2005年08月10日
メモ 『空間の経験』
トゥアン,イーフー(山本浩訳)『空間の経験』筑摩書房,1993(初版1988)。
この本が世に出て(原著は77年)ざっと30年。もはや,完全に人文地理学の古典であろう。この前後の彼の著作を読んでいないし,この本がどのように位置づけられ,評価されているかを知らない。そして現在の研究が,どのような状況にあるのかもほとんど知らないが,まあ,今後のためのメモということで・・・
やはり,「場所 place」という概念を全面に打ち出したというのが,評価されているだろう。これは当時の時代背景と無縁ではあるまい。
「場所」とは「価値の凝結したもの(29頁)」であり,その価値は人間が付与したものである。そして「価値あるものといっても,容易に取り扱ったり移動させたりすることのできるようなものではない。場所とは,人がそこに住むことのできる対象なのである(29頁)」。
そのような「場所」が開発などによって失われていく,あるいは様々な社会状況のなか,価値が見失われていく趨勢に警鐘をならしたという側面があるだろう。
日本の地理学(トゥアンはアメリカの地理学者)では,それまで一世風靡していた「計量主義」に,トゥアンを初めとする研究が一石を投じ,そしてその波紋は「人文主義」としてひとつの流れになっていく。
地理において「場所」に関する言説が蓄積されていった一方で,関連分野,例えば人類学や建築学,民俗学の研究者のうち,「場所」に関心を寄せていた人たちは少なからず不満であった可能性を感じる。
それは,価値が凝結された「場所」を理解するために記述に徹したこと。あるいは,どのような人間の行為,トゥアンの言葉を借りれば,どのような「経験」を通して,「場所」がどのように形成されていくのかということを記述したこと。などが考えられるかと。
後者の研究は,社会学などの立場から「場所」という概念に接近していくというまなざしであり,地理学ではその成果を逆に取り入れているようである。
別に,関連分野の成果を無視しろとかいう意味ではなく,地理学者が社会学者と同じ視点でいいのかと疑問に思うのである。それはまた社会学者も地理に対してそう思うだろう。
思うに,トゥアンは何も「場所」にだけ,こだわっていた訳じゃないんじゃないか。
「空間と場所を複雑な(しばしばアンビバレントでもある)感情の心象として理解しよう(18-19頁)」とするのが一番の目的だったような気がする。
「空間」と「場所」が二律背反だとして,「場所」が価値の凝結したもの,つまり多義的なものならば,「空間」は一義的なものとなる。
「空間は価値を与えていくにつれ次第に場所になっていく(17頁)」,換言すれば,「空間」を「容易に取り扱ったり移動させたりすること(29頁)」ができないように,我々は,様ざまな位相から価値を付与し,それを限定をすることで「場所」とするのではないか。
そして,「対象物や場所の相対的位置として経験されたり,場所と場所とを隔てたり結びつけたりする間隔,広がりとして経験されたり,いくつもの場所がつくるネットワークによって限定される地域として経験されるといったように,様ざまに経験される(29頁)」のが,「空間」である。
そのような「空間」とは,「様ざまな観念の複雑な集合を表示する抽象的な言葉(67頁)」であるから,「空間」には常に「場所」となる契機が潜んでいる。
「空間」が先か「場所」が先かということではなく,「それ」は常に同時に成立しているのである。言い換えれば,「それ」が他の「それ」とつながりを求めようとするときは,「空間」となり,限定しようとするときは,「場所」となるといえる。往々にしてこのような現象は,全く別の次元あるいは文脈で同時に成り立っているのだ。
トゥアンがこのように意図したからこそ,関連分野で注目を浴びたのではないか。なぜなら,「それ」が運動をする基点だからである。そこに関連をもつことで,静態と動態を同時に理解できるからであろう。
現時点では以上。(050810)
投稿者 daurade : 2005年08月10日 21:37