。非常に静岡が長く感じるのは私だけであろうか?ここから豊橋までは1号で行くのだが,豊橋からは国道23号を使う。ちなみに豊橋の手前の二川辺りで富士と同様新幹線に再接近する。まあ,当然チキンレースしますわな。でものぞみはめっちゃはええ。。。
豊橋からは23号なのだが,豊川を渡った辺りの河川敷で休憩をした。9時過ぎ。さすがに疲労のピークである。30分ほど休み,23号で蒲郡へ。23号は蒲郡までは三河湾のシーサイドライン。流れもかなりよいし,快適な道である。蒲郡からはやや内陸に入り,矢作川の手前あたりから高架のバイパスが名古屋まで断続的に続く。ほとんど高速道路と変わらない。
個人的に思うのは,バイクにとっての快適な道路とは何かというと,流れのよさと周囲の風景の面白さ,道自体の面白さ(アップダウンやワインディングなど)と,道幅自体のスケールがあると思う。実際走り比べて見るとわかるかもしれないが,仮に国道1号の宇津ノ谷付近と蒲郡~矢作川までの国道23号を比べてみる。風景や車の流れはほぼ変わらないとしていいと思うが,1号は片側3車線,23号は大体において1車線である。私はバイクで走るなら23号の方が面白いと思う。その理由のひとつに1号はバイクに対してスケールが大きすぎることが挙げられる。トラックや乗用車のための道路であるから当然なのだが。ゆえに走っていても快適は快適なのだが,1号は興ざめしてしまう。人工物がでかすぎる。
話がそれてしまった。23号の高架バイパスは渋滞しなければかなり快適である。名古屋までの距離表示が2桁になると俄然テンションが上がる。沼津あたりの表示で名古屋まで200kmとか表示されても,やる気のやの字もでねえ。。。あれって意味あんのだろうか。ああ,また逸れた。。。23号の周りは田園風景が広がり,眺めも良い。名古屋に入るとさすがに車の量は増えるものの,ここから庄内新川までの区間は我慢である。飛鳥,弥富を過ぎると三重県に入る。木曽川,長良川を渡ると桑名,四日市。23号も名古屋から四日市にかけてはトラックがめちゃ多いので要注意。
四日市を過ぎてからまた国道1号に復帰し,鈴鹿を目指す。といってもここまで来れば鈴鹿は目と鼻の先である。今回は鈴鹿サーキットの隣,青少年の森公園に宿泊した。ここのテント場は無料である。ただし,事前に予約しないと,私みたく管理人に嫌み言われます。ただこの日は空いていたので大丈夫だったが。この公園についたのが13時。ちかくに温泉(確かさつき温泉だったか)があるので,昼寝をしてから温泉に入る。
温泉は最高。まじで最高。飯は食わなくても温泉は入るべきであると断言できる。温泉に入ると飯なんかどーでもよくなる。飯なんかいらねーって。
まあ一応は飯は食おう。夕食は飯ごう炊さん。缶詰にみそ汁である。20時就寝。
走行距離約400km。10時間の行程であった。次回に続く。。
投稿者 daurade : 20:37 | コメント (0)
中津川~大弛峠編
このルートは私のお気に入りのコースである。初めて行ったのは99年の5月初旬で単独行動。以来単独・複数も含めて大体年に1度は行く。初回の単独行は大弛峠が通行止めだったため迂回。2回目はAtとのバディで完走。3度目はSM,Tktさんとで行くも大弛峠を越えた先で通行止めのため戻って迂回。あとは行ったかもしれんけど忘れた。。。
というわけで,ここでは一番印象に残っている2回目を紹介しておくことにする。確か99年の秋だったと思う。Atが免許をとってバイク(セロー)を購入して初のバディツーリングだったのがこのコースだった。かもしれない。
朝大学に集合し(6時頃かな),国道16号~国道411号で軍畑へ。そこから都道53号で名栗,そして国道299号で秩父へ。名栗にも探せば林道有り。ただしピストンだと思うが。53号は情緒があり,おすすめルートである。
秩父から国道140号を秩父湖へ荒川沿いを遡る。この日は確か秩父に出た所で朝食を取った。当時のブームはAtがおでん,私が肉まんであった。基本的にコンビニにそれらがある限り季節に関係なく食べていた記憶がある。なぜなら,寒いから。。。
真夏でも早朝山間部などを走ると風邪引くほど寒い。バイクを快適に乗るコツのひとつは,如何に快適な環境を維持するかという点に尽きる。まあ,投資をすればそれなりに揃うのだが,そんな事はおっさんになってからの事で,若いうちは集中力と創意工夫で乗り切るのがベターであると思う。
さて本題の林道に移ろう。秩父湖から北に,県道210号に入り中津川渓谷へ。この道は狭い上に,たまにダンプがブラインドコーナーから突撃をかましてくるので要注意である(まあ,ダンプの運ちゃんにすればおめーらこんなとこ走ってんじゃねーってとこだろうが)。途中からダートになり,渓谷沿いから徐々に峠に向かって勾配とカーブが急になってくるものの,全体的にはフラットな路面で走りやすい高速ダートといえる。
実際地元では有名な林道であるらしく,タイムアタックをしている連中も見かける。さすがにセローでツーリング気分で来ているのでぶち抜かれるのであるが,それでもカチンとくる。まあでもこの林道ならば走り屋が出没してもしょうがないだろうなあ。。。それくらい面白いのだ。しかし調子に乗ってはいけません。まれに普通車が通行するので,スピードの出しすぎは死に繋がります。普通車が何とかすれ違える道幅だし。。。あと普通にオンロードのビッグバイクとすれ違った時は正直驚いた。彼は勇者であると思う。
この中津川林道を登り詰めると三国峠であるが,埼玉側は深く浸食された渓谷,長野側はどちらかと言えば高原のような景観であり,峠を境にがらりと変わる景色も見所のひとつである。
県道68号から川上牧丘林道へ突入するのであるが,この林道こそがこのコースの真骨頂といえる。中津川が前座として霞んでしまう程のレベル。大弛峠付近が標高およそ2300m,68号が標高1300mほどであるから1000mほどの標高差を一気に駆け上ることになる。しかもガレたダートのつづらおれである。
路面状況はサッカーボールほどの礫がゴロゴロしており,走りごたえは十二分。周囲の植生もカラマツからシラビソに移り変わっていく(多分ね。。。確認してないけどそうだった記憶あり。というのもダートに夢中で景色を堪能するゆとりはなかったので。。。今度じっくり味わいたいものである。)のも見応えがある。あと注意が必要なのはこの林道12月1日から5月末までゲートが閉まっている。これは積雪のためである。行こうと思えば行けるが,まあ薦めない。1UPキノコを大量に保持している方,もしくは全滅しても所持金が半分になるだけで復活できる奇特な方は自己責任でどうぞ。。。
さてこの時は年に一度あるかないかの好天であった。峠までたどり着いた我々は一休みしていたのだが,At殿がなんと山に登りたいとのたもうたのである。。。
いやね,気持ちは分かります。でもね俺の靴これですもん。。。

めっちゃ重いし,足首うごかねーし。。。あー,のりのりで聞いてねーや。そうっすか。はい,行きましょう。
山登るの大学一年のワンゲルの養成合宿以来。。。いや大学の高尾山巡検以来か。。。まあ天気もいいしねってことで登りました。ちなみにAtさんは例の靴です,無論。いやーこの登山きつかった。。。Atはすいすい登ってくんすけどね,こっちは飛雄馬もびっくりくらいの養成ギプス。思いっきり酸欠になりました。しかも下山者にそんな装備できちゃあかん言われました。もう仰る通り。いっぱいいっぱいです。
この時は国師ヶ岳に登ったのだが,ピークからの眺めは筆舌に尽くしがたい!雲一つない青空。遙か彼方に富士山,南アルプス,北アルプスが望め,我々はその場に立ち尽くしたのであった。今までで一日中見ていても飽きないと思ったのはこの時と瀬戸内海の島から見た船が行き交う瀬戸の風景である。
下山したあとは甲府に向かった訳だが,ここから先はあまり覚えてない。。。確か殆ど舗装路で水ヶ森林道はダートだったのは覚えている。この辺りは林道が入り組んでいるものの殆どが舗装されていたと思う。この時は危うく迷子になりかかった。。。夕方になり日も暮れてきてちょっと涙目であった。まあなんとか甲府まで下りてこれたのでよかったのだが。
なぜかこのルートで来ると国道20号のとある吉野屋辺りで腹が減る。今まで何度ここで食べたことか。。。あとは国道20号で帰るだけなのだが,20号混むんですよ。特に大月~相模湖までが。さすがに渋滞はいやなので,大月から国道139号に入り,そこから主要地方道35号へ。この道,津久井の方への抜け道らしく,けっこう交通量が多い。昼間走ってもなかなかの風情がありそうであるが,ほとんど街灯がない上に,かなりトリッキーな道である。そして県道517号~主要地方道76号~県道518号を経て国道413へ。初めてのルートな上に案内図もない。しかも街灯無しのガードレールも無い。おまけに1.5車線だし。。。迷子になったと思いつつ,ほぼ勘でなんとか国道に出た時はかなり感動した。あとは橋本経由で帰宅。
走行距離はざっと300km。時間にして13時間ほどだったかな。
投稿者 daurade : 20:28 | コメント (0)
部屋の話 不思議系
さらにその部屋の事をもう少し。
築何十年の木造家屋だったから,かなりのボロさなのは察してもらえるかと。でもまあそんなに不気味だという訳ではなかったと思う。その土地自体がやう゛ぁーくなければの話だが。
昔の我々の部屋。こんな感じで寝てたのよ。
んである朝起きたらこんな感じで寝てたのね。ぱっとみなんてことないけど,これ私的にはミラクルだと。いくらなんでも180°回転して,かつ隣の布団で寝てたなんて,アクロバチックなことになるものなのだろうか?あまりに不思議なんで今でも覚えている。無論,後にも先にもこんな事は一度だけ。
この部屋にはよくTnちゃんなんかが遊びに来ていた。なんというか風通しのいい部屋・・・・というか家自体が風通しよくて,しかも庭にはでかーい木がたくさん植わってたから,夏なんか扇風機すら不要。冬は氷が張るほどだったけど。まあほぼテント並の環境かと。で,Tnちゃんは夏なんか部屋に来て昼寝すんのね。お互い一言も喋らず,畳に雑魚寝で。そんで,夕方になって腹へると帰んの。なんか不思議な魅力のある部屋だった。
あとこの部屋には体重制限みたいのがあってね。図の下側に向かってボールが転がるのよ。正確には右下の隅に。てか傾いてんの,部屋というか,家自体が。柱が腐ってると。だからK-crとかが初めて来て,その隅の方に座ったときは,俺マジ切れしたし。あいつ冗談だと思って,しつこく行こうとするから。ボール転がしてやったよ。百聞は一見にしかずってね。若干顔引きつってたけど,あいつ。
部屋ではないけど,出入り口を出ると階段に行く通路になってて,その通路には窓があった。木枠のマジでボロい窓。枠の角が風化して朽ちてる。そんなの。もう,開けるときは最新の注意で,分解しないようにするような代物。んで多分私が高校くらいの時だったと思うが,朝起きて下に行こうと部屋をでたら何となく違和感。なんかやけに景色が鮮明だなと。寝ぼけ眼で窓に触れたら
??
正確には窓ガラスの感触が無かった。言うなればキャイーンの天野くんのメガネ状態。外みたら下の地面に窓ガラスが手裏剣のようにサクッと。もうここまでくると面白くてしょうがない!ネタかと。俺を笑い死にさせたいのかと。ガラスはめんの無理だから,結局透明のビニールテープ貼って雨風しのいで,取り壊すまでそのまんまだった。
そんな部屋の話。
投稿者 daurade : 18:13 | コメント (0)
対岸の火事 怖い話6
ある日弟Tが言った。昔金縛りによく遭ったと。
私が大学に入るまで,Tとは相部屋だった。大学に入るまでというか家を建て替えるまでは。今は兄弟3人相部屋という環境だが。。。母屋の2階の南側の部屋が我々の寝室だった。
あーもうディテールまでは思い出せんが,こんな感じであったと思う。微妙に方位がずれているかもしれない。まあそれはいいとして。弟が言うにはそれは小学生ぐらいの時らしい。多分私は中学に上がっていたと思う。
本人はずいぶんへこんだらしい。その事があった当初は。今も元気にやってるから心配はしていないけど。個人的にはね。
まあよくある話ですよ。寝てたら金縛りにあって,耳元で若い女に「殺す」みたいなことを言われたとか。
ていうか思い出した。当時よく弟は金縛りに遭ってて,朝起きて飯食ってると,なんかうれしそうに「昨日金縛りにあっちった!」とか言ってやがんの。テストで100点とったんだぜい,みたいなノリで。ぜんぜんうらやましくないっての。朝からバカかと。
ちなみに,私は今まで金縛りには遭った事は無い。
てか隣でなるなと。
そしておねいさんと交信するなと。
さすがに弟もコンタクトをとってしまった時は,即座には言わなかったけどね,さすがにへこんでたから。
考えてもみて欲しい。この至近距離で何をやってるんだ?こいつ。どっちの耳に吐息をかけられたかしらんが,今思うにせめてテレビ側であって欲し・・・・・。うーん,でもそれだと何か俺と目が合いそうだから,反対側。いやいやいや,それだと一緒に川の字になりかねないからなあ。。。てかよそでやれ。これに尽きる。
なお,私はTが恐怖体験をしていた隣で熟睡していたとさ。
投稿者 daurade : 18:00 | コメント (0)
蛾ぁぁ! War in the room
小さい頃は虫,大好きっこでした。家にたくさん木が植わってたから,虫どころか,蛙や蛇なんかもいた。食物連鎖を間近で見て育ちました。夏になるとカブトムシなんかも庭で取れたので,それはもう自慢の種であった。住宅地の真ん真ん中ですから。それはいいんですがね。。。
でも,そんな生活も小学生まで。思春期に入るにつれ,虫がそんなに好きではなくなっていった(あまり関係ないけど)。
特に蝶系。まだ蝶はいいけど,蛾ね。コインくらいの大きさならまだしも,子供の手のひらくらいになるともう最悪。例えば夜,わいわいと兄弟でテレビ見てるじゃないすか。で,どこからともなくモスラが入ってくる訳ですよ。飛んで火にいる・・・って来なくていいです。むしろそっとしておいて欲しいんです。うちボロだったから網戸なかったのよね。(ちなみにこの写真,心霊ではないです。Sgrです。離れから撮った母屋で,奴が映っている部屋が我々兄弟の部屋だったわけで。)
そんでね侵入者があると,ぴたっと会話が止まるんです。ちなみに弟らも嫌いなの,奴。
第二種戦闘配備。そんでまあ見なかったことにする訳ですが,既に集中力をテレビと奴に分散せねばならんので,笑い声も弱々しくなったりもします。そんでね我が家での一番の強敵は‘白い奴’だったのね。で,仮に白いのが何をトチ狂ったか乱舞したとするでしょ?
WARNING!WARNING!
総員第一種戦闘配備!各員持ち場に・・・
!!!
部屋には私しかいない。弟2人すでに部屋の外に。敵前逃亡ね。新撰組なら局中法度で切腹,間違いない。しかも,日頃の仕返しとばかりに,ドアが開かないようにふんばってんの,廊下で。まじでパニクったね,あの時は。布団で簀巻きにされて,どかどか乗られた以来のパニック。
とまあ,これは極端な例だけど,蛾が入ってくると確実に弟Tは部屋から姿を消す。しかもスカウターに反応しないくらいの戦闘力で。
そんなある夏の日,白い奴来襲す。乱舞する前になんとかせねば・・・。
!布団の上にモデルガン。やられる前にやるしかない?!私はそれを手にとって照準を白い奴に合わせた。Tは撃つなというが,もう既に部屋は戦場なのだ。何をばかなことを・・・。私は引き金に指をかけた。墜ちろぉぉ!というのは言い過ぎ。なんせ100%当たるとは思ってなかったし,威嚇すれば戦闘空域から離脱すると思っただけだったのに。
直撃。
目が点。白い鱗粉がスローモーションで宙を舞う。美しい。
・・・天才?Nタイプ??次元クラス???などと思っていると,T絶叫。その声で我に返る私。
T「あれ誰が処理すんだよ!!」
・・・・ぼ,僕は取り返しのつかないことをしてしまった・・・??
怒り狂うT,呆然とする私。それをしりめに,弟Rは部屋を出ていった。数分後,R,魔人と共に降臨。
私・T「あっ」
魔人,素手で白いのを掴み,窓の外へ。
終戦。
母親,恐るべし。
投稿者 daurade : 17:56 | コメント (0)
猫たち
私が物心ついた時には猫がいた。名はクロという。クッチャンと呼んでいたと思う。クッチャンに関してはあまり記憶がない。小学校に上がるくらいに死んでしまったから。しっぽをにぎにぎすると,情けない声を出していたことくらいしか覚えていない。当たり前といえばそれまでだが,怒りもせずよく私の相手になってくれていた。
犬も飼っていたことがあるらしいが,私は知らない。だからどちらかといえば,猫が好きである。しかし,である。母は大の猫嫌いなのだ。どんなに頼んでも,猫を飼うことは許されなかった。他にも理由がある。我々3兄弟,猫アレルギーらしいのだ。猫の毛が目にはいると,めちゃめちゃかゆくなるし,咳が止まらなくなる。これを言われちゃ,その場では我々も引き下がらざるを得ない。
建て替え前の我が家は,野良猫のたまり場だった。だから猫がいるにはいるのだけれど,所詮は野良猫。ふてぶてしいこときわまりない。ただ飯食って,いなくなる。これ,ずるくない?確かにね,こちらの意志で餌あげてますよ。まあ直接私らがあげてる訳ではないけど。でもね,中には焼き魚くわえて逃げ去っていく輩もいましたよ。サザエじゃないから追いかけはしません。くやしいけどね。
まあまあ,猫なんだから気まぐれだよ・・・・ってのは大人のご意見です。子供はね,餌あげますでしょ?そしたら,猫食べますわな。うまそうに。よしよし,たんと食べや。・・・・・・おお,完食ですね!お?こっち見とる。あら?なに?もう行くの?いやいや。ちょっと!お?振り返った。こっちおいで・・・・!!逃げた・・・。
遊べやっっっ!!!俺と!!
ギブアンドテイクしらんのかっ!餌食ったんなら,俺と遊べ!こう思うはず。
まあそんな訳で,家に来る猫はあきらめた。そして,我々兄弟は強行手段を裁決したのだった。遠征。それは私が小学4年くらいのこと。近所の小屋にいる子猫を捕獲し,我が家にご招待し,強引かつ子猫の魅力をもって母親を屈服させるというミッションであった。
結果。失敗!いやね,網にはかかったんだけど,詰めが甘かったねえ。。。
そんなこんなであきらめかけた頃,我が家に一匹の猫がふらりと現れた。茶色のトラ猫,隻眼である。名をハッピーという。家に来た時点で,かなりの老体であったと思われる。動き鈍いし。でもなんか居着いてしまった。私も結構かまってもらった。その上,雑誌に載った。なんか猫の雑誌に。それがさ,一番面倒見てんの私ですよ。そんなのにね,雑誌にでかく写真のってんの,弟Rなのよね。しかも,素手で撫でてないのですよ,ハッピーを。袖引張って手隠して,それで撫でてんの。それがデカイ写真で載ってやがった訳。なんかさ,どうなの?って思いません?まあいいけど。
さらに私が小学5年か6年くらいのころ。またまた我が家に猫がやってきた。グレーのトラ猫。とらと名付けた。このとらと入れ替わるように,ハッピーは姿を消した。といっても2匹は1年くらい,我が家にいたと思う。ハッピーが姿を消したのは,老衰による死期が近づいたためと思われる。猫にも個猫差(?)があるらしいが,野良猫は己の死に様を人には見せないものだという。ハッピー,モノノフであった。その後はとらが我が家に居着くことになる。
このとらという猫。やりたい放題であった。私の布団で用を足すし,飯時になるとギャーギャー鳴いて催促し,食い終わったら私の膝に乗り,それに飽きたら玄関の前で,開けろや!こらぁ!,こちらが寝ようと思う頃,玄関の外で入れろや!ボケェ!である。その頃には,猫はそんなもんだということがわかってきたので,別にどうということはなかったが。
そんなある日。それは寒い冬の朝であった。
にゃあ にゃあ にゃあ にゃあ にゃあ!!
・・・っるせえ・・・。なんだ?あのバカ猫・・・。何絶叫してんだよ・・・。知らん知らん,無視だ無視。
にゃあにゃあにゃあにゃあ!!!
くわっ!まじ,うるせえ・・・。今何時だよ?・・・私はちらりと枕元の時計を見た。六時半・・・。!?まじ?何で1時間も早く起こされなきゃなんねーんだよ・・・。
にゃあにゃあにゃあにゃあにゃあ。
あー!わかったよ!!!なんだよ,このバカ・・・
!!!
飛び起きた私の目に飛び込んできたのは,炎。
ベッドの脇のガスストーブにタオルが落ち,燃えかかっていたのだ。その炎の前で泣き叫ぶ,とら。飛び起きた私は,タオルをうち払い,炎をもみ消した。
もし,あのとき無視していたら,私は今ここにいないだろう。とらはギブアンドテイクを熟知していた。そしてそれを使うべき時に使った。私はそう思う。
猫は家に憑くという。とらは家を守るために仕事をしたのかもしれないが,家族で気付いていたのは私だけだった。私ととらの間に信頼関係(?)が無ければ,ちょっとした変化に気付いてやれることが無ければ,私は死んでいたかもしれない。どんな理由があるにせよ,大惨事になっていた可能性は否定できない。
そんなとらも私が高校のころに逝ってしまった。以来我が家で猫を飼うことはない。
投稿者 daurade : 17:50 | コメント (0)
ベビーカー 怖い話5
Sgcから聞いたのか,それともM宗に聞いたのか。よく覚えていない。この2人ワンゲラーである。かくいう私も,大学1年の最初はワンゲルに所属していた。それもこれもSkjの口車に乗せられてであった。
この話を聞いたのは大学3年か4年の頃だった。この時はとっくにワンゲルを辞めていて,バイク三昧の日々であった。そんなある日。
学生室で聞いた記憶があるから,おそらくM宗だろう。なぜこの話になったかはわからない。私が山での怖い話を聞かせてくれと頼んだのだと思う。
それはワンゲルの夏の合宿での事。北アルプスを縦走していたらしい。メンバーまでは記憶にないが,M宗ほか5人くらいいたらしい。山道を歩いているうちに,霧が濃くなってきたという。先頭との距離があき始め,彼は後続のメンバーと共に先を急いでいた。後ろでメンバーが雑談していたのが急に止まった。沈黙のまましばらく歩き続け,他のメンバーに追いついた。
見ると一緒にいたメンバーの顔色が悪い。彼らがいうには先ほどすれ違った人がいるという。M宗は気付かなかったらしい。しかしそのすれ違った人は尋常ではなかったという。なぜなら,ベビーカーを押した女性だったから。
とまあこんな内容であった。真偽はともかく,映像としてはかなり怖い。できればお目にかかりたくないもんである。
投稿者 daurade : 17:47 | コメント (0)
単刀直入
私が小学5年くらいの時のこと。友人らが我が家に遊びに来た。というか帰宅途中に話が盛り上がり,我が家で決行しようとなったのである。
Sっちょにはずっと好きな子がいて,帰りの道すがらもずっとその話をしていた。どうにかこの思いを伝えたい・・・・
よっしゃ!なら作戦会議だってことで我が家を提供したのである。Sっちょと私を含め,4人程度だったと思う。ガキンチョが雁首揃えて,あーでもない,こーでもないと話をしている時,不意に誰かが言った。私が言ったのかもしれないが,その子に電話を掛けて告白すればいい,と。Sは直接は無理だけど,それなら・・・,ということで急遽我が家から電話を掛けることになった。
その子はクラスメートだったから(確か),連絡網をみて彼に番号を教えた。Sっちょは受話器を取り,ダイヤルを・・・・
回さない!回せない!ついつい見守る我々も力んでしまう。
気を取り直して,もう一度。Sっちょの人差し指が,彼女の番号の順で規則的に弧を描く。部屋は静まりかえっていて,隣のやつの息づかいが手に取るようにわかる。Sの顔が引きつってピクピクしている。窓の外からはセミの声が響いて,時間が進むのがやたら遅く感じる。
RRR・・・・・・ RRR・・・・・・ RR
「もし・・」「好きだっっっ!!!!」ガチャ!!!
!?
Sっちょ絶叫。我々唖然。Sっちょは受話器に手を置いたまま,微動だにしない。沈黙の呪縛をふりほどき,誰かが言った。
「・・・・で?どうだった?」
Sっちょ「父ちゃんが出たっぽい・・・・・」
投稿者 daurade : 17:45 | コメント (0)
不揃いで薄汚れていた気が・・・ 怖い話4
以前,弟Rとツーリングに行った時のこと。
Rが高校2年くらいだったと思う。Rもセローを買ったので(弟どもは真似ばかりしやがる),鍛えてやろうと思い,南アルプスに連れて行った。林道を何本か走らせて,レベルを上げちゃろうと思ったが,やめておいた。彼の装備がないからだ。そこで山梨の芦安村・広河原に行って帰ってきた。
それ以前に私はひとりでそこに行ったことがあった。バイクで手軽に行ける範囲(私の中で)では,景色もいいし,経験も積める絶好の場所のひとつだろうと思い,彼を連れて行った。朝五時に出発予定が,私の寝坊のせいで10時に出発。弟は出掛けないつもりだったらしいが,そんなもん知るか。寝不足はいい仕事と美容の敵だ。
ではあるが,さすがにちょいと飛ばして行った。まあ経験上その日の内には,帰宅できるのはまず確実ではあったが。
道志川沿いの国道413を山中湖まで抜け,国道138・139で精進湖へ。そこから国道358で国道20まで出て,芦安に向かった。峠を何本も越えていく中で,夜叉神トンネルは別格に怖かったらしいが,それを含めてひよっこにはいい経験だと思っていた。
広河原で一休みし,帰りも同じ道を辿った。R358の場所はどこだか定かではないが,とある民家も疎らになり,山道に差し掛かった所だった。当然私が先頭を走っていたのだが,前方の路上に何かが散乱しているのが見えた。片側1車線の道であり,我々が走行している車線のみにそれらが散乱していたので,私は苦もなくかわした。かわしながらそれらを見ると,奇妙な違和感を感じた。
それらは子供用の靴だったから。
20足程度はあったろうか。それもデザインがまちまちでサイズも揃っていないように見えた。Rもそれらをかわして私の後ろをついてくる。前にも後ろにも,対向車も来ない夕暮れの山道である。
私は前走車がトラックかなんかで積み荷がばらけたのかと思った。しかし・・・と思い直した。靴が散乱している形が妙なのだ。普通荷台から落ちたなら,進行方向に長径が延びる楕円のような形になるはずである。しかしそれらは,進行方向に直交するような長径を持つ,楕円形をしていたのだ。
では道の脇から誰かがばらまいたのだろうか?しかしこんな山道で?民家は散在しているが,それほどの量の子供靴を必要とするようには思えない。では,一体・・・・?
私は考えるのをやめた。峠で余計なことを考えていたら,命がいくつあっても足りない。私は疑問をひとつでも減らすべく,前走車の有無を確かめようとスピードを上げた。Rも恐らく別の意味で私に食らいついて来た。
結局,精進湖からR139に出るまでに車を捉えることは出来なかった。あれは見間違えだったのだろうか・・・?
道の駅なるさわで,私は一休みすることにした。バックミラーに映る弟が,かなり疲弊しているように見えたからだ。バイクを降りると,弟が青い顔で私の所に来た。疲れているな,私はそう思った。
「兄貴さ,さっきの何?靴?」
どうやら見間違えではなかったらしい。私は,小さくうなづくと
「気にするな。気にしたら負けだ。それにまだ家に着いた訳じゃない。」
弟はうなづくと足早にトイレに行った。私はタバコに火を付けた。何も考えないようにして。
その日の夜,無事に家に着いた。Rは色んな意味で疲れ切っていた。以来,2人でツーリングには行っていない。
投稿者 daurade : 17:42 | コメント (0)
それでもやっぱ振り返る気はしない 怖い話3
よくある話かもしれない。
このサイトを御覧になってくれている方はご承知の事と思うが,私の趣味はツーリングである。そのツーリングにまつわる話をしようと思う。概ね本州は廻ったことになる。山陰,北陸を除いて。あとは九州,沖縄を巡れば,全国ほぼ行ったことになる。
ツーリングの移動には,夜間走行をする。大抵は交通量の多い国道の場合が殆どで,街灯もないような山道を夜間走るのは稀だ。特にひとりの時は。なぜなら,セローの光量では心許ないから。私が常々不思議に思うのは,不可解な現象に直面するのが夜間でも交通量の多い国道の場合が多いことだ。たまに昼間でも同様なことは起きるが。
荷物を積んでいても,基本的にそのような国道を走る時は,制限速度+10Km/hで周囲の流れに乗るように走る。それでも抜かれることはままある。それは仕方ない。そのような時,ほとんどの車はパッシングやクラクションを鳴らさずに抜いていく。もちろんどちらか,または両方をされて抜かれる場合も多い。特にその場合,運転者と目が合うことが多々ある。普通追い抜く時に,抜く車輌のドライバーを直視するだろうか?
別段どうということはない。そんなときは,経験上後ろの荷物を確認する。一度だけ荷物が落ちたのを抜きがけに教えてくれたドライバーがいたから。しかし,荷物が吹っ飛ぶことなんて,よっぽど適当に荷造りしない限り,一般道ではありえない。
走行中は余計なことは考えない。しかし,2車線ある国道(もちろん夜間だから空いている)の左を走っていて,右側の車線を走ってきた車に抜かれる時に,クラクションを鳴らされてからは少し考え方が変わった。一体彼らは「ナニ」を注意したのだろうかと。
深い意味は無いかもしれないし,頑張れ!という意味かもしれない。しかし,ある体験をしてしまってからは少し認識が改まってしまった。
それはロングツーリングからの帰りで,国道246で東京に入り,あと少しで自宅という所だった。時間は既に午前。深夜ながら246は交通量が多い。とある交差点で信号待ちをしていた時,私のすぐ背後で,
カン!!
という大きな破裂音がした。すぐ私は振り返った。なんのためらいもなく。普通ならば,バイクの故障,特に音といい,場所といい,排気系のトラブルを予想するだろう。もしくは,後続車になんらかのトラブルが起きた,と。
話を少し先取りすれば,排気系を含めバイクのトラブルもなく,後続車もいなかったのだ。私は振り向いた瞬間,こう思った,といういうより感じた。
アア,イナクナッタ。アリガトウ・・・・・・・・・・!?
いなくなった?何が?ありがとうって誰に?無意識にそう感じておきながら,私は自問した。ただ,何故か涙が出そうになった。パニックにはならなかった。むしろ自然な成り行きでそうなったと感じた。
信号が青に変わり,私は走り出した。無事に家に着くと,何事もなかったように眠った。非常に疲れていた。
あの時の感覚は今でもよくわからない。ただ,そう思ったことは間違ってはいないと感じる。以後,この出来事と先のパッシングが繋がるような気がしてならない。
そう,誰かが後ろに乗っている?そんな事を思う。
それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。しかし,今まで死にそうで死ななかった,事故になりそうで間一髪免れたこととかの頻度を鑑みて,私はいい方にとっている。
投稿者 daurade : 17:38 | コメント (0)
アシュラ男爵 怖い話2
中学から高校時代にかけて,多摩川で野宿をするのがブームだった。高校の仲間内では私が流行らせたのだが。。。その高校時代の話をひとつ。
いつものように教室でY,Tkc,S,Hs,Rtr,Kj,Msらと雑談をしていた。夏休み明けだったかと思う。どんな話で野宿の話題になったか覚えていないが,中学時代の話をすると皆が食いついてきた。道具はある。結局予定が合うYとRtrのみが参加することになったのだった。その話の途中,Sが「布団はどうやって持ってくの?担いで?」などとのたもうて,一同唖然としたのが今となっては懐かしい。
野宿といってもテントを張って,たき火をし,徹夜でなにするとはなしにぼーっとしているだけである。しかし,夜の多摩川はなかなか雰囲気がある。まだ,残暑が厳しい時期で町中は蒸し暑い。だが,土手を下りると急激に肌寒く感じる。野宿をする場所にもよるが,この時は宿河原堰と小田急の鉄橋との間に陣取ったと思う。この場所はさほど肌寒くはないが,少し下流の林の周辺は鳥肌がたつほどである。中学時代はよくその林でやっていたが,この時は場所を変えた。
土手からたき火が見えないようにし,我々4人(Tnちゃんも参加していたと思う)は,たき火を囲んで雑談をしていた。時間にして21時過ぎくらいだったように思う。ふと,会話が途切れた。その時下流の方から声が聞こえた。
「タスケテ」
一瞬私は固まった。空耳だと思った。しかし他の3人も固まっている。彼らの顔をゆっくり見回し,私は言った。「今,何か聞こえなかった。。。?」3人は静かにうなづいた。普通に考えたら,何かの事件・事故がリアルタイムで発生しているという所が妥当だろう。レイプ,殺人・・・。
しかしこの事が頭をよぎったのはほんの一瞬だった。それは恐らく3人も一緒だったろう。なぜなら,その声は男の声でもなく,女の声でもなかった。あえていえばその両者が混ざったようなものだったのだから。その声はとても低く,しゃがれていて,そして柔らかかった。
その後は変化もなく,まして誰も見に行こうとはしなかった。Rtrは一度,腰を上げたが結局行かなかった。私が止めたのもあるが,彼もその異常さに躊躇したらしい。恐らく我々の判断は妥当であったものと思う。そう思いたい。我々は夜明けまで一睡もせず,日の出と共に撤収した。
投稿者 daurade : 17:34 | コメント (0)
どんぐりって意外と痛い 怖い話1
さてまずは小手試し。
いつの頃か忘れてしまったが,確か高校から大学入ってすぐの頃だったと思う。
自宅から東南の方向に,K中学校がある。その近所に公園があり,そこにはちょっとしたグラウンドがある。そのころ,よくそこでTnちゃんなどと野球をしていた。
夕方一人でそこに自転車で向かっていた。友人と待ち合わせしていたのだ。その日は天気もいいし,風もなく野球には持ってこいの日だった。私は鼻歌まじりの上機嫌で,チャリを漕いでいた。家を出ていくつかの角を曲がり,畑の脇を通り抜け,H神社の横にさしかかった時だった。
その神社は鬱蒼と樹木が生い茂り,昼間でも薄暗いのだが,個人的にはそんなに嫌いではない。夜ひとりで散歩するのは怖いが,嫌いというのとは違う。
さて神社の角を曲がり,K寺と神社の間の道に差し掛かった時である。その通りは,両脇に樫の木が道に覆い被さるように並んでいる。その向こうからママチャリに乗ったおばちゃんが来る。そう,それ自体なんともない,のどかな夕暮れである。
そのおばちゃんと私がすれ違おうかという瞬間,大量のドングリが頭上から降ってきた。風もない,木の枝も揺れていない。パラパラじゃなくバラバラバラバラとである。当然私は驚いた。理解できなかった。それはすれ違ったおばちゃんも同様,まさに豆鉄砲くらった顔をしていた。私もおんなじだが。
そのまま,普通に目的地に向かった。帰りはなんともなかった。不思議な体験であった。私はこのような怖くはないが,理解が出来ないようなことの方が,下手な霊体験よりよっぽど怖いと思う。
投稿者 daurade : 17:32 | コメント (0)
SDカード
先日,SDカードが届いた。このカードは,無事故・無違反(無検挙ともいう。。。)のドライバーに送られてくるものである。これは免許取得時に任意で加入するものだが,無事故・無違反期間によって,カードの色が違う。ちなみに私は若草色(1年以上)である。このカードと共に,運転記録証明書なるものが送られてきた。むしろこっちの方が問題である。
これ,要するに過去の違反記録である。以前国道246号でとっつかまったことがあるのだが,大学3年のゴールデンウィーク明けであることが判明した。。。あのとき初めて覆面パトに捕まったのだった。速度超過(29km/h)であった。あと1km/hオーバーしていたら,確か免停になっていたと思う。ほんのちょっとだけ246のカミサマが微笑んでくれたものと思いたい。
あと覆面に捕まったのは一度だけある。忘れもしない大学4年の暮れである。卒論執筆で,てんぱっていた頃である。夜中にあの寒空の下を,バイクで帰宅途中にやられた。場所は聖蹟桜ヶ丘から連光寺坂上を経て稲城の大丸に抜ける道。川崎街道のこの区間,取り締まりのメッカだということを知るのは後のことである。敗因は「ひっぱった」こと。つまり先頭で突っ走った奴が悪いのだ。まあとりあえず,だめもとで卒論が忙しい云々をポリスに説明したが,相手にされなかった。
さらにあと1件「一時不停止」が表記されていたのだが,さてこれってなんだっけ。。。!上野!国道4号から言問通りに左折した所である。大学3年の冬であった。この日は上野のバイクショップに買い物に行き,かなりご機嫌で,少し寄り道しようと思ったのが運の尽きであった。
件の交差点は,常時左折可能なレーンがある。当然一時停止は付き物である。しかし気分の良かった私は,かなりのバンク角度でそのコーナーを抜けた。はい。白バイ。ポリス仁王立ちである。さすがにこれは言い逃れできなかった。。。
高校の頃,カブで通学することがままあったのを思い出した。新宿の南口の前を通り,明治通りの交差点を右折する。吉野屋がある交差点である。当然原付なので2段階右折である。というか交差点にポリスがいたので,超意識してそれをやった。ポリスは吉野屋の前あたりに立っていたので,右折後は当然彼の前を通る事になる。私はそれをほぼ完璧に遂行した。しかし,ポリスは私を止めたのである。もう何を自分がやったんだか一瞬パニックである。。。彼曰く「今の2段階いいね!最高だよ!これからもがんばって!」満面の笑顔である。後にも先にもこんな経験はない。なんかふと思い出してしまいました。
あと,飲酒検問は気を付けましょう。私はいつぞやの春にミラクルで乗り切りました。。。胃から息を出してはいけないのですよ。頬にためたやつと音と演技。無論飲んだら乗るなですが。
さて,以上の教訓を踏まえ,これからも無事故・無検挙に励みたいものである。特に神奈川県内で後輩のKsnに捕まる訳にはいかぬ!
投稿者 daurade : 17:31 | コメント (0)
子どもの遊び
幼稚園に入る5才くらいまでは,遊び友達といえば近所のKちゃんかMちゃんかだったと思う。とくにKとはもうしょっちゅう遊んでいた。当時の写真を見るにウルトラマンとキン肉マンがはやっていたらしい。私の記憶に残っている遊びのひとつに石積みがある。
近所のある家の窓の庇に石を乗せる。ただそれだけである。なぜかこれが今でも覚えている。しかしこれ,非常に難しいのだ。ほとんどスペースのないところに石を投げて乗せる技術は幼子にはなかなかない。
お気づきの方もおられるかと思うが,これは一般的には遊びとは認知されない。。。だって思いっきり窓ガラスに石当たってたし。。。当然,怒られた記憶があるが,しかしこれ,鳥居の上に石を乗せる習俗と一脈通じるものがないだろうか。
はい。反省してます。まあ,ふと思い出したということで。昔はこんなんよくやってたなあ。。。
投稿者 daurade : 17:30 | コメント (0)
最近はいろんなお菓子がありますね
実家の近所にサミットというスーパーがある。今は喜多見駅の工事というか,小田急線の複々線化事業に伴う駅前の再開発によって立派になったもんだ。
それはともかく私が幼少の頃(3才くらいか)は近所にスーパーは殆どなく,よくサミットへ買い物に連れてかれたもんである。当時私は自転車(補助輪)に乗るようになったばかりで,近所で乗り回していたもんだったそうな。
しかし近所では飽き足らなくなった私は,駅前遠征を敢行したらしい。もちろん行き先はサミットである。だってそれしかわからんかったんだろうし。。。親は私がいなくなってかなり心配したらしい。しばらくして勝ち誇った顔で颯爽と自転車を漕ぎ,片手のポッキー(プリッツでも可)をかざして私は帰ってきた。
。。。気付かれましたか。。。ええ。萬○きです。。三歳児の私ににお金の概念はありませんでした。。。この時の記憶はあいまいだが,レジをポッキーを手に余裕で通り過ぎたことと,帰ってきたあと脳みそがとろけるほど怒られたことは鮮明に脳裏に焼き付いている。その日のうちにサミットに謝りに行ったのは言うまでもない。
その帰りに肉屋によったらしいのだが,そこの親父が母にこういったらしい。曰く,さっき坊主が満面の笑みで通り過ぎた。一人だったのでいぶかしんでいたが,今泣きじゃくって連れられている。訳を聞いてやはりそうかと思ったという。さらに親父は,この子は将来大物になる,うまく育てりゃ。そうでなければ極道だ,と。当たらずとも遠からずかもしれない。。。
その肉屋も銀行の出張所になってしまった。今は昔の話である。ちなみに今もポッキー(プリッツでも可)大好きである。
投稿者 daurade : 17:29 | コメント (0)
限定ってつくともうだめみたい
大学1年の年度末,3月くらいのとある日曜の話。TnちゃんとSgrとで新宿に映画を見に行った。正確に言えば土曜の夜に出かけた。つまるところ徹夜で,ある映画のために並んだのである。確かエヴァンゲリオンだったかと思う。
一般的にみたら私も一応ファンの範疇に入るが,彼らに比べたらどうってことはない。まあどれくらいすごかったかという話は置いといて。なんでまた徹夜までして並んだのかというと。。。
事の起こりはTnちゃんの収集癖であった。どこでその情報を得てきたのか,もう覚えていないが,新宿の東映で先着何十名かに,オリジナルのグッズが配られるということだった。とりあえず私に連絡があり,ほとんどついでにSgrを巻き込んで新宿に繰り出した。Sgrとの間に合意があったかは,定かではない。8割は拉致だったかも。ただ,正直私はそんなグッズに興味はなく,ただ徹夜で映画の順番待ちに並ぶという酔狂さに食いついただけだった。
東映に着いたのは夜の9時頃だったかと思う。既に4,5人並んでいた。世の中上には上がいるもんである。その日は相当厚着をしていったのだが,ありえないほど寒かった。私は上野・中田商店御用達のスペシャル防寒コースで臨んだが,この寒さに他の2人が耐えきれなくなり,仕方なく私だけ一度家にもどり,中田商店のドイツ軍コート(SMまだ持ってるかなー?俺のはカビが生えて捨てられたけど)を小脇に抱えて,再び戦場へ戻ったのである。今考えれば,あのまま布団で寝とけばよかったのだ。。。もう完全に馬鹿まっしぐらモードである。
持ってきたコートを渡し,とりあえず朝の10時までの耐久戦である。とにかく暇な上に寒い。交代で新宿を徘徊する。動いてないと寒くて眠くなるのである。この東映の裏道,きったねー道である。そこに暇人が列を成している光景はもうなんとも言えない。コンビニから戻ってくるとこの光景が異常としか思えない。が,その場に腰を下ろすとあら不思議,違和感がなくなるのである。新宿って本当に恐ろしいですね。
夜も更けるにつれ,寒さと眠さの激しさも増す。コンビニに暖まりに行ったり,徘徊したり,挙句に母校のグラウンドのマットで遊んだりと,それはもう眠気と寒さを紛らわすために色々試したのだった。
今思うに,寝とけよ。。。寝とこーぜ,俺。目的と手段が完全に入れ替わってるよ。。。俺はともかくとして,Tnちゃん寝とけよ。。。映画見に来たんじゃねーのかよ。。
当時の私がそんな冷静な判断が出来ようはずもない。そうこうして路地に戻ると,Sgrが一人で段ボールにくるまって眠っていた。段ボール。。。それは禁断の技。。。そのぬくもりの代償ははかりしれない。
なんとか映画が始まるも,完全に眠い。なんかグッズもらったけど。ショボッ!!訳のわからんクリアファイルだし。。。なんだかんだ言って,私も少しは期待していたものの,中途半端なグッズのせいで完全にテンションダウン。あとは泥のような眠りが待つのみである。館内の快適さは疲れた体に甘美な眠りをお約束します。
内容はほとんど覚えてない。映画が終わり,私たち第一陣と入れ替わって入ってきた人たちが手にしていた物を見た時のやるせなさは,そりゃーもうなんとも言えない。彼らは普通に「限定」グッズを手にしていたのだから。親子連れの子どもの笑顔が眩しすぎる。。。我々に残ったのは奇妙な充足感とよだれのあと,そして「限定」グッズであった。
投稿者 daurade : 17:21 | コメント (0)
セロー登場の巻
私の乗っていたバイクはYAMAHAのセローである。年式はよくわからない。少なくとも10年以上昔のものだと思う。
さて,なぜにセローに乗り始めたかというとそれは,1冊の本(風間深志監修 1998 『冒険の旅 VOL.2 バイクアドベンチャー 冒険ツーリングのすべて』英知出版 160p)がきっかけである。そう,おわかりの方も多いだろうが,単純なのである。この本,風間氏の冒険譚がその半分。あとは各地の林道情報や,ツーリングのノウハウなどの情報が掲載されている。
その本に出会うまではオフロード車(セローはオフロード車になる,念のため)に乗りたいとは思わなかった。どちらかといえばSRやエストレアなんかの方が乗りたかったし,実際買う気満々だった。
ただ,この本に出会う前にもう1つ重要な出会いがあったことも関係している。それはAtとの出会いであった。正直今でも彼との出会いは印象に残っているし,これからもそれは変わらないと思う。
そのことは単に彼自身のキャラクターに依拠しているだけではなく,彼と私とを結びつけてくれた今は亡きある男の思い出とがリンクするからである。Atと初めて言葉を交わしたのは大学1年の教室主宰の新歓巡検なるものであった。まあ,まさかAtからオフ車の話が出てくるとは思いもしなかった。というか,どちらともなくその話で盛り上がっていたといった方が正しいかもしれない。
とにもかくにも,Atとオフロードの話で盛り上がり,やや気持ちはそちらに傾いた所に例の本の出現と相成った訳である。あとはお世話になっているバイク屋との出会いも大きい。この店,K-crの紹介なのだが,この点は彼に非常に感謝している。無論,バイク屋(ALTAiR)のスタッフの皆様にはお世話になりっぱなしなので,この場を借りて謝意を表したい。
さて,オフロード車といっても色々あるわけで,その中で何故にセローにしたのかというと,一番の理由は中古車の流通量が豊富で価格が低い割には出物が多いという点である。さらにコストパフォーマンスが高く,取り回しも初心者向き。メンテナンスもやりやすいし,バイクの構造を理解するのにもうってつけであること。伊達にロングセラーではないのだ。
馬力が少ないのと高速走行に不向きな点,オフロード車であることが短所といえば短所だが,私にはこれらは無視できる点であった。当時カワサキからスーパーシェルパなるバイクが出たのだが,これは私が免許を取得するまではかなりお買い得な値段が中古車相場で付いていたのだが,免許を取った途端,10万円くらい値段が跳ね上がったのである。ALTAiRのオーナー曰く,海外で人気が急騰したのが原因だった。このことでシェルパは断念し,結局セローを購入したのだった。
購入したセローは当時で確か走行距離5000kmくらいだったと記憶しているが,その割には車体の状態は抜群によかった。私の予算でこれだけのものが手にはいるとは思ってもみなかったのだが,それはALTAiRのオーナーもオークションで競り落として驚いたという。かくして色んな人の縁と好意,そして運の良さによって私の手元に来たセローであるが,走行距離75,000kmで他界した。
投稿者 daurade : 17:11 | コメント (0)
俺の足はえらいことになったよ
この話は,危うく新聞の三面記事になりそでならなかった,ある意味伝説といえるものである。少なくとも関係した人間はおわかり頂けると思う。
確か高校2年の秋だったと思う。
台風17号。
まあ,かなりの被害をもたらした訳です。その日(9月21日)は確か,高校は午前中。。。とそう,土曜だし大型の台風も来てるって事でとっとと家に帰ってきたのだった。この台風,関東地方は22日がピークだったらしいのだが,21日の時点でも雨がかなり降って,帰宅途中にずぶ濡れになり,帰るやいなやパンツ一丁になったのだった。弟2人も帰宅していたと思う。
パンツ一丁で着替える間もなく,外から私を呼ぶ声がする。母である。
飯か?いや,違うな。。。
とても「ごはんですよ~」の声の張りではないのである。二階の窓から庭を見下ろすと,母が庭にあるハゼノキの大木に抱きついている。。。。
はあ??なにあのひと???
しかし取るものもとりあえず,そのままの姿で私は母の元に向かったのだった。
!!!なっ,なんですと~!!!
母は風で倒れそうになったハゼノキを,必死に支えていたのだった。。。
さすがに,この事態のやばさに気付いた私は,戦線に加わった。いくら狛江とはいえ,住宅密集地のど真ん中である。しかもハゼノキの胸高直径は,大体大人が一抱えくらい,樹高は10m強ぐらいだったか。さらに,我が家の隣には新築したての家があり,木はそちらの方に倒れたいらしいのだ。こんなもんが倒れたら。。。我が家に弁償能力はない!
弟たち2人も戦線に加え,親子4人VSハゼノキpowerd by 17号,無制限一本勝負の開幕である。こちらは負けられない一戦。しかし勝負は互角。双方決め手に欠けていた。台風もまだこの日は四国沖辺りで風も弱い。両者一進一退の攻防が続いたのである。しかし,こちらは昼飯前の育ち盛りが3人。長期戦が不利なのは明らかである。
そこで私は切り札をきった。幼なじみのTnちゃんとSgrを招集したのである。
私「もしもし,Tnちゃん?悪いけどちょっと大至急うちにきてくんない?」
Tnちゃん「え?てゆーか飯食わせてよ。」
私「頼むからすぐ来て!!」
5分後Tnちゃん到着。彼は我々の姿を見て,その場に崩れ落ちた。
いやいやいや!笑い事ぢゃないからっ!!このかっこでこの天気の中,綱引きしてんのが絵的におもろいのは十分わかる。しかしこっちは生活かかってんだっつーの!
さすがにTnちゃんも逼迫した状況を察してくれ,戦線に加わってきた。遅れてSgrも到着。これでわが軍の戦力は大幅にあがった。と思ったが,しかし17号もなかなかの兵。断続的に強風を繰り出してくる。
ここで私は奥の手を敢行することにした。敵を各個撃破すればよい。つまり,ハゼノキに登り,樹上伐採を試みる決意をしたのだ。さすがに母は反対したが,もはやこれしか手はない。鋸を手にまず私が木に登り,下に落ちてもあまり被害にならない重さになるよう考えてミッションを開始した。Tnちゃんと私がこうして交代しながら,ハゼノキをばらしていき,ついには切り株だけとなったのである。
こうして,我が家の平穏は死守されたのだった。。。しかし代償というものはつきものである。私はこの後数週間あることに悩まされたのであった。この話はまた。。。
投稿者 daurade : 17:09 | コメント (0)
初テント
テントというものを初めて体験したのは,中学の頃だった。友人のテントで野宿したのが,その最初であった。
高校に入り,友人のYと出資しあって3人用のテントを買った。当時都立のS高校に在学していたのだが,その1年の時のクラスメート,特にYを始めとして,Tkc,S,Hs,Rtr,Kj,Msらとは臨海学校をきっかけに急速に結束していった。Yとは何かと話も合い,特にアウトドアについては話も盛り上がり,ついには野宿をしようということになった。
当時バイトもしておらず,慢性金欠だったのだが,下校途中にYと立ち寄ったVictoriaで,4000円のテントを発見した。
アウトドアコーナーに陳列してある品々を見ながら,あーでもない,こーでもないと2人で妄想を膨らませていた。しかし,値段を見ると否応なしに現実に引き戻される。。。特にテントは諭吉殿を投入せねばならない代物であったので尚更である。そこにきて4000円のテントの出現である。最初はタープかなんかだと思って素通りしたのだが。。。
私「!! おいっ!Yっ!見てみろよこれ!!」
Y「ん?」
私「テント!3人用で4000円だって!」
半笑いのYがこちらに近づいてきた。大方私が勘違いしてると思ってたんだと思う。しかし,私が指さすテントを見るや,彼の目は釘付けになった。2人してその場に30分程留まり,緊急の会議が行なわれた。4000円とはいえ,当時の我々にとっては高い買い物である。買うべきか。。。
結論。これは出物である。故にこのチャンスを逃す手はない。2人で2000円ずつ折半で購入することとなった。
結局この日は私が自宅に持ち帰り,必要なときはその時に応じて。。。ということになった。こうしてテントを手に入れたのであった。その後数々のドラマをこのテントは目撃することになるのだが,それらについては,また気が向いたときにということで
投稿者 daurade : 17:07 | コメント (0)
歯ぁ食いしばれ!
原付の免許を取ったのは,高校1年の夏休みだった。
筆記試験は府中の試験場。試験にはわけなく合格するも,その後に講習があることを知らなかった。その日はすぐに帰れると油断していたのだ。実車の講習と聞いて,さらに気が重くなった。
別に技術的な不安があるわけではない。当時私は短髪をジェルでバリバリに固めた髪型だった。その日もその髪型。つまり,ヘルメットを被るとは思っていなかったのだ。
試験合格者は別棟に移動させられ,スクーターの基本的な取り回しについての説明があり,用意されたヘルメットが配布された。
周りは次々とヘルメットを付けて外へ出ていく。仕方なく私も被ったのだが,被った瞬間両目に激痛が走ったのである。一瞬何が起きたのか理解できなかったが,ようするにジェルで固まった前髪がヘルメットに押されてツララのように目に刺さったのだ。
最悪だ。。。と思いつつ,何とかヘルメットを装着し,外へ。
コース内にはスクーターが並べられ,各々その前にたたずんでいた。おもむろに教官殿が現れたのだが,鬼軍曹といっても過言ではないオーラを発する体格のいいおっさんだったのだ。
!原付の教習じゃないの??
そう思う間もなく軍曹殿は気合いの入った口調でまくし立てる。彼の言わんとすることは,単車は原付に始まり原付に終る。故に原チャを甘く見るな,ということであった。
まあ,100歩譲って納得しよう。いわんとするところはわかる。しかし,何故にそんなオーラが必要なのか??
軍曹の講釈も終わり,実車に入った。軍曹曰く「発進するときは,軽くアクセル開けろ!絶対に回す事はするな!」
んなこたわかってる。周りを見ても全員そんな表情である。がしかし,実際発進した途端,私の隣の男が何を血迷ったのかアクセルを全開にしたのである。
目の端で彼のオーバーアクションな右腕の動きを追ってしまった私は,その一部始終を見た。案の定,彼のスクーターの前輪は,振りかぶる斧のように高く上がり,彼を残してすっ飛んでいってしまった。
彼が軍曹の話を聞いていたのか,いなかったのか知る由もない。次の瞬間軍曹が飛んできて,彼は鉄拳制裁をくらったのだった。ご愁傷様。。。
この時になって,初めておっさんのオーラの意味を理解した。
投稿者 daurade : 17:03 | コメント (0)
カレーライス
私はカレーライスが好きである。
故にサンバルカンのカレーばっか食ってる奴に非常に親近感を覚えるし,実際大好きだった(当時は3~4才ぐらいか)。さらにいつだったかウガンダ氏のカレーライスに対する名言には個人的にひどく感銘を受けた。
曰く「カレーは飲み物」
私はカレー好きを自認しているし,事あるごとに周りに明言してきた。高校時代なぞ,昼飯にカレーバイキングにけっこう行っていた。しかし,ある日を境にカレー好きの看板を下ろさなくてはならなくなってしまったのである。
01年の暮れあたりだったか。大学4年の私は友人のSMとTNKの3人で大学近くの焼き肉食い放題へ行った。八王子市東中野が戦場となったのである。SMは非常に席割を気にする。特に時間制限のある戦ならばなおのことであるらしい。
一,基本的に2人1組になれ:つまり焼き職人と食い職人の組である。
一,席の配置に気を配れ:例えばコーナーのソファー,四人席に通されたとしよう。仮にペア同士が焼き板を挟んで向かい合って座ってしまうとどうなるか。一見問題がないように思える。しかしこの場合,通路側に座ったペアは問題ないが奥に座ったペアは食材を取りに行くのに隣のペアのミッションを妨害してしまう。基本的には焼き職人が食材を運ぶ訳だから,この場合は通路側に焼き職人が向かい合って座ればよいのである。
このようにして効率よく肉を屠っていき,戦果をあげていくという算段である。
店に入る前にこのようにとつとつと我々へSMは語ったが,実際の戦場は予測不可能な事態が往々にしておきるものである。彼の戦術はどこ吹く風,SMも含めて各々乱戦と相成ったのであった。だってこの3人じゃしょーがないやね。
この日は名言が生まれた記念すべき日であった。我々2人の予想を裏切り,TNKが早々にギブアップした。私はともかくとして,SMはまだまだいけそうな気配を放出していたにも関わらず,である。TNKはおもむろに腹の肉をつまみ,
「今日だけでこんなに太っちゃったよ~」
とのたもうたのである。
えー?!TNKさん!!そんなネタは反則っすよ!!お,面白すぎ!!
しかしである。ここからTNKはさらに我々に追い打ちをかけたのである。
「もう,水もはいらねえ」
うそつけ!!オレンジジュース飲んでんじゃん!水はなんか別格なんすか??
そんなこんなでTNKにしてやられた訳だが,これで終わりではなかったのだ。だってこれ,カレーの話ですもの。
こうしてTNKがリタイアして,私がそろそろギブしようかとデザートを取りに行った先で出会ってしまったのである。カレーライスに。
いやー,そりゃー飯大盛りにしてドヴァーとルーをかけますわ。席に戻り,いい締めだなあとご満悦で一口。
?
いやいや
!!
ま,まずっ!!!レトルトの味じゃん!いやいやいや,これは無理でしょう!だってもうデザートの腹づもりですもん!そーっとスプーンを置きそしらぬ顔でTNKと雑談。するとSMが
「カレー食わないの?」
!!!めざとい。この一瞬のとまどいを奴は見逃さなかった。見逃すはずはないのだ。
「お前,この前カレーは無限に食えるとか言ってなかったっけ?」
。。。。
言ったかも。
いや,言いました。
カレー無限理論(全然理論じゃないけど)とか言いました。
いやーでもねえ,カレーって言っても色々あるしさー。ほら,そもそもはイギリスから入ってきたわけだし。。。
残しました。給食1回しか残したことないのに。ましてカレーを残すなんて一度も無かったのに。
以来,カレーもしくは焼き肉に行く度にSMが思い出したように笑うのである。そうもはや私は以前のカレー好きではないのである。
投稿者 daurade : 16:59 | コメント (0)
多摩川
バイクといっても原付,それにカブ。操作なんかはすぐに学習できる。なんせ当時は若いし。物覚えは早い。チャリの補助輪を外す練習より,よっぽど簡単である。
という訳で,近所の路地はすぐに飽きてしまった。そこで思いついたのが多摩川である。早速親父に交渉。そして親父がカブを運転し,自分がその後をチャリで追っかけることとなった。
この光景,今思えばかなり恥ずかしい気もしないではないが,やむを得なかったのだ。が,当時の私はおかまいなし。自分の欲求がかかると,周りは全く見えなくなる。
多摩川についたはいいが,一体どこで走ろうか。。。東名高速の下に警視庁の施設がある。そこは白バイの練習が行なわれたり,日曜には初心者講習が行なわれたりする。
まあ,夜だし。。。って事でちょっと失礼して,中に侵入(ってこの時点で少なくとも2つ法に触れている,俺。。)し,爆走。これは面白かった!!ほぼ100%事故はないし(単独事故は別にして),気兼ねなく走れる。「道路」ではないし。
しばらく走るとさすがに飽きてきた。そこで目を付けたのが,その施設の脇にある,建築資材置き場である。ここは砂利道で,路面の状態も悪い。しかしである!走ってみるとかなり面白い!!ここは単なる直線なのだが,ダートは最高に面白いのである。カブですらこれだけ面白いのだから。。。と考えたのか考えなかったのか,しかしこの出来事が,後のバイクに繋がったのは否定できない。
かなりの興奮状態で,その砂利道を狂ったように往復していたのだが。。。カブのしょぼいヘッドライトの向こう側に人が!現場のおっさんに止められた私は,長いこと説教を食らったのだった。。。そのとき親父は河原を散歩して側におらず,なんとも説明のつかない状況であった。。。
とある15の夜の話。考えてみたら受験生なのに。。。俺って
投稿者 daurade : 16:57 | コメント (0)
初起動
初めてバイクに乗ったのは,15の夜であった。
当時うちの親父は配達っぽい(実際よくわからん,謎であったが)仕事をしていた。んでもってホンダのスーパーカブ50を使っていたので,なんかその日はノリがよく,乗せてもらえることになった。
まず,エンジンの掛け方のレクチャー。親父が偉そうに語る。普段なら120%そんな講釈は聞かないが,なんせ目の前にはバイクがあるのだ。
さらに一般的に言えば,罪を犯すことになるのは明白であるが,我が家ルールが場を支配しており,そのルールブックである親父がオッケーを出しつつあったのだ。私は,おとなしく話を聞いているフリをした。
若かりし私は,もうキーをONにしただけで第1次絶頂へ。ギアをニュートラルに入れ,キックスターターを蹴りおろす。
エンジンの振動が腕と腰から脳に伝わり,それを認識した時に第2次絶頂。そしてギアをローに入れ,発進した瞬間に第3次絶頂へ。まあつまるところカブに乗ってからイキッぱなしで,アドレナリン,ドッパドパ状態であったのだった。
私とバイクとのファーストコンタクトであった。
投稿者 daurade : 16:47 | コメント (0)
キタ―――(゚∀゚)―――― !!
ぐうたらと読書をしていたら、チャイムの音に妨げられる。
だらだらとドアを開けると、郵便局員にハンコを要求される。
彼の手には学会からのメール便が。
・・・・・・
え?予想していたより早いご帰還?読む価値なし?
どきどきしながら開封すると・・・・
「なかなかおもろいけど、このままでは駄目ね。ちゃんと直せば載るかもよ」(意訳)
キタ―――(゚∀゚)―――― !!
一歩前進。ってかかなりの前進。
がしかし・・・
次回の編集会議が7月の第2週。その3週間前までに提出せねばならんとなると、試験勉強とかぶることになる。
だ、大丈夫なのか?おれ!?
投稿者 daurade : 16:37 | コメント (0)
2005年05月20日
山の人
久々に研究系の投稿。
最近また柳田國男の著作を読んでいるが、これは基層文化ゼミの為である。
取り急ぎ話題となっている部分だけ読もうと思ったが、別段取り急ぐ必要もないと気付いたので、「定本」の4巻を最初から通読している。
所収されているのは「遠野物語」や「山の人生」、「妖怪談義」など。
さてその「山の人生」のなかに「山人の通路の事」「巨人の足跡を崇敬せし事」という節がある。
猟師や木挽きといった人たちは経験上、特定の地形の場所には野宿などしないという。
例えば、峰が開けて背面の方へ通じている沢や山の尾根筋の茂みに幽かに路らしきものの痕跡がある場合には、夜必ず怪事があるという。
また、泥や雪に大きな足跡があると山男のものであるとも伝わる。
それらを大分読み流したあと、ふとあることを思い出した。
以前ワンゲルの連中から聞いたのとは別の話である。
雪山に行ったときのこと。その日は尾根筋にテントを張って休息したらしい。あくる日外に出てみると、テントの周りにはおびただしい足跡が、雪上に残っていたという。他のメンバーに聞いたところ、昨夜は誰も外に出ていないという。
これ以上詳しくは思い出せないが、この話が思い違いや出鱈目として伝えられたのでなければ、なかなか興味深い話と言えないだろうか?
投稿者 daurade : 22:19 | コメント (9258)
2005年05月16日
豪徳寺
懐かしい店がまだ残っていた。
昨日は豪徳寺経由で駒沢に行った。小田急の高架化事業でだいぶ雰囲気が変わってしまっていたが、乗り換えの時にふと気になって横道(でもないのだが、昔はその道が乗り換えの際のルートだった。今は近道が出来たようだ)にそれてみた。
そしたらあったんです。まあ多分ないだろうなあと思ってたら、昔とかわらんたたずまいだった。10年ぶりくらいだった。
高校時代、梅ヶ丘の方に住んでいたSとこの店に行ったのだ。中華料理屋というか定食屋というか。
なぜ記憶に残っているかというと、ラーメンが200円だったから。
そしたら相変わらずメニューにあったんですよ、変わらぬ値段で。
時間があれば食いたかったなあ。味・・・・は、まあ食べてみてください。ヒントはハムがチャーシュー(10年前は)であります。
今日の寝言 「大盛があるのにダブルとトリプルって・・・」(友人がかつて語った伝説のラーメン屋の話。カウンターが斜めに傾いていたらしい。今はもうないらしいが・・・)
投稿者 daurade : 20:05 | コメント (0)
2005年05月15日
公務員試験
日曜の朝っぱらから駒沢大まで。昨日の今日で体中が痛いのに・・・ってそう公務員試験であります。
まあ、あれです。人事を尽くして天命を待つって心境です。
それよりも面白い現象に出くわしたのであります。
今日はスーツで試験を受けたのだが(なんかそうした方がいいという情報があったので)、蓋を開けてみれば95%以上周りは私服。
正直気合い入れすぎたか?とも思ったが、会場に到着してしまった以上服がどうとか言ってる場合じゃない。仕方無しにおとなしく試験を受ける。
午前中は教養試験。内容はどうでもいいとして、問題は試験のシステム。
制限時間は120分。問題の量と範囲からすると相応にリミットといえる。そして試験官が言うには、
「途中退室は開始後30分および終了前10分は禁止です」
最初は要するにトイレに行くにはそれ以外の間の時間なら許可する、という意味だと思っていた。
午後になり、専門のマーク試験が思ったより早く終った(出来不出来は別として)。周りもそうだったらしく、挙手して試験官を呼び、途中退室の許可を求めていた。
私のすぐ側の受験者が挙手したので、聞き耳を立てていると、どうやら次の試験の開始までに戻ってくればいいらしいことが判明した(もちろん退室するときに答案は提出するが)。
という事は、である。つまりは、小学校時代のテスト終った人から校庭出てサッカーしててよし!の制度と同じということだ!くそながい拘束時間の有効利用に他ならない。
その時間は結局その制度を利用はしなかったが、次の専門論述では使わせてもらった。
てか、単にタバコが吸いたかっただけだ(休憩時間は15分しかなく、次の試験の問題やらを配るから、一服する時間が無いのだ。しかもトイレはやたら混む)。
その時にあることに気付いた。
途中退室した連中は中庭に10人程いたが、そのうちの3割強がスーツ、他の私服姿の連中も地味めな服装であることだった。入れ替わり人は変わるが、結局その傾向は変わらなかった。昼休みの浮ついた雰囲気のあった多数の受験者たちとは、明らかに一線を画すオーラが出ていた。
こういう奴らが官僚になっていくのか!と何故か納得してしまった、昼下がりであった。
まあ、単にニコチン中毒の集団だという見方もある(全員タバコ吸ってたから)。
公務員試験の裏側を垣間見た、様な気がした面白い体験であった。
今日の寝言 「調布行の小田急バス来るのおせーよ!!」(休日の玉川高島屋の周りに屯している高級車群はヘタクソばっかで正直うざいという意味)
投稿者 daurade : 18:34 | コメント (0)
2005年05月14日
眠れる奴隷
今日はさすがにまいった。
今までバイトで色んな事やったが、この作業は凹んだ。
7m四方くらいの土がむき出しになった区画。そこには住宅メーカーが撤退したあとに出る、ガラの残骸が転がっている。
そしてボスからの指令。
「礫以上のガラを全て撤去せよ」
レーキ片手に区画を掘り起こす我々3人。掘れば掘るだけ礫は出てくる。まるで荒れ地の開墾。
ふと思った。どっかでこんな姿見たことあると。囚人が道路の整地をしている姿が脳裏に浮かんだ。
パイロンで囲われたその区画だけ、私の中ではアメリカを横断する道路だった。しかも青い作業服。
いっそのこと徹底的に掘り返して、肥料をまいて、畑にしてやろうかと思った。みんなそう思っていた。
無性に西瓜が食べたかった。
こんな試験前日は、ありといえばありだろう。
今日の寝言 「ブルースも歌えないほど 心ここにあらず」
(自分を哀れんでる時間は一瞬たりともないということ、そしてブルースを歌うにはその場所に深く根ざしたものを受け止めている心が必要だということ)
投稿者 daurade : 21:06 | コメント (0)
2005年05月12日
チャーハン
基層文化ゼミに寝坊した。。。みんなごめんよ!睡魔には勝てなかったんだよ。でも急いで駆けつけたんだよ。
そしたら急いでたあまり試験用のテキスト家に忘れてるし。。。腹も減ったし、仕方なくとぼとぼと家路に着いた訳です。そんで試験の申し込みに不備があったことを思い出し、当局に電話したとです。
帰ってきてよかった。。。あやうく受験できなくなるところだった。。。なんとか処理してもらえることになって一安心。うーん、何か縁を感じる。前向きに前向きに。
ちなみに今日の昼食のチャーハンは上出来であった。
私のチャーハンの作り方は、まず最初に飯を炒める。もちろん最強火力で。んでそこにネギをいれとくとなお風味がよくなる。味付けはしない。ある程度ほぐれたら一度皿に移す。炒めすぎるとべたべたしてくるから。
次ぎに具を炒める。まあ大抵適当に見繕う。今日はウインナーと牛肉、鳥の唐揚げそして鮭とワカメが余っていたのでそれらをぶちこんだ。とりあえずネギから炒める。んで鮭と牛肉をいれて、塩胡椒。鮭が生鮭だったので多めに塩を振った。
次ぎにその他の具材を投入し、今日はこの時点で卵をいれた。まあこの段階でワカメが入ってえらいことになった。そんで卵が固まってきたら、飯を投入し、よく全体を馴染ませる。
仕上げに醤油を鍋肌からたらしできあがり。なかなかおいしいですよ。でもワカメは微妙。
今日の寝言 「はじけてまざれ!」
ワカメを炒めるとパンパンパンパンうっせーって意味。ちなみに1700万ゼノまでは至らなかったので大猿にはならずに済んだ。
投稿者 daurade : 14:34 | コメント (0)
2005年05月10日
下向き加速度
ぴちゃってヤナ音ですよね?
特に電信柱とか頭上になんかあるとき急にそんな音がしたら。
一瞬周り見渡して、そいつがどこからしたのか確認するじゃないすか。まあこの時点では大概状況の把握はできてませんよ。
そんで、はっと気付いて、バサササーって音に気付いて上を見ると電線が揺れてたりする訳です。
ようやく事態が飲み込めて辺りを見渡すと、大抵爆心地の直近だったりする。
そんな夢をみることも長い人生、ままあるわけですな。決して今日爆撃されたとかそういうんじゃないの。だって夢だもん。
今日の寝言
「スポーツ飲料を直射日光に当てたまま放置するな!不思議組成に変化したヤツにやられるぞ!」(ツーリングではよくあるという意味)
投稿者 daurade : 20:18 | コメント (0)
2005年05月09日
やってられっか試験勉強の巻
ありえねえ。今月の家計逼迫状況。
今月というか今までずっとそうだが、今月はきつい。
誰ぞのせいでバイト代の入りが少ねえ上に、車の税金やらメンテ代やらなんやらで月頭ですでにゆきっつぁんがいねえ。
まあそれはいい。
それよりも、ランニング途中で蛇を踏みそうになった方が、よっぽどサプライズ。
にしても立派なシマヘビであった。ゆうに1㍍は超えていた。
脱皮したてなんかどうかしらんが、日の光を浴びてきらめくその肢体はショッキングであった。
なぜなら、今まで一度も思ったことはなかったから。蛇が美しいとは。
写真とろうと思ったけど、ごっつ警戒されたからやめた。しかし、いいことがありそうな予感がする。
この時期の尾根緑道はなかなか面白い。
今日の寝言
「研ぎ澄まされた刀でも きりとれないものもある」
そして折れた刀は確実に自分に突き刺さる
はい、寝マース
投稿者 daurade : 22:33 | コメント (0)
2005年05月03日
真風
一見ばらばらのようなことが ばらばらでないこともありうる
事態がどのように映るかは 気持ちの置き所次第
たゆとうのも 貫くのも自由
ただ そこに何かを
自分にとって必要なものを見いだすココロをもって
自分のココロを問い直す必要は常に ある
投稿者 daurade : 23:03 | コメント (0)
2005年05月02日
アストロ球団
なんと!みなさん!アストロ球団が実写化っす!!
あの伝説の漫画がついに。。。徹夜で愛蔵版を読みふけったあの頃を思い出す。。。
ご存知無い方はご一読を薦めますが、個人的に実写化にあたって注目しているのは、あのジョジョと双璧をなす効果音をどう表現すんねんって話です。
とりあえず読まなきゃわからんのですが、気になる方はこちらに。
クワキム。