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2005年05月21日

新潟編

大学2年の5月くらいの事だったと思う。前日,「深夜特急」をビデオで見る→翌日出発。

「深夜特急」の中で大沢たかおがカワサキのKDXで黒海沿いを爆走するシーンがある(黒海でないかも。。。)。しかもノーヘルで,である。私の中で黒海と日本海が繋がった結果,翌朝ツーリングセットをセローに積み新潟に向けて出発したのであった。あんなんみせられたらねえ,しょうがねーって。行きたくなるもの。

自宅から環八経由で国道17号へ。あとはひたすら17号。とにかく17号。利根川を渡ろうが,だだっ広い関東平野にうんざりしようが,高崎観音を拝もうが,とにかく17号である。もっとも利根川を渡った時はちょいと感動したが。

前橋から三国峠に近づくにつれ,越後山脈の名残雪が眼前に迫ってくる。セローでの初めての泊まりがけツーリングである。それはもうテンション上がります。三国トンネルがなげーことなげーこと。トンネルを抜けるとそこは雪国だった。わーい,雪だあ!!きれいだなあ~

 って!!雪?!ありえないありえない!今もう初夏ですぜ?普通にスキー客いるし。。。

まあ,道路に積もってないからよかったのだが。しかし,初新潟で雪ってのは実際へこんだ。おまけにスキー客の中に混じるとすごい浮いてるのにもへこむ。何が「深夜特急」だよ。。

ともあれ何とか六日町までたどり着くも,既に夕方。しかたなく野宿する場所を探し,魚野川の河川敷にテントを張った。野宿は慣れてるものの,初めて一人で,である。夜中に崖から何か獣だかがガサガサテントに向かって下りてきて,びびりまくった記憶がある。おまけに朝起きたら手袋片方なくなってるわ,天気は崩れて今にも雨が降りそうになるわ,ついでにもっとどでかい事件は起きるわ。とんでもねーツーリングだ。。。さすがに事件の話はできません。。。これ以前喋った時に聞いてた人は胸にしまっといてください。。。

もうねえ,日本海どーでもいーや。つーか雨じゃなくて雪降ってきたらどーすんだよ。こっちはタイヤが2個,一直線に並んでるだけなんだっつーの。

はい。撤収です。同じ道です,全く。。トータルで16時間程度。初ロングツーリングにして,初戦黒星の苦い経験であった。

投稿者 daurade : 23:43 | コメント (0)

盆堀林道編

林道と聞いてすぐああ,あんな感じののとこ走ってる物好きね。と思える人の方が少ないだろう。ごく一部のマニアと山登りする人ぐらいなものか。まあわかりやすく言えば,砂利道の峠道と思って頂いて差し支えなかろう。もしくは河川敷のモトクロスをイメージしてもらってもかまわない。

かくいう私も林道なんてもの大学入るまで知らなかったし。それがなぜ林道か。その話は他に譲るとして,とにかく林道なのである。中免を取ったのが98年の夏で,YAMAHAのセローを購入したのがその年の秋ぐらいだったと思う。まずバイクのカスタムを始めて本格的に乗り出したのが10月下旬くらいだったと思う。

話を戻す。さて全くの初心者の私は右も左もわからない。まず初心者レベルの林道探しからであった。ツーリングマップを調べても近場にほとんど林道はない。ようやく見つけたのが盆堀林道であった。装備はブーツ(スキーとかに使うようなもの。オフロード専用の靴である。)と軍手のみ,全くの我流,しかもぶっつけ本番であった。このブーツというのが結構高価でこれを購入するかでかなり悩み,林道ツーリングを敢行したのは12月も半ば過ぎていたと思う。

まあ,12月だからそれなりに寒い。軍手だけでは正直きつい。自宅を出て多摩川を渡り,川沿いの道を遡り川崎街道に出る。多摩ニュータウン通りに出たらそのまま道なりに進む。まあ大学への通学路でもある。基本的には通学≒ツーリングとも言う。そして野猿街道を北野へ,国道16号から20号を経て秋川街道を五日市までひた走る。途中の小峰峠(現在は旧道となっていてほとんど通行はないと思う)は急に1.5車線のワインディングロード。ここでまあ小手試しとばかりに調子に乗っていたら,ブラインドカーブの向こうから車!危なく木にぶつかりそうになる。。。

 いかんいかん!!こんな所で羽目を外す訳にはいかん。。。バイクは自制心と技術のバランスである。

この小峰峠の峠部分はトンネルになっているのだが,このトンネル明かりすらない。もちろん私1人。一瞬ひるんだが,まあ昼間だし,ここを越えねば目的地には辿りつけないこともあって,かなりのスピードで通過したのだった。このトンネル,後に知るところとなるのだが,曰く付きの場所であるらしい。とは言ってもたかが100mくらいのトンネルであるから,通過には時間はかからない。

トンネルを越えると秋川の上流部,五日市の駅もすぐである。秋川にかかる橋を渡りながら,眼下に広がる河原を眺めていたのだが,どこか見覚えがある。そういえばこの河原,確か中学の頃飯ごう炊さんで来たことがあったなあ。。。その時の写真が脳裏に浮かんだのであるが,なぜか浮かんだのは私の写真ではなく,友人のK-crの姿である。あの頃は彼も非常にスマートだったのだ。。。当時は何気に男前でもある。

話が逸れた。五日市から檜原村への道を少し走り,脇道を入る。盆堀林道の入り口の看板を過ぎるとすぐにダート(砂利道)である。この部分はまだ谷底であるのでフラット。ややぬかるんでいたものの走りやすい。

さすがに初ダートである。時速30km出すとさすがに直線でも怖い。カーブなどは徐行である。しかしこのダート300mも続かず舗装路に。こんなものか。。。と思いながらも走り続ける。しかし,周りの雰囲気は非常にいい。都心部から2時間たらずでこんなにも深山の雰囲気を味わえるとは!!季節は冬であったが植生はほとんど杉であったのがこの雰囲気を醸し出しているのであろう。

まあ,この雰囲気だけでもいいか。と思いながらも道は徐々に峠に向かい谷底から登っていく。するとまた道はダートに。そう,ついに盆堀がその本来の姿を現し始めたのだ。

断続的に舗装路とダートが入り交じる。基本的に直線はダート,カーブは舗装路だった。そのカーブの舗装路の1ヶ所で私はスタックして止まったのだが,実はこれ,非常に運が良かったのだ。そのカーブの部分,湧き水が出ており,なんとそこが凍っていたのである。さすがにベタ足をついて通過するも,滑る滑る!もしスタックしなかったら,岩肌に叩きつけられていただろう。。。しかし,不思議と恐怖心はない。

 なぜか。それはアドレナリンドッパドパ状態だからである。

ヒルクライムのダートは基本的に怖くはない。重心を前に持っていき,フロントが上がらないようにしてやれば,普通のダートは怖くはない。もっとも勾配と路面状況によるが。盆堀はガリー(雨水などの流水によって地表面が浸食されたもの。小規模の涸れ谷である)が路面にあるものの,路面状態は悪くない。

まあしかしこの時の感情は筆舌に尽くしがたいものがあった。未だかつてこんな興奮を味わったことはない。カブの時など比較にならない。この路面の凹凸を前輪が捉える感触。後輪が路面を蹴り出す感触。それらが一連の感覚となり,体全体をつたって脳内に奔流となって躍り込んでくるのである。恐怖心などない。あるのは私とバイクと地面のみ。完全にそれらと対話している己だけが存在しているのだ。峠に向かい急速に勾配がきつくなるも,私にとっては乗り越えるべきセクションの1つでしかない。眼下の景色もそれにつれて開けてくるのだが,そんなものも関係ないのだ。走ることこそ全てであり,それ以外に意味があるのだろうか?とも思えてくる。

何時しか私は咆吼していた。それ以外にこの感情を適切に処理できない。と言うよりもそれはもうすでに起こっていたことであり,理由などは後付でしかない。

峠まではあっという間であった。ダートは距離にして1kmあったかなかったか。しかしこれほど充実した時間を過ごしたことがあったろうか。改めて登ってきた道を振り返る。自動車がすれ違うこともできない細い道。ガードレールもない路肩の下は杉などが覆う急勾配な斜面。この時になってさすがにゾクッとしたが,それも一瞬である。そして一服し終えると,私は峠の向こう側を下りていった。

ダウンヒルは前輪のブレーキパッドとタイヤのグリップ力に文字通り命がかかる。クライムと違いアクセルを緩めてもバイクは止まらない。しかも後輪のブレーキは使い物にはならないのである(私のセローはドラム式なのだ)。先ほどのテンションは急速になくなり,カーブごとに恐怖心が全身を貫く。この果てしないような繰り返しが1kmほどつづき,舗装路になった。舗装路になった途端に強気になるのは安心感と走破からくる自信からである。舗装路の走り易さは感動的である。その後は何事もなく高尾から町田街道を経て,帰路についたのであった。

残念なことに盆堀林道は舗装化が進行しており,ダート部は峠の一部のみである。しかし,初めての方にはちょうどいいかもしれない。

走行距離約80km。時間にして5,6時間くらいのミッションであった。

投稿者 daurade : 23:18 | コメント (0)

初ツーリング

初めてのツーリングは高校2年の夏休みだったと思う。行き先は特に決めていた覚えはない。とにかく遠出がしたかった。親には2,3日帰らないと宣言し,愛車のホンダスーパーカブ50にテントとシュラフなんかを積んで,颯爽と家を出たのであった。
 
何故か自然と足は,相模湖に向かっていた。国道20号を相模湖までひたすら走り,相模湖に着いたはいいが,真夏にも関わらず鳥肌が立つくらいの寒さ。自分としては十分に準備をしたつもりであったが,なんせ経験が全くといっていいほど無い。だから当然防寒具はカッパくらいしかない。カッパでもないよりましなのだが。Tシャツにカッパでは焼け石に水としか思えないほど寒かった記憶がある。

相模湖の先は,そのまま20号を甲府まで行き,長野まで行こうと意気込んでいたのだが,行く手には分厚い積乱雲が立ちはだかっていた。

 んー。。。まあ,あれだ。今は夏だし,やっぱ海だな。

行き先変更。相模湖から国道412号に移行し,ひたすら南下。とにかく寒くて景色を楽しむ余裕すらない。厚木を過ぎて,国道129号を相模湾目指して爆走している途中で,豚を移送しているトラックに遭遇。半ヘルだったこともあり,その臭いにカルチャーショックめいたものを感じた。バイクの弱点をまた学んだ瞬間であった。

さすがに海!季節は夏である。さっきまでの寒さは一体なんだったのか,と思うほど暖かい。。。いや,暑い。。。カッパ邪魔。。。そんなうちに江の島が過ぎ,鎌倉,葉山と国道134号をひた走る。夏の湘南にミスマッチな男は走りながら考える。
 
今なら黙って鎌倉の親戚の家にころがりこめる。しかし,確実に親にばれる。。。啖呵切ったのは今朝だし。。。

私は公衆電話の前で止まり,あるところに電話をかけた。相手は江戸川の小岩に住む高校の友人Y。なんとか頼み込んで,2,3日泊めてもらうことに成功した。

それから,私は三崎で昼寝をし,国道16,1号と爆走し小岩のY家に転がり込んだのであった。そして3日後に何食わぬ顔で帰宅した。

これが,一番最初のツーリングだった。走行距離およそ200㎞。時間にして10時間ほどだったと思う。

投稿者 daurade : 23:04 | コメント (0)

もう色々あったよ富士山編

確かSMと富士山に行ったのは伊豆に行った後,夏休み前くらいの時期だった。多分梅雨の頃だったと思う。なんでAtが居なかったのかは覚えてないが,多分装備の不備が理由だったろう。

 ・・・何故って?それはもう言うまい。

この頃はまだまだ駆け出しの我々。梅雨だろーとなんだろーと走りたくてしょうがない。とはいえ大体めぼしいところは走破してしまった感のあった私は,遂に聖地富士走破をSMに打診したのだった。

マップの情報によれば,大弛と同レベルらしいのだが,地理学科ならではの情報から相当ガレているのではないかという見解が得られた。

それもスコリアの礫がゴロゴロしているとなれば,もはや装備を固めなくては走破は不可能。というわけでAtには言わずに出発することになった。

どういうルートだったか失念したが,おそらく国道413号で向かったと思う。山中湖に抜けて,国道138号を河口湖へ。富士スバルラインを少し過ぎた辺り,船津登山口を南へ。

というか,アバウトに南へ。んー。ここでの間違いがそもそもの失敗の始まりだったのかもしれない。

目指すは富士林道だったのだが,どう走っても目的地に辿り着かない。完全にロスト。無論私が先頭を走っていたのだが,迷っているというそぶりも見せず,舗装路が果てるまで突き進む。

 辿り着いたのが「天神山スキー場」。

もうねえ,地図見てたのに全く見当違いの所に出たわけですよ。そんで申し訳なさそうに振り返ると奴がいるわけです。

「ごめんね!迷った!」(あくまでも爽やかに。さりげなく好感度アップのつもりで)

いつもなら,毒のひとつやふたつ吐くSMだが,この時は普通に地図を眺め,現在地をフォローしてくれた。どうやら我々は鳴沢林道とやらの入り口にいるらしい。

とりあえず鳴沢林道行きますわな。ここから先,どこをどういうルートで河口湖まで下山したのか不明であるが,恐らく富士山の北西斜面を周回していたと思われる。

私の地図には鳴沢,富士,東軒林道は「フラットで走りやすい区間と岩盤が露出した区間の半々」とあるが,感想としては

 激ガレ

特に鳴沢林道から天神峠を越えて片蓋山,幸助山の区間は冷や汗ものであった。おそらく,本線を外したためと思うが,おかげで雨の中,鋭利な軽石で埋め尽くされた人ひとり通れるくらいの道なんかも走破した。

もうねえ,転けたらザクロですよ。まじで。そしてそれよりも
 
青木ヶ原樹海の直近の林道で支線に入っちゃダメダヨ~。僕たち迷子になっちゃうヨ?

ってことです。色んな意味で走破できて幸せ。

そして富士林道に入り,富士山西側斜面を今度は北上し始めたんですが,また事件です。
 
 いのしし出たの。

まあ正確にはうりぼうのケツが藪の中に消えていく瞬間を私が目撃したんですが,子いのししがいれば当然親もいると思われ。。。

ニアミスにほっとしたのは言うまでもない。いのししに

 ド~~ン!

ってされても林道じゃ対応できませんよ私たち。とはいえ,それを除けば殆どがフラットな道で,何となく下山。

でとりあえず時間もあるし,走り足りねえってことで(あの天気でよくそこまで思ったもんだ。。。)精進湖から国道358号で甲府方面へ。途中の峠越え(右左口トンネル)で旧道の林道を走破。

これもまた荒れたダートで,正直帰りたくなった弱い心は胸に秘めて,何とか走破。走り終えるとまた林道走りたくなるからバカである。

境川村役場を経て,県道308号でまたまた富士五湖方面へ。無論これもダートの峠越えである。これはほとんど舗装路で歯ごたえがなかったので,県道36号を経て国道137号へ。目指すは御坂峠旧道からアプローチする西川新倉林道,日滝林道である。ここまで来るとビョーキですな。

御坂峠の茶屋を過ぎ,林道を少し行くと,前方に人影が。おっさんが犬の散歩をしとる。

よく見るとリードつけてねえや。まあ,人も通らないからかなあと思ってたら,なんか犬がダッシュして来るじゃないすっか。

 ・・・・・いやいや。

犬,勢い止まらず。何か牙剥いてる。俺まっしぐらである。

 !!何??俺ロックオン??

すれ違いざまに噛みつかれそうになった私は,辛くもこれをかわした。SMもかわしたのをミラー越しに確認して,一息つこうとした。

しかしである。ミラーには狂ったワンコが,白い悪魔が猛然とSMを追い越して私を追いかけてくるのである。そしてその後ろに悠然とSMが走る。

 これは新しいゲームですか?それとも試練ですか?ダウンヒルのスペシャリストになれと?

などと考えているうちにみるみる差が縮まる。そりゃ死ぬ気でアクセル回しますわな。呆気にとられたおっさんを後目にワンコとのチェイスは続く。追われる方が心理的には辛いということを骨身にしみて実感した瞬間であった。

気付けばミラーにはSMだけが映っており,ほっとした私はバイクを停めた。SMは爆笑していると思いきや,意外と冷静なのが腹立たしい。私がとてつもない犬だったなと聞くと,SMは
 
 なにあんなちっさい犬とじゃれてんの?

だって。

いやいやいや。明らかに殺意がありましたよ!あれは。野性の血でしたよ!

そして敢えて言おう,
 
でかい犬だった

と。

その後は何事もなく下山し,往きと同じ道で帰路に着いたのであった。犬恐るべし。ルートマップはこちら。

投稿者 daurade : 22:56 | コメント (0)

伊豆林道探索編2 00年GW

本編はAtの投稿を元に,管理人が加筆・訂正をしたものである。無論,転載許可済み。本文はなるべくAtの記述をトレースし,私の加筆は()内の記述である。

翌日,寝起きで大鍋林道突破。なんともあっけない・・・。(事はない。前日の雨で露岩が滑り,なかなか走りごたえがあった。というのも,私だけ荷物多いから。。。キャンプ道具やら炊飯道具,食材などなど,全て私が後ろに積んでたから。。。)

眠気ざましにR414で下田へ。天気は多少良くなる。しかし,のんびりしていられない。我々はこの日,大学の助手であったIzaさんと先輩であるBBさん,TktさんそしてMgちゃんとBBQの約束をしていたのだ。待ち合わせ場所は伊東駅前。
 
ひたすら,下田からR135を北上。途中の伊豆高原で寒さにより萎えるが無事伊東に到着。車組(助手&先輩陣)と合流した我々は,BBQの場所探し・・・。

(時間にして8時くらいだったか。時間的にまだ早いということで,とりあえずBBQの前に温泉に入ろうということになった。伊東で探すも,公衆浴場もやっておらず,仕方なく熱川まで移動することになった。

熱川の海岸沿いの温泉に入る。露天風呂で景色を楽しみつつ,疲れを癒す。

風呂から上がり,さて飯でも・・・という事になり,我々は場所を探すことになった。場所を探しつつ,スーパーも物色。BBQの食材は現地調達に限る。やはり場所柄魚介類を食べようということになり,とあるスーパーでイカなどを購入し,適当な砂浜をを発見。ようやくBBQにありつく。

やはり特筆すべきは,魚介類。皆無言でほおばる。特にイカの肝は絶品であった。日本酒を飲めないのが痛い・・・。)

飯後に温泉でも入ろうということになり,いざ修善寺へ!!ということになった。Ikが知っていた最近出来た総檜風呂へ!

(何故修善寺になったかというと,私の母の友人が修善寺に住んでおり,そこからの情報によって,この温泉の存在が知れたのである。そこで私が強烈に修善寺をプッシュしたのだ。距離的にかなりあったものの県道を走り繋ぎ,修善寺に着いたのは15時くらいだった。ちなみに温泉名は「筥湯(はこゆ)」」という。)

素晴らしく気持ち良かったのを覚えている。あの温泉は俺ん中で3本の指にはいる。

(そうなんです!当時はまだ完成したてで,そんでもって内湯だけなんだけど,その浴室中に檜のいい香りが立ちこめて,それはもうなんともいえない清々しさだった。皆さんも満足げだったので,私も一安心だったのだが・・・。

Izaさん,波動砲発射す。とりあえず下図を。

hadouhou.gif

下手な絵ですが,説明しますと,このように足を延ばし,つま先を立て,両手でスカーリングして浮上するわけです。ヤマトに見立てるそうです,足を。これはなんとも難易度が高く,私には到底まねできるものではなかった。てかすいません,ヤマト世代じゃないんです。

 とまあ,こんな感じで充実した温泉だった訳で,参加者全員満ち足りた気分で帰路についたのであった。Atは)

帰りはどこをどう帰ったか記憶がない。車組とどこで別れたのかも不明である。我々3人が流れ解散したのだけは覚えている。

(というので若干補足。帰りは車組は高速で,我々は下道で帰った。一応大井松田の出口付近で待ち合わせということだったが,多分高速は渋滞していて,下道の方が混んでいないと踏み,どちらが早く着くか競争することになったのだ。

結果は我々が僅差で負けたものの,なかなかの走りをみせることができたと思われる。合流後食事をして,私はR246で,他のメンツはR129ということで流れ解散となった。)

走行距離約200km。

投稿者 daurade : 22:48 | コメント (0)

伊豆林道探索編 00年GW

本編はAtの投稿を元に,管理人が加筆・訂正をしたものである。無論,転載許可済み。本文はなるべくAtの記述をトレースし,私の加筆は()内の記述である。

伊豆に行ったのは琵琶湖に行った翌年,GWころだったと思う。泊まりのツーリングは,確か2回目で,連休を利用して林道を走ろう!!!と話が持ち上がったのだった。

(Atはツーリングメインの記憶しかないかもしれないが,実は琵琶湖から引張っているものが,この件のきっかけなのである。

BBQ食いそびれた人たちがいます。アポ3人です。

それを哀れに思ってくれた人が,せっかくだからBBQやろうぜ!ということになったのだ。ただ,ぶっちゃけ私は乗り気ではなかったのだ。その理由はおいおい明らかになろう。)

春先の山は5月でも寒いが,バイクに乗れる時期が来たので,皆うずうずしていたのだろう。目的地は,雑誌で見て惚れた長九郎林道&萩ノ入林道,大鍋林道である。面子はIk(管理人),SM,Atの琵琶湖組。(それとBBQを企画してくれた,大学の助手Izaさん,先輩のTktさん,BBさんそれとMgちゃんであった。)

我々は先発隊として前日に伊豆入りし林道を走り,翌日彼ら車組と合流する予定だった。

しょっぱなの長期ツーリングが琵琶湖だったため,多少のきつさに耐えられる精神力がその時点でついていた。琵琶湖(伝説)みたいなツーリングは,後にも先にもないのだが・・・。

(嘘です。あります。私だけでなく,Atだって青森の巡検行ったときにセロー壊して帰ってきたのに・・・。本題に戻ろう。)

ツーリング当日の天気は曇りだったと思う。伊豆に入ると,残念なことに小雨がぱらつきだしたと思う。出発時刻がいつだったか定かではない。Ikが大学まで来たのか,それとも国道246のどこかで合流したのか。

まてよ?R246の愛甲石田の駅前にあるコンビニで待ち合わせたんだっけ??(はっきりいって,私も覚えてません。ただコンビニはSMが居た記憶がないので,多分大学に集合して,そして誰かが遅刻したんじゃないか?)

合流した俺たちは,R246から沼津に出て,国道414号経由で国道136号に入った。そして,出発から休憩をとっていなかったので,コンビニに寄ろうということになった。そこで事件は起こる。走行の順番はIk,At,SM。右手にコンビニが見えてきたので・・・


(まだそのネタは早すぎる!その前にR246・御殿場付近で発生した事件に関して少し。

確かこの時,先頭はAtが走っていた。私とSMがそれに続く。

と思ったら,At急加速!

何事??

At,ぐいぐい加速。遙か彼方に消え去る。

と思ったら減速し,急速に我々との距離が詰まる。

・・・そんなんの繰り返しだった訳で。コンビニで聞いてみると

At:いやー,バックミラーでさ,おまいらが豆粒みたく小さくなったりすんのがおもろくて・・・

だって。さて件のコンビニに目を戻そう。。。)

我々は,沼津駅に向かってR414を東海道線の線路沿いに走っていた。2番手の私(At)は右ウインカーを出し,コンビニに入ろうとした。その時点で先頭のIkはもうコンビニに入っていてもおかしくない。だが、Ikはよそ見していたのか急激に右折したかと思うと


 縁石に「バコォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」・・・・・・・はまった・・・・。


 俺(At)とSMはコンビニの駐車場で笑っていた。しかし,なかなか抜けないので手伝い,どうにか休憩をとったのであった。

 その時の会話。
 
 俺(At):「・・・・・どうしたの?」

 Ik(私):「え・・・信号が・・・」

 SM:「・・・・・ニコニコ」(というよりニヤニヤ・・・・)
 
 俺:「信号???」

 Ik:「信号が点滅してて見とれてた・・・。」

 俺&Sm:「・・・・・・・・・・・・苦笑」

 確かに一直線の道路に信号が5,6個黄色点滅だったが・・・。まぁ、怪我もなく、セローも無事で旅は続く・・・・。

(説明しよう。その道路は直線が1Kmくらい続き,非常に見通しがよかった。その道路にいくつも連なる信号は,ほとんど全て黄色の点滅で,それがずーっと一直線に続いてる訳です。

ええ,確かに見とれましたよ。いや,見とれるって,実際。

そしたら,コンビニが急に現れて(ような気がしたのね),右折だ・・・って思ったら,対向車来てて,慌てて駐車場に入ったと。

いや,入れなかったと。

あの高さのある縁石に思いっきり乗ったよ,こんな感じで。

ftire4.jpg

まじでタイヤ交換出来そうだった。タイヤ交換は耳落としが重要なんです,斬り。切腹。)

休憩後,修善寺手前でR136からR414に移り伊豆を南下。この辺りから小雨がちらつき始める。ちょうど昼飯の時間になりかけていたので,お決まりの道の駅(天城越え)でお決まりのインスタントラーメンを駐車場の片隅で作り,食らった。バスの団体客に変な目で見られながら・・・・。

その後,天城トンネル(旧道)をくぐり,いよいよ林道へ!!!

まずは荻ノ入林道,フラットで走りやすい林道。雨のため滑りやすい露岩に最高レベルの注意を払う。例によって俺(At)だけサンダルみたいな靴なので・・・。

次に長九郎林道,結構ぼこぼこしていておもしろい!!!テンショングぐんぐん上昇!!!(確か砂利が多くて,私は転けそうになった。。。思いっきりけつを左右に2,3度振らせるも,天才的なバランスで持ち直す。さっきのミス帳消し。)

難なく(私以外はね)走り終え,寝床を探す。すると長九郎と大鍋の合流点にやや広い平坦地発見!!!まだ,午後3時頃だったが早めにテントを張る。我々もバカではない。ちゃんと琵琶湖で学習してるのだ。

テントを張り一息ついていると,遠くから排気音が・・・。えーーーBMWの軍団です。我々ぽかーーーん。

大型で来るとは・・・やるなと思いつつ飯の支度。ご飯,味噌汁,サンマの缶詰を流しこむ。疲れたので早々就寝とおもいきや,遠くで野良犬らしき遠吠えが・・・だんだん近づいてくるではないですか!!!!と考えているうちに熟睡。

(すぐ寝付けたのは私以外だろう。Atは覚えてないらしいが,昼食の前に1本林道トライしてるんです。

丸山林道。

しかし,結局道に迷い断念。

結果的にはよかったと今でも思っている。実は,あまり伊豆行き乗り気でなかったのは,それ以前にみたTV番組の影響なのである。「アンビリバボー」のとある放送で,伊豆の林道で幽霊をビデオに撮ったのを公開していたのだ。コーナーミラーの所に半透明の着物を着た女性が立っているのを。

思うにその林道は丸山林道の可能性が高いのではないか。わからないけど。ただ,長九郎にもミラーあったんでね。林道内で野宿はあまりいい気分ではなかった。)

走行距離約160Km。

投稿者 daurade : 22:32 | コメント (0)

琵琶湖修行編4

正直申しまして,寒くて眠れませんでした。

テントの中で身を寄せ合う我々3人。もうむさいとか関係ないです。だって寒いんですもの。どれだけ夜明けが,日の光が待ち遠しかったことか。

7時ごろ起き出すも,マジで寒い。氷点下ありえない。

見ればテントのフライシートが真っ白になっている。とりあえず,あったかいものが飲みたい。私は湯を沸かし,コーンポタージュを飲みながら,朝食の準備を始めた。

今日の目的地はない。もう帰宅するからである。

体力の限界。。。

朝食を済ませ,宿の人に礼を言い,われわれは出発した。帰宅するということもあって大分気が楽だ。そこで,今日は先頭を交替で走ることになった。

県道17号を韮崎まで走る。韮崎から国道20号へ,甲府の中心地に差し掛かったところで国道411号に入った。笹子トンネル飽きたんですもの。たまには青梅の方に抜けるのもいいかなと。ただ理由はそれだけではない。

この日,大学の友人たちが奥多摩でバーベキューをするといっていたのを私は忘れてはいなかった。というかわれわれも誘われていたのだが,敢えて断ってこの旅に出たのだ。

でもね,毎食カーボンばっかりじゃあ飽きますよ。肉食いたくなりますよ。

そんなわけであわよくばバーベキューを強襲し,肉だけかっくらう計画を立てたのだ。

R411に出て,笛吹川を渡った辺りで先頭を交替した。確かAtだった。しばらくそのまま進んだのだが,私はあることに気付いた。At,ウィンカー点きっぱなし。直線道路を黄色のを点滅させながら爆走中。バックミラーを見るとSMも気付いている様子。面白いから気付くまで放置することにした。

結局Atは塩山を過ぎるまで気付かなかった。休憩したときにその事を言ってやったら,「疲れてんだよ」だって。

嘘付け。立ち乗りしてノリノリだったくせに。。。

その後は何事もなく,優雅に柳沢峠を越え奥多摩湖へ。ここまでくればバーベキュー会場は目と鼻の先である。彼らは奥多摩駅から歩いて行くと言っていた。とりあえず奥多摩駅まで行かねば。

奥多摩駅近くのコンビニにたどり着くと,既に昼を過ぎていた。早速友人の携帯に電話を掛ける。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つ,つながらね。圏外って。J-PH○NEつかえねえ!

最悪なことに友人達はほとんどJ-PH○NE。これじゃあ,くわしい場所がわからねえ。。。At速攻あきらめておでん食ってる。はや!

SMもパン食ってる。

私は・・・・カレーヌードル食いました。2人は絶句してたけど。

どれだけラーメン食うねん!って話ですが,カレーは別格だもの。

結局そのまま帰宅。後日友人に聞いたところ,彼らは件のコンビニから少し脇に入った河原でやっていたらしい。・・・・・とりあえず狼煙でもあげてくれとは言っておきましたが。

走行距離約180km。こうして怒濤のツーリングは無事に幕を閉じたのだった。多分1万も使ってないはず。

投稿者 daurade : 22:28 | コメント (0)

琵琶湖修行編3

相変わらず寒い。寒くてあまり眠れない。日が昇るのを待ち起床。一回テントの外に出るも,寒くてまたシュラフへ。全員が起きたのは7時ころだった。

明るくなって初めて辺りの様子が分かった。多分テントを設営していい場所ではない。。。空気は澄んで気持ちいいものの,やはり寒い。とりあえず,いつものメニューを作ろう。

朝飯食って,今日の目的地を話し合う。というか昨晩からほぼ決定していたのだが。

目的地は諏訪のレッドバロン。SMのレイドの調子がいまいちよろしくない。昨日このキャンプ場に着くなり,オイルが漏れてるとの申告あり。とりあえず私が持ってきていたエンジンオイルを継ぎ足そうとするも,機械締めのナットが弛まず断念。そのまましまうのもなんだから,私とAtのセローに補充。

 ええ,なんの解決にもなってません。

という訳で,急遽最寄りのレッドバロンに向かうことになったのだ。(SMはレッドバロンでレイドを購入した。バイク版のオートバッグスみたいなもんである。ちょっと違うけど。ちなみにレイドのオイル漏れは持病らしい)

撤収の準備をしていると管理人のおっちゃんが軽トラで参上。

・・・・・・・怒られる??

あ。こっちくる。微妙な表情してる。。。

おっちゃんとしばし雑談。てか,どしどしキャンプしてくれって。東京からくる人も珍しいとか。気さくな人だ。鈴鹿のおやじとは,えれー違いだ。

荷物を積み込み,県道8号,大平街道で飯田に向かう。確か途中には,廃村になった集落を通り過ぎたはずだ。その日は日曜で,朝っぱらから観光客が写真を撮りに来ていた。多分,夜知らずにここを通っていたら,びびりまくっていただろう。。。

なんでもこの大平という集落は,中山道の脇街道で栄えたものの,高度成長期に集団移住し,廃村したとのこと。現在は街並み保全され,当時の家屋で宿泊も可能らしい。まあ,当時のわれわれにはそんなこと関係なかったですけど。

飯田峠を越え,飯田の中心部に下山し,そのまま天竜川を渡り,県道251号へ。また山である。ここからが長かった。。。ずっと山道ですから。。。

矢筈湖から国道152号へ入り,そのまま矢筈トンネルへ。全長4kmほどのトンネルを抜け,林道に入り地蔵峠へ。峠を越え,青木川沿いに国道を北上し大鹿に抜け,国道と県道22との分岐に。このまま国道を走れればよかったのだが,その先の分杭峠で「地滑りのため通行止め」との看板を発見。仕方無しに県道22,59,210,49号と西側から回り込むように迂回しつつ,国道152に復帰した。

もう延々山道である。はっきり申しまして,海の方がよかったと。朝からずっと山道でうんざりであった。そりゃ,集中力も切れてきます。そんな時に事件は起きる。そう,現場で。

R152に入りブラインドカーブが続くタイトな下り坂を走っていた。私が先頭で,At,SMと続いていたと思う。いくつめかのカーブを曲がろうとした時,急に車が!

いや,まじで対向車なんかこねーだろと思って油断してたもんだから,あわや正面衝突のところであった。あの時車の助手席に乗っていたおばちゃんの顔が,今でも目に浮かぶ。ほんの一瞬のことであったが,ぎりぎりのところで車をかわし,そのまま私は走り去った。さすがにこの時ばかりは,後続の事は頭になかった。少し走って後方からクラクションが。

最初は車のかと思ったが,どうもセローのような気がする。路肩にバイクを寄せ,後続を待つも,来る気配はない。路肩の左側はガードレールがあるものの断崖絶壁。

 来ない。。。不安がよぎる。

Uターンして現場に戻ると,SMとレイドがガードレールの脇に倒れている。Atがレイドを起こそうと手伝っている。

あわてて私も駆け寄り,SMを助け上げ,レイドを起こすのを手伝った。SMは右足を引きずっているものの,笑顔である。笑顔と言うよりも興奮して上気していた。

私が車をかわした後,Atもなんとかかわしたらしいが,SMはかわしたものの曲がりきれず,ガードレールの砂利にタイヤを滑らせ転倒したとのこと。幸い,厚着していたのとサイドバッグがクッションになり大事に至らなかった。サイドバッグ溶けたけどね。でもガードレールがなければ死んでたかも。。。ガードレールさまさまである。

スピードは出ていなかったものの,右の膝を痛打したらしく,ひざー,膝いてえと連呼していた。そこで,地図を広げた私は一計を案じた。打ち身には湯治だ!と。幸い途中の高遠には温泉がある。SMも足は動くから大丈夫だと言うので,先を急ぐこととなった。

とはいうものの腹が減っては戦はできぬ。そろそろ昼飯を食いたい。ちょうどこの先国道沿いに道の駅があるらしいので,そこで昼食をということになった。事故現場から10km程北,美和湖のほとりにそれはあった。着くなり,水場確保。てかトイレの洗面所ですが。そしてラーメン。不健康極まる。

芝生で昼食。しかしである。この道の駅で,このような暴挙に出てしまったのを我々は食事をしながら後悔した。観光客の視線が痛い。全くもって場違いなことこの上ないが,やむを得ない。背に腹は代えられぬ。

無事昼食を済ませた我々は一路高遠に向かった。高遠ではおじゃる丸のでかい看板がお出迎え。そして温泉へ。SM,困惑した表情を浮かべる。

 曰く「血流がよくなって,余計痛い」

一理ある。。ま,まあ湯治だからいいんだよ。多分。

そんなこんなで湯船に浸かりながら,おじゃる丸の話に華を咲かせたわれわれ(私とSMだけだが)は,諏訪のレッドバロンに向かったのだった。

R152をさらに北上し,杖突峠を越えるともう日は暮れようとしていた。早くレッドバロンに行かねば!SMに聞いたところ,肝心の住所がわからんらしい。

・・・・な,なんと。この上さらに試練が?しかも地方のバイク屋なんざ,日が暮れたら店閉めるに違いない。まじで時間がない?

ここからが私の出番である。大型チェーン店だからおそらく国道沿いにあるに違いない。多分国道20号沿いだろう。しかしどっちだ?茅野より諏訪よりか?それとも逆か?

・・・・・私は諏訪よりに賭けた。さらにこの時間帯だとR20は混むと踏んで,裏道を通って諏訪方面に向かった。野性の勘の赴くまま,R20に出ると,なんとレッドバロンの真ん前だったのだ。しかも閉店ぎりぎり!

慌てて店内に飛び込み,なんとか処理してもらったのだった。ほっとした表情のSMが戻ってくると,今度はどこにテントを張るかの相談が始まった。というより,温泉に入りたいという気持ちの方がでかかった。

こうなりゃ温泉はしごしなきゃ気がすまねえ。昨日は入ってねえし,湯治しなきゃだし。というわけで目的地は八ヶ岳山麓の原村にある「もみの湯」に決定した。

ん?テント?そんなもんどうとでもなる。

茅野から県道188,17と走り,もみの湯を探す。迷いながらもなんとか辿り着くと

 現在改装中

 !!なんとな??ここまできて・・・。呆然と立ち尽くす私を後目に,2人は隣の建物へ。

 ??何してんの?あのこら?

2人に追いついて聞いたところ,隣で入れるっていうじゃないすか。???

 2人:ちゃんと看板読め!

 現在改装中 ですがご利用されるお客様は隣の樅の木荘にてご入浴できます

 あ。はい。じゃあ隣へ。

隣の「樅の木荘」のロビーで宿の人に確認したところ,確かに入れるらしい。

 宿の人:内湯ですがいいですか?泊まりのお客様と一緒になりますが?

 私   :はい(入れればなんでもいいざんす!)

 宿の人:今空いてると思いますよ?どうぞ,奥になります。

 私   :あの・・・。ここら辺に公園とかありますか?

 宿の人:???いやー,この辺は別荘地ですから無いですよ?なにか?

 私   :実は・・・野宿する場所探してるんです。

背後からは2人の熱い視線が送られてくる。

 宿の人:・・・・。ならうちの駐車場使っていいですよ。裏の方なら芝生だし。水も使って大丈夫です。

 ああ!!菩薩に見える!!この人いい人だ!

こうしてわれわれはバイクを裏にまわし,テントを設営してから,温泉に入ったのだった。浴場には誰もおらず貸し切り状態。存分に温泉を満喫し,挙句私は泳いだ。

風呂から上がり外に出ようとしたとき,宿の人からありがたいお言葉が。

 今夜は氷点下いくらしいですよ。

・・・・明日起きれますように。。。走行距離約140km。

投稿者 daurade : 22:12 | コメント (0)

琵琶湖修行編2

何時に起きたか覚えていないが,確か寒くて目が覚めた記憶がある。どんより曇った朝だ。遠くから波音が聞こえる。。。

む?いや。寝惚けてる。。。

しかし確かに聞こえる。他の2人も起き出してきた。寒くてあまり眠れなかったようだ。

駐車場でぼーっと立ち尽くしていると,Atがおもむろに湖の方へ歩き出した。てかなんか体を左右に振りながらぴょんぴょんはねちょる。。。

デンプシーロール??

いや,そんなことはどうでもいい。

湖岸からAtがおいでおいでしている。仕方無しに我々はそこに向かった。湖岸に波が打ち寄せている。波音はこれだったのだ。結構驚きだったはずだが,寝惚けの私にとってどうでもよかった。

Atは石投げていた。腕組みして見ていたSMも,不敵な笑みを浮かべて石投げし始めた。

うお。。なんか寝起きで。。。てか2人ともナチュラルにうまい。。。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・ふ,ふふん。薄っぺらい石なんぞ跳ねさせおって!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私はおもむろにデカイ石を手にし,おもっきしぶんなげた。まあ,飛距離は言うまい。そしてそのまま第一回遠投大会へと。

こうして無意味に肩を痛めた我々は,朝食の準備に取りかかったのだった。。。

朝食は確かインスタントラーメンだった。それをとっとと平らげて,手早く荷物をまとめ,日本海に向けて出発した。

何故に日本海を選んだのか。当時私は大学のF先生の所でバイトをしていた。先生が採取してきた堆積物を試料に加工し,カーボンを測定したり,X線分析をしたりしていた。まあ,条件がよかったんで。

たまたま最初の飲み会で私とAtが先生の隣に座り,スカウトされたのだった。そのサンプルの中に三方五湖の堆積物があった。

そんな訳で三方五湖である。今更ながら2人ともごめんねえ。嫌そうだったもんなあ。

さてこの日どういうルートを取ったかはっきりいって断片的にしか覚えていない。。。多分琵琶湖の北側を反時計回りに周回し,国道303,27号で湖に向かったと思われる。

空模様は相変わらずだった。どんよりと雲が広がり,時折冷たい雨がぱらつく。

鬱だ。。。

湖への分岐辺りで私は路肩にバイクを停めた。

 私:・・・・

 2人:・・・

振り向きざまに目があった。

・・・・ですね。ルート変えよう。こんな天気で湖と日本海見てもねえ。。。

とりあえず琵琶湖方面に戻ることに即決。敦賀経由で国道8号で琵琶湖に戻り,そのまま国道365から関ヶ原を経て,大垣へ。

途中関ヶ原近辺の道端で昼食をとる。いや,ほんと道端で。しかもまたラーメン。。。コンロ出して。。。

確かこの時どちらかが写真を撮ったはず。その写真はかなり貴重なのだが行方知れず。。。なにも坂道で調理せんでもいいのにというような場所だったのだが,案の定,鍋ひっくり返しました。

気を取り直して,目的地再設定。しばしの談義の末,南木曾に決定。

南木曾・・・・。一体どれくらい走るんだよ。。。

とはその時思わなかった,少なくとも私は。何故ならもう壊れてましたから。

日本海に懲りて山にしよう,ということになったんだっけ?宿泊地は南木曾から飯田に抜けていく大平街道の峠にある,県民の森キャンプ場(無料)。しかも途中には冨貴の森温泉(?だったと思う)もあるというのが高ポイント。というわけである。

温泉は確か21時までとマップにあったので,それまでに辿り着かなければならない。

あとはひたすら走るのみ。国道21号を美濃加茂へ。そして国道418に突入。すでにこの時点で日が傾きつつあった。しかも段々道が細くなっていく。。。

まじで道あってんのか?国道っていう感じではない。。。それでも走り続けるしかないのだが。。。

山道をひたすら走る,走る。すでに日は暮れている。街灯も何もない。ガードレールがあるのだけが救いだ。セローのライトでは心細い。SMのレイドに先頭を譲りつつ,半べそかきながらどれくらい走っただろうか。

いくつ目かの尾根を越えると,眼下に町の灯が!この時ほど人里が暖かいと思ったことはない。

恵那に着いたのは19時をまわっていたと思う。しばし休憩を取り,温泉に向けてスパートをかけるべく私は走り出したのだが・・・。

後続が来ない。。。

私は路肩に寄り,彼らを待つも来る気配がない。仕方なく戻るとSMがAtのセローの脇で立ち尽くしている。

 私:どうした?

 At:・・・・

 SM:エンジンがかからないらしいよ・・・

 ・・・・・・

隊長。。。勘弁してください。。。

いくらセルを回しても,うんともすんともいわない。

・・・ここで野宿か?こんな歩道で?

私が押しがけを試みようとAtのセローに跨った瞬間,気付いてしまった。キルスイッチがOFFになってます(キルスイッチとはエンジンを緊急停止させるスイッチで,普段はRUNになっている)。

えーと。RUNにしてー,セルまわしてー,エンジンかかってー・・・半べそAt,一瞬で笑顔に。

「いやー,まじであせったよ!!」

隊長。。。勘弁してください。それはこっちのセリフです(私・SM)。何故にそこがOFFに??

ともあれ,無事出発。国道19号をトラックに揉まれながら,南木曾の手前で国道256へ。温泉は目前である。途中にも何軒か温泉宿がある。今思えばそこにはいっときゃよかったんだ。

なんとか目的の温泉に辿り着くも,時刻は20時半。ぎりぎり間に合ったと思った。思って,速攻で支度して入り口行ったら

 入館は20時までです。

 ・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 !!なんですと?!

駐車場にあった送迎バスからおっちゃんが出てきて,×印。われわれ脱力。するとおっちゃんは向かいに別の温泉あるよ,と言うじゃない。そしたら俺らダッシュでいくじゃない?

 本日定休日

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

振り向くと,おやじバスに乗って去る。

 おやじ!!!!!待て,うおら!!ヴォケ!!

3人のライダーはしばしその場に立ち尽くしましたとさ。

仕方なくキャンプ場へ。寒い。身も心も。道,ガードレールもないです。寒いです。キャンプ場についても誰もいるわきゃない。てか,真っ暗。とりあえずテント設営,夕食準備。

星がきれいだった。カラマツ(だと思う)の樹冠から,星が瞬いている。飯を食いながら,星を見るのも悪くない。

 私:クマ出ないかな?・・・
 2人:・・・・・・

ああ!大事な問題流された!

就寝。走行距離約280km。

投稿者 daurade : 22:04 | コメント (0)

琵琶湖修行編1

99年の11月初旬の事であった。里山の落葉樹が色づき始めた大学祭の季節。そんな時期に我々3人は旅だったのだった。

出発前日の夜,私は大学にいた。SMは既に帰っていた。霧雨が降り続く,なんとも陰鬱な夜だった。Atの授業が終ると,我々2人は寮の風呂に向かった。かび臭い寮の風呂を出た後,Atの部屋で仮眠を取った。翌朝の出発時刻は6時。その時刻にはSMも寮の前にやってくるだろう。

遙か彼方から音が聞こえる。それが次第に輪郭を取り始めた時に訪れる静寂。それを何度繰り返しただろう。何度目かのそれで,私はようやく覚醒した。時計の針は6時をまわっている。あわてて窓の外を見ると,寮の入り口に人影が。まだ眠っているAtをたたき起こし,大急ぎで支度を整え,SMのもとに向かった。

 えー,30分待ちだそうです。。。

いきなりやらかしました。しかも雨。それも昨夜より若干強まっている気配。既にSMは完全防水装備である。

装備所持品のレベルからいくと,SMがトップ。当時既にヤマハのクルクルレインスーツとやらを持っていた。しかもブーツカバーもなかなかの品。愛車レイドには振り分けバッグも装着している。

続いて私。NAPsで購入した安物のレインスーツと以前から持っていたレインスーツの二枚重ね,格安で購入したブーツカバー。そして愛車の後ろにはどでかい真紅のドラムバック。

そしてAt。雨具借り物。ブーツカバーなし。荷物の防水,ゴミ袋仕様。以上,ネタではないです。

この雨天のため,しばしの作戦タイム。てか普通は取りやめると思われ。しかしバカが3人集まれば,怖いモノなどなくなるものだ。結局そのまま出発。

いや,その前にAtのブーツカバーを何とかせねば。苦肉の策として私が考え出したのが,スーパーのビニール袋を足にかぶせ,その上からガムテープでぐるぐる巻きにするというもの。これならば一日くらいは持つだろうとふんでいたのだが。。。

出発。橋本から国道129号で厚木まで。そこからR246。以下名古屋までのルートは「初めての四国編1」を参照されたい。

経験を買われ私が先頭,そしてAt,SMという布陣であった。私は静岡まで行けば雨も弱まるだろうと考えていたのだが,それはとんだ思い違いであった。むしろその逆だったのだ。

御殿場を過ぎ,沼津を過ぎると雨は弱まるどころかますます激しくなり,我々を打ちのめす。特に先頭を走っている私は,数々の試練に耐え抜くこととなる。

朝の国道は無論車の往来が激しい。特にトラックとすれ違う時にその事件は起こる。R1の沼津~富士区間では轍が深い。当然そこに水が溜まる。トラックが通る。水がはねる。というか大量に押し出される。反対車線の私に水が掛かる。というかそんな甘っちょろいレベルではない。バケツで水を掛けられたくらいの衝撃なのだ。

雨宿りの為にPITに入った道の駅富士。まだ9時もまわってはいない。

2人の目が死んでいる。。。死んだ魚の目をしている。。。

当然だろう。何を好きこのんで晩秋の肌寒い中,雨に打たれて琵琶湖くんだりを目指しているのか。冷たい雨は容赦なく体力をもぎ取っていく。会話を交わすことなく座っている2人。見ると,既にAtのブーツカバーは無くなっていた。

「あれは本当に無意味だったよ・・・」

後にAtはこう語った。所詮はその場しのぎ。私の思い付きも空しく,季節はずれの豪雨に跡形もなく砕け散ったのだった。。。しかもこの時点で,水は容赦なく雨具の下に浸透し始めていた。正直,内心引き返そうと思った。それは他の2人も同じだっただろう。でも,ここまで来て・・・という思いの方が強かった。

雨どころか風まで強まってきている。。。路面を水しぶきが舞う。確か,安倍川の橋だったと思う。激しい風雨に慣れ掛けたその時にまたも事件は起きようとしていた。

安倍川の橋は確か2車線だったと思う。歩道はなかったように思うが定かではない。我々は左車線を走っていた。私の前には2トン車が走り,車間は10m程だったか。そのトラックがわずかに橋の欄干に吸い寄せられた気がした。いや,確かに吸い寄せられた。そこまでは確認した。しかし,私はなんの対処もせず,その場所を通過しようとしていた。

その時。自分では真っ直ぐ走っているつもりだった。だが,強風に押し出され,一瞬時間が止まった。次の瞬間にはガードレールが眼前に迫ってきていた。頭で認識するより先に体が動いた。瞬時に体勢を立て直し,事なきを得たのだが,もしあの時体が動いていなかったら。。。。

甘く見ていたのだ。危うく安倍川にダイブするところだった。。。私はまたひとつ身をもって学んだのであった。しかし・・・。よく考えてみると,以前にも似たような出来事があったような・・・。

いいんです!結果オーライなんです。バックミラーには悠々とそれをかわす2人の姿が。。。

その後は無事にやり過ごしたものの,磐田を過ぎ,天竜川を渡った所で,雨風が洒落にならんくらいに激しくなってきた。

だって,もう前見えないっすもん。。。

そこで急遽横道にそれ,私は休憩を取ることにしたのだ。何を思ったか,私は中田島砂丘に向かったのだ。いやね,そこなら休めるかなーと思ったんすよ。砂丘に到着し松林を抜けた。

雨宿りなんてできん!そんな状態じゃない!

風が吹き付ける中,呆然と立ち尽くす私たちを後目に,ひとりの勇者が敢然と歩を進めたのだ。

At氏,ダッシュで堤防の上に。そして腰に手を置き,大の字に太平洋を望む之図。

私とSMはその漢の後ろ姿を忘れないだろう。

10秒後,At氏そそくさと帰陣。その姿を見て我々爆笑。

曰く「砂が・・・」。

そう,前面砂まみれ。メットのシールドの砂を必死で払う,ひとりのバカちゃんの姿も,我々は忘れないだろう。

伝説の地となった砂丘を後にするも,天は我々にまだ試練を与え続ける。路面の水しぶきが荒れ狂っている。。。仕方なく,浜名バイパス陸橋の下に潜り込み,しばし休息を取ることにしたのだった。

2人は既に開き直ったようだった。むしろこの風雨を楽しんでいるように見えた。てか,そうしとかんと萎える。2人はさっきの事を話し始めた。私が欄干に吸い寄せられた時,2人とも逝ったと思ったらしい。。。御陰でこっちは無事だったとも言われた。。。先陣をきるということはしんどいものだ。しかも,ちょっと道を間違えた事も突っ込まれた。

実はこれは重要な問題を孕んでいた。この行程中は遂に明かすことはなかったが,後日私は2人に告白した。

見えてないんだ,と。

メガネを掛けないと正直,行き先案内板の文字すら読めない。ただ,字の輪郭と配列であらかたを予想しているだけだったのだ。SMの顔は引きつり,さすがのAtも絶句した。ちなみに私がメガネを買ったのは,この半年後であった。

雨は弱まる気配すらみせない。まじでここで野宿してもいいと思った。その時の私の正直な思いだった。

もう,琵琶湖なんてどうでもいーじゃない。住めば都とゆーじゃない!テント立てようぜ!・・・とは言えない。言えるはずもない。

言い出しっぺは私。視線を感じた私が振り向くと,SMがこう言った。「琵琶湖着くの?」

 ・・・。微妙。。。

確か時刻は昼過ぎだった。しかもこの空模様である。「てか風呂はいりてえ」とAt。珍しくまともな発言である。SMも頷いている。

 ・・・風呂?風呂。ふーろ?!ふーーろ!!!いえす!

それしか現状を打破する手はない。雨上等!そう,風呂があればいくら濡れようとそれでリセット。琵琶湖まで行けば長浜に温泉がある。と言ったら,Atさんもう我慢できんぐらいのオーラ。

・・・すぐ?それはちょっと・・・。

すかさずSMにアイコンタクト。SM「もうちょっと先いかね?」

さすがっす。なんとかAtに納得してもらい,先を急いだのだった。最悪長浜ということになった。19時がリミット。果して間に合うのか??

名古屋に近づくにつれ,雨も弱まりだす。何とか峠を越えたらしい。R23を弥富まで行き,県道66号を北上。途中銭湯とコインランドリーの看板に釣られて横道に。

銭湯の前で協議。既に雨は上がっている。ここで風呂に入り,かつ服を乾かすか?現在16時(多分)。

・・・・・否!琵琶湖を目指す!温泉に入るのだ!

服を乾かす時間もないと判断し,再びR66へ。県道14号を経て,国道21号。これで琵琶湖を目指す。この頃から雨との戦いから時間との戦いへと移行している。今思えば,ツーリングでタイムアタックしてどーすると。。。

無情にも日は暮れていく。私の体内時計が黄色信号から赤に変わる。まだ大垣。おそらく時刻は17時をまわっているはず。R21を走りながら,米原・長浜までの距離と道の流れ具合から,残り時間を推定する。

・・・多分無理!やばい。どーする?

 !!

私は閃いた。急遽ガソリンスタンドに入り,給油。2人も釣られて給油。そしてすかさず私は店員に,この近くに銭湯はないかと聞いたのだった。店員が指さす方にはスーパー銭湯のネオンサインが!そう,高架の影に隠れて,我々はそれを見落としていたのだ。

私の野性の勘が最も冴えた瞬間だった。さすが俺!

銭湯の駐車場に着いて,雨具を脱ぎ,温泉セットを引っ張り出し,風呂に入るまでの所用時間は,恐らく5分もかからなかったろう。そして湯船に浸かった瞬間の気分をどれほどお分かり頂けるだろうか?

 3人:あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

もう何にもいらない。神様ありがとう!がんばってよかった,まじで。。。思わず泣けてくるほどの快感。

この銭湯には電気風呂があったのだが,Atはどうやらそれがお気に召したらしく,ずっと浸かっている。

てか,おいでおいでしてる。

はじめは無視してたんだが,すねるから行った。んで,3人で浸かってたら何かしらんけどブルース・リーの話からキン肉マンの話になって,SMが胸筋をピクピクさせ始めた。Atと私爆笑。普段絶対そんなことはしないからだ。

At,ご機嫌麗しゅうなってSMに「マッチョ」と名付ける。

SM却下。

At構わずマッチョと連呼。

SM無視。

そんなやりとりを横目に,ひとりのんびり湯に浸かる私。

すっかり上機嫌になりつつも,濡れた雨具を着てまたへこみ,それでも果敢にR21を米原まで攻める。琵琶湖の湖岸に到着したのは19時をまわっていた。我々は,道の駅にテントを張り,夕食を取った。メニューは白飯とみそ汁とインスタントラーメン(しょうゆ)。

SM「ラーメンがこんなにうまく感じたのは初めてだ」。

こうして,波乱の幕開けとなった初日は無事に過ぎていったのだった。

走行距離,約400km。走行時間,12時間強

投稿者 daurade : 21:37 | コメント (0)

初めての四国編8

9月26日。朝3時起床。正直もちっと寝ていたかったのだが。。。このさざなみ街道,どうやら走り屋達のコースらしく,一晩中うるさくて眠れなかった。冗談抜きで道端だったから。車が突っ込んでこなかったから,まあよしとすべきだろう。

朝食を取り,4時に出発。国道421号で桑名を目指す。

あくびをかみ殺しながら,朝靄の国道を走る。さすがに走っているのはトラックくらいのもんだ。走り屋たちも今頃は夢の中だろうか。まあ,私の分までせいぜい眠りやがれい。

地図には田園路とあるが,暗くてさっぱりわからん。わからんうちに道は山間に入り込んでいく。永源寺ダムを通り過ぎ,勾配とカーブがきつくなる。

地図には石榑峠より,三重県側急坂とある。これ以上の急坂かよ。。。まじで谷底墜ちそう。。。と思いつつ,何とか峠まで。峠にはコンクリートの車止め。こ,国道なのに。。。立ち往生してる乗用車を後目に峠を下り始める。

 ・・・。まじで急坂でした。。。国道と思えないほどの狭路。眠気に打ち勝ちながら何とか下山。国道306号を南下し,四日市へ。

桑名は混みそうだから,四日市から国道23号を使った。後はこのまま往きと同じルートで豊橋まで。。。

豊橋からは国道151から国道362号・姫街道へ。東海道の裏街道という表記に惹かれたの。それだけ。裏ってなんか惹かれるのよね。

その姫街道をひた走ると分岐が。新道と旧道。もちろん旧道。そしてまた分岐。旧道とまじ旧道。つまり昔の往還である。無論後者を選択。

しばらく行くと石畳から,ぬかるんだダートへ。しかも道はどんどん細くなっていく。。。さすがに不安になり,バイクを止め徒歩でその先を確認。木道になっている。。。さすがに無理かもと思い,後ろを振り返るとあるべきはずのモノの姿がない。

 ??バイクは??

一瞬固まる。次の瞬間,状況を把握してまた固まる。バイクが思いっきり倒れている。どうやらぬかるんだ地面にスタンドがはまったらしい。泣きそうなくらいの足場の悪さの中,何とかバイクを起こし,荷物を積み直すと,今度はなにやら荷物が減っている。急いで来た道を戻ると,点々と荷物が落ちている。。。ヘンゼルとグレーテル。戻って正解だった。

旧道まで戻り,調子に乗ったのを悔やみながら,峠を目指した。旧道の峠まで来てまた固まる。行く手にはトンネル。これがまた何とも形容しがたいモノだった。ぶっちゃけ新道まで引き返そうかと思ったくらいだ。しばらく躊躇したものの,私はダッシュでトンネル抜けたのだった。

そのまま三ヶ日まで下り,そこから東名高速に乗った。まだ10時をまわったくらいだったが,限界が近づいていた。このまま下道で東京まで走る気力は遺っていなかった。

高速を根性で爆走するも,居眠り。バイクでも普通に寝ることが出来るということを身をもって体験し,あまりの事態にあわててPAへ。

何度かPAで仮眠を取りながら何とか東京まで。自宅に着いたのは13時半だった。疲労困憊。こうして四国への旅は幕を閉じたのだった。

走行距離,約450km。給油数10回で約1万円。温泉,宿代,フェリー代などで約2万8千円くらいの出費だった。総計4万円也。

投稿者 daurade : 21:30 | コメント (0)

初めての四国編7

9月25日。台風一過。清々しい朝だ。ばあちゃんが作ってくれた朝飯をかきこむ。つーか飯うまい。なんつっても魚とか取れたてだし。

おとといの晩飯なんかじいちゃんが釣ってきた魚の刺身だし。いやー,刺身うまかった。関東ではほとんど食べないと思うが,確かボラだったと思う。あとはタコをなんか変わった食べ方(無論関東,というか腰越の食文化と比べてという意味だが)をしていた。

そう!ショウガ醤油で食ってた!!これ結構うまいっす。大抵酢醤油なんかだと思うが。小豆島周辺の食べ方なんだろうか??結局この食べ方,我が家では流行らなかったが・・・。

なんやかやで荷物を積み込み,みなさんに挨拶をして出発した。9時半ごろだった。ばあちゃんが昼飯にとおにぎり6つとミカン多数を持たせてくれた。素直にうれしいが,6個食えるのか?俺は。。。この昼飯がひとつのドラマを引き起こすことになろうとは思いもしない。

土庄を発ち,県道26号・27号を走り,寒霞渓方面へ。おとといの「太陽の丘」の手前で林道に入る。といっても舗装路。この林道が福田港への近道なのだ。雲一つない青空。赤松の混じる二次林の斜面を縫うように下っていく。するとどこからともなく大きな影が。

!!

トンビが私のすぐ横を滑空していく!本当に手を伸ばせば届きそうな宙を。無論テンション鰻登りであります。

ほんの一時の同行者に別れを告げ,彼は自分の空に戻っていく。それを見送りながら,私は港を目指した。

福田港に着いたのは10時半過ぎ。どうやらフェリーの出航まで1時間ほどあるらしい。手持ち無沙汰の私はなにするともなく港を見ていた。同年代くらいだろうか,港の駐車場でバドミントンをやっている。のどかなもんだ。私はバイクを所定の位置に置き,待合室に入って船を待つことにした。

予定通り出航。約2時間の航程だから,13時半には姫路に着くはずだ。早速小豆島を眺めながら昼食を取り始めた。

偶然を偶然で片づけるのも人生,その逆もその人次第だと思うが,それを生かすも殺すも自分の感性というか,勘みたいなものにしか最終的には頼れないのではないだろうか。

何かの選択を迫られた時,日常の何気ないひとこまの偶然を受け止める時,そんな時に人は,どれほどまともに判断したり,その偶然に気付くことができるのだろうか。そして一体どれくらいの成功と失敗を積み重ねていくのだろうか。

ただその結果として,今の自分を含め私を取り巻く環境があるということは間違いない。それは本質的には同じ事の繰り返しで,ただただ繰り返していくだけのものかもしれない。しかし,人はその無限とも思えるループを螺旋に変えていくことができる,と思うのは楽観的だろうか。

例えそれが楽観であったとしても,人にその意志があれば,すくなくとも上を向くことは出来る。リングのどこかを跳ね上げてやれば,それは螺旋へとつながっていく。質を高めていくことは出来る。

そのチャンスは恐らくどこにでもありふれている。そのチャンスを掴む為には今の自分を受け止めて,すっと見つめてやればいい。その先には,今までの道のりも見えるだろうし,あるいはこれからが霞んでいるのかもしれない。教訓や反省とは違う,何をすべきかが湧いてくる。

そしてまた歩き出す。この一歩が次のチャンスへの一歩であることは間違いない。そしてまた同じような場面がやってきたとしても,違った何かに気付くことが出来れば,それはまた次へと繋がっていく。

もしかしたら,立ち止まることがループを螺旋に変える原動力なのかもしれない。選択肢のどちらを選んだのかということよりも,むしろ何に気付くことができるのか,ということが最も重要な事のような気がする。

ある偶然が私にもたらしたとりとめもない考えである。少なくともこの偶然は,その時まで私が考えてきたことにある輪郭を与えてくれたものだった。

姫路港に着いたのは13:40。港から姫路の中心部を通り,国道372号へ。姫路~篠山~亀岡そして山陰道(国道9号)にて京都へ。なだらかな丘陵と盆地。盆地底に水を集める河を下り,そして遡り,緑豊かな尾根をいくつ超えたろうか。標準子午線,かつての源平合戦の古戦場・三草山などを通り過ぎ,私はひたすら京都を目指した。

京都に着くとそこは金閣寺だった。

適当に走っていたら,何故か見覚えのある所に。そこは中学時代に修学旅行で来た金閣寺だったのだ。てか金閣寺くらいしか,当時京都で分かるところなんかないっす。

今冷静に考えると,どうやら五条天神川で上り,そのまま仁和寺の西まで行き,竜安寺や立命館大の脇を通り抜け,金閣寺まで迷い込んだものと思われる。

実は京都を甘く見ていた。碁盤目に道が走っていると踏んでいたのだ。だから地図を全く見ずに比叡山の麓を目指したのだった。

結局,金閣寺から北大路を白川通りまで行き,北大路白川を下り,県道30号・山中越えを目指した。山中越えに差し掛かった時点で,既に16時をまわっていたと思う。

この日はどこで野宿をするかちゃんと決めていなかった。ただ漠然と琵琶湖の東岸で,としか考えていなかった。つまり,私はあせっていたのだ。日が暮れてからねぐらを探したんでは遅すぎる。

刻一刻と日が傾いていく。琵琶湖の西岸まで下り,大津の北側を通り,近江大橋を渡る。県道26号を北上するも,すでに日没は秒読み段階。地図を見ながらキャンプサイトを再確認。なんとか日暮れまでに辿り着きたい。

しかし,懸命の走りも空しく,無情にも日は京都の山間に飲み込まれていく。琵琶湖湖岸のさざなみ街道沿いにあるキャンプサイトは,結局見つからなかった。。。仕方なく道ばたにテントを張る。

夕食は飯とみそ汁,そしてさんまの缶詰。そいつを手早く掻き込み,そうそうにシュラフにくるまった。眠りに落ちようとしたその時,なにやら外に気配が。がさがさなんか漁ってる。。。

 無視無視。こういうときは無視するに限る。

がさがさ。。。。

 き,気になる。。。眠れねえ。。。や,やむをえん。

私は入り口のファスナーをおそるおそる開けた。

 なんかおる。。。

月明かりにぼんやりと輪郭が浮かび上がる。次の瞬間,それはこちらを向いた。ふたつの小さな光。月明かりに誘われて現れたのは,狸だった。どうやら缶詰のにおいが気になるらしい。私は余っていたさんまを狸にやり,空の月を眺めた。

走行距離,約240km。

投稿者 daurade : 21:14 | コメント (0)

初めての四国編6

9月24日。この日は1日休み。てか表出られません。台風通過中。実は,この年一番の台風だったのだ。九州の不知火では高潮の被害で何人もの方が亡くなられた。愛知ではこの日竜巻が発生するほどであった。

ともあれじっくり休養を取れたのは幸い。明日に続く。

投稿者 daurade : 21:13 | コメント (0)

初めての四国編5

諸事情あってテツーヤです。9月23日。朝食食う気もしないっす。そそくさと荷物をまとめ,院長夫妻にご挨拶。9:30に小豆島に向けて出発。だらだら走って高松港へ。

台風来るんだろうか??何か晴れ間が覗いてます。昨日より天気いいかも。まあ雨が降らないに越したことはないので,よかったんだが。途中,時間があったので観光でもしようかと思ったが,眠くてそんな気力0。栗林公園か屋島でも行こうかと思ったけど,結局港に直行した。

小豆島の池田港に着いたのが,正午過ぎだった。高松~池田間,初瀬戸内海だから印象に残っていそうなもんだが,あまり覚えていない。。。そりゃあ昨夜の疲れが出てましたから。でも船内ではすごいくつろげたように思う。

小豆島に着いて最初に向かったのは土庄。ここは私の父方の祖母の里である。祖母の兄弟はみんな東京に出ているのだが,祖母の従姉妹やその本家筋の人たちはご健在ということで,この日は祖母と最も仲が良かったS家に厄介になる予定なのだ。池田港から土庄に着いて,とりあえず電話。詳しく道を聞くとすぐに分かった。

家の前ではじいちゃんばあちゃんが出迎えてくれたいた。私がまさかバイクで来るとは思ってなかったらしく,あんたごっついことするな~とびっくりしていた。とりあえず荷物を置かせてもらって,早速島内探索。

土庄を始点にぐるっと右回りに周回。天気はびっくりするくらいいい。なんと晴れ間が覗いている!

海と,そして花崗岩質の白い砂浜に太陽がその破片をところどころ注ぎ込んでいる。光が痛い。今回のツーリング始まって以来の快適な走りを堪能。島の北部から中央部に南下する道で寒霞渓へ。北半分の登坂路はびつくりするほどの急坂だった。曰く下りだとブレーキが焼き付くとか。。。

しかしその急坂を登りきり,南側の斜面にまわった所に「太陽の丘」という公園からの眺めは素晴らしかった。

台風の影響で目まぐるしく形を変えていく雲。遠景に広がる四国と海にちりばめられた島々。そして内海の島々を縫うように歩く船。そのスピードあるいは海と空の青さのギャップに目を,心を奪われる。

どれくらい島を登ってくる風に吹かれていただろうか。私はその風景に別れを告げ,島の南部,内海に下りた。

内海から二十四の瞳の分教場へ。そして島の東側を北上し,今度は左回りに島を廻って土庄へ向かった。S家で一休みして,夕食後本家に行っておしゃべり。帰りはほろ酔い気分で千鳥足。だいぶ風が強くなってきた。

走行距離,約120km。

投稿者 daurade : 21:02 | コメント (0)

初めての四国編4

朝8:00起床。9月22日。むー,起床。起床ねえ。。。起床ではないです。ましてすがすがしい朝でもない。そんでもって朝食前にプチびびり。どれくらいびびったかといえば,その昔Tnちゃんちで初めてバイオハザードを見たとき,犬が窓ぶち破って出てくる場面でプリンをこぼしたくらいのびびり。

ベッドの上でボーっとしてたら ギィィィィとドアが開き、しわくちゃなばあちゃんが、お紅茶どおぞ、みたく入ってきたんですもの。

朝食もそこそこに出発。風は若干強いものの恐れていた程ではない。空模様は怪しい。というかすごい勢いで雲が流れていく。雨は降っていないので,とりあえず国道32号で琴平へ。うどんの店が立ち並ぶ。昨晩食ったんですが,また食いたくなってる自分。でも面倒だったから先を急いだ。

琴平。こんぴらさんに行くのは長年の夢だった。夢というより,むしろ憧れに近いかもしれない。

~こんぴらふねふね おいてにほかけて しゅらしゅしゅしゅ~

皆さんご存知だろうか?この歌は江戸時代末期,金比羅参りの隆盛に伴って全国的に流行した御座敷唄と言われている。

この歌が書かれている団扇が我が家にはあって,それが何故か印象に残っている。あとは讃岐の民話の本。その2つが未だ行ったことのない自分のルーツというものに対する好奇心と象徴的に結びついていた。だから金比羅詣でなのだ。

金比羅さんに何が祀られているかとか,そんなん一切当時しらんかった。知っていることと言えば階段がめちゃめちゃ長いということ。

というわけで境内の施設なんぞには目もくれず,ひたすら階段を登り続け,奥社まで。そこから下までほとんど休みもせず駆け下りること約2時間。なかなかのタイムだと思われ。

その途中まったく立ち止まらなかったといったらそうでもなく,社務所で黄色いお守りを買ったりした。また書院で円山応挙の絵を見たと記録には残してあるが,残念ながらこちらは記憶にない。

さて,息を切らせて戻ってきて昼前。雲行きは相変わらず。さあてどうしたもんか。

とりあえず西へ行こう。国道319号で善通寺のICへ。そこから高速に乗って西進。単車を流しながら考えた。愛媛か高知,どっちに行こうかと。地図によればこの先の川之江で分岐するらしい。まあそれまでに決めりゃいいやと。

快適に走行しつつも台風が気にかかる。でもこの空模様ならいけるか?いや行く!むしろ行ける!うーん。じゃあ高知に決定。愛媛はまた今度。

てな訳で高知に目的地再設定。高知道をひた走る。今どうなっているか知らないが,当時は高速といっても対面通行かつ片側1車線が殆どの区間だったから,バイクだとめっさ怖かった。後ろからは煽られっぱなし。必死こいてハンドルにしがみつく。だから高速って奴は・・・。私がツーリングで高速に乗ったのはこの時が初めてである。

しかも高知道,地形との関係でほぼトンネル。心底高速に嫌気がさしたのが半分,雨がしのげてラッキーと思ったのが半分。でも経験したことが無いとわからんと思うが,めちゃ長いトンネルをバイクで走るのはやはり嫌なものだ。空気は悪いしね。

ただこの時は交通量が少なかったのが,唯一の救いと言えば救いだったが。トンネル出たとき強風に煽られたのはショックだった。自分がではなく,前走車が。普通の乗用車があそこまで横滑りするとは知らなかった。おかげで対応出来たけど。てか,事故に繋がらなくてよかった。

そんな感じで高知ICで降りた。高知のどこに行くかは決めていた。桂浜の龍馬像。ここしか浮かばなかった。県道から国道32号へ出て,県道34号へ。記憶が確かなら,このR32から34への交差点は路面電車が走っていると思う。

なぜ覚えているか。それは濡れたレールでこけそうになったから。。。そんなこんなで桂浜。無事に龍馬を拝む。

海大荒れ。むー。満足なり。さて帰ろう。
 
同じ道で。途中,後ろに積んであったカッパの紐が後輪に絡みついて破砕。ちいとばかし,びびり。んで病院に戻ったのは18時前だったと思う。ダッシュでシャワーを浴びる。なんでかって?それはまあまたの機会に。。。そして院長夫妻とその娘2人(お腹の子も入れたら合計6人)で夕食を食べに行った。

確か円座という駅前の中華料理屋だったと。まあ色々話をしながら食事をして,満腹になり帰宅(?)。腹はね,いい感じにはなったんですがね,ちょいとへこみました。。。

走行距離,約280km。

投稿者 daurade : 20:55 | コメント (0)

初めての四国編3

8時に目が覚めた。9月21日。雨は降っているんだろうか?と思いつつ,寝ぼけ眼でカーテンを開けた。

半ば強制的な水面。昨夜は暗くて気付かなかったが,私の泊まった部屋の外は湖だったのだ。どんより曇っていて,お世辞にも清々しい朝とは言い難かったが,私は窓の外を見入った。数羽の白鳥がのんびりと湖面を滑っている。

私は窓を開けていた。差し出した手に,小さな水滴の感触。小雨がぱらついている。・・・そうだ。台風来てたんだった。完全に目が覚めた。

私は荷造りをしつつ朝食をとった。といってもお茶とパンだけであるが。朝食は頼まなかった。無駄な路銀は使わない方がいいという判断。手早く荷物をまとめバイクに積み込み,宿の人に礼を言うとすぐに出発した。

小雨の内に着きたい。目的地は脇町。うだつの街並みで有名な所である。詳しくは知らないが,脇町は13世紀中頃に城下町として成立し,江戸期には藍の集散地として栄えたという。商人達はその繁栄ぶりを顕示するように豪勢な「うだつ」をあげた。その街並みが現在も保存されている。

10時前に脇町に到着。親戚の家を探す,といっても高校の前の店と聞いていたのですぐにわかった。父方の曾祖母がこのIw家の出で,当家のじいちゃんは私の祖父と従兄弟ということになる。そのじいちゃんには確か3人の息子さんがおられるはずだ。父とは,また従兄弟の関係になる。山男で高校の地歴教師,ハーレー乗りなどなど。やはりどこかで血がつながっているということを実感せざるを得なかった。平日だったのでおじさん達にはお会いすることが出来なかったのが残念だったが。

挨拶だけしてすぐにでも出発しようと思ったが,じいちゃんとばあちゃんが案内しちゃるというので,その街並みを見学することとなった。私は祖父と瓜二つらしいので,向こうも懐かしがってくれたものと思う。私としてもうれしい限りだ。祖父は戦争で亡くなっている。

昼食までごちそうになり,さらに私の曾祖父の話も色々と聞くことが出来た。曾祖父がただものではないということは聞き及んでいたが,いまだに記憶に残っているとは。。。正直驚いた。

和辻哲郎は『自叙伝の試み』にて曾祖父の事を書き及んでいる。それにはひどい方言で聞き取れぬといったことや,彼と同期でさらに一高の寮で同じ部屋だったということが綴られている。同部屋だったということは,試験を首席クラスで突破したと思われるし(多分),その後,帝大の医科に進んだ程の人物だから,脇町で曾祖父の事が語られている事は推してしるべし,といったところか。

その帝大に進む際に経済面で世話になったというK家にも,案内していただき挨拶をすることができた。両家には藍染めやらスダチやら色々おみやげまで頂き,私は脇町を後にした。目指すは香川の由佐である。

国道193号を北上し,香川へ。小雨の降り続く中,四国山地を越え14時過ぎに目的地に辿り着いた。I家。我が家の本家筋に当たる家である。

I家は由佐(正確には岡だろうか)の小高い丘の上にあった。挨拶をすませ,この旅の1番の目的を果たす為にその場所に案内して頂いた。祖父と曾祖父の墓所である。生まれて初めての墓参り。どんな理由があるにせよ,一度も墓参をしていないというのはあまり気持ちのいいものではない。

墓はI家より20mほど坂を登った所にあった。見晴らしのいい一画に4基。私は線香と花を供え,手を合わせた。

本家のおじさんにもう1つの墓所に案内して頂いた。S寺だったと思う。そこは我が家の遠い先祖の墓がある。私は父からそれを聞いていたので,おじさんに連れて行ってもらった。

寺に着くとばあさんが出てきた。おじさんが事情を説明すると,ばあさんは私の顔をのぞき込んだ。曰くその墓に人が訪ねてくるのは,30年ぶりだと。

あんたのお父さんが大学を出た頃に来たきりだと言われた。

罰が総出で当たりまくるわさ。。。だからビンボなのか?ともその時思ったが,ばあさんが道を案内してくれたので,そこに向かった。

寺の裏山の藪の中にひっそりとそれらは立ち並んでいた。ヤブ蚊がすごい。何基あったろうか。10基以上あった気がする。おじさんもここは知らなかったという。とりあえず,線香をその全ての墓に供える。つーか無縁仏もあったような気もする。中には江戸時代の墓も。

墓参りを済ませ,本家のおじさんに川部の親戚の家まで案内してもらった。我が一家の本籍地がある所である。

曾祖父が開業した病院があり,今は父の従兄弟が継いでいる。そこの院長つまりおじさんと色々話をしていたのだが,心は上の空。

だってもう台風来てますから!今日泊まるところまるで決めてなかったし。そんなことを考えていると,おじさんが今日はここに泊まってけという。

!!!

しかし,とおじさんが付け加えた。今奥さんのツワリがひどいから病院なら自由に使っていいとのこと。私は一瞬たりとも迷わず泊めてもらうことにした。

ごめん。一瞬迷いました。でも台風の中テントはいや。

2Fの個室があてがわれ,私は荷物を運び込んだ。一息ついているとおじさんがやってきて飯を食いに行こうという。うどんが食いてえというと,連れて行ってくれた。釜揚げうどんに感激。

走行距離,およそ40km。

投稿者 daurade : 20:46 | コメント (0)

初めての四国編2

雨音で目覚める。9月20日,午前6時。寝起きでへこむ。なぜに鈴鹿まで来て雨なのか。。。

とりあえず飯だ!全てはそれから。

朝食はパンとコーンポタージュ。食事をとりながら今日の目的地を確認する。徳島の土成らへん。以上ひとりミーティング終了。

雨は霧雨になってきた。時間は7時。私は雨具に身を包み出発した。

国道1号で亀山へ。そこから国道25号。通称タダ高速らしい。

もうねえ,雨関係ないっす!盛り上がって参りました!信号なんざないし。煽られっぱなし!でもねえ,伊賀ですよ?ケンイチウジーーー!ですよ。山々に霧が掛かり消えていく。刻々と姿を変えていく雲と山容。忍者出てこーい!!まあ通りすぎれば,なんてことないんですが。。。

R25で天理まで行き,国道169で奈良盆地を南下。奈良なんざ中学の修学旅行以来である。石上神宮,崇神天皇陵,大神神社などなど,今でこそ興味の対象であるが,当時は全てスルー。桜井,畝傍を経て吉野川へ。

大淀から国道370,24で橋本へ。橋本から国道371号でやや北上し,紀ノ川広域農道に入る。

和歌山まではR24が近いが,広域農道をおすすめしたい。やや遠回りになるももの,交通量は少ないし,信号もほとんどない。さらに景色もいい。紀ノ川に浸食された尾根と谷をそのままトレースした道路は,アップダウンありーのワインディングありーのでかなり面白い。紀ノ川の支谷の谷底には畑と水田が点在し,斜面にはミカン畑が広がっている。まあほとんど車の往来が無かったんでね,なびかせちゃいました,ハタを。ベジータの息子をミラーに差して。乾くのめちゃはやいけど,市街地では無理だなあ。しかし,洗濯物の乾燥と移動を同時進行で行なうのは基本といえるでしょう。

広域農道を根来寺(戦国時代の鉄砲衆で有名だったはず)まで突っ走り,そこから県道63,7で紀ノ川河口まで。ええ,さすがにハタは収納してます。紀ノ川大橋を渡って和歌山の中心地を経由してフェリーターミナルへ。和歌山港に着いたのは12:30であった。

港から四国の方を眺める。なんか雲の量すげえ。

乱積雲?なんか手ぐすねひいて待ち受けるといった感じ。

とりあえず昼飯食いながら,乗船手続き。出航は14:30とのこと。荷物をほどいて湯を沸かし,インスタントラーメンを食す。徹底的に自炊なり。

出航時刻が迫るにつれ,なんか緊張してきている自分。長距離フェリー初&バイクである。どきどきしながら乗船。指定位置に誘導され,はよ客室行けーと促され,そそくさと客室へ。徳島の小松島に着くのは16:30。ごろ寝をしている内に眠ってしまっていた。気がつくと,もう窓の外には港の岸壁が近づいている。

下船して国道55号に出る。雨が強くなって来ている。和歌山では雲の切れ間から,太陽が顔を出していたのに。

和歌山で,私は土成のやや西にある金清温泉に電話を掛けていた。今日の宿を取るためである。さすがに,雨の中野宿する場所を探すのは億劫だし,翌日は親戚の家に顔を出せねばならない。私は大枚をはたいて,宿を取ることにしたのだった。

幸いなんとか泊めてもらえることができた。私は急いで宿に向かった。R55から国道192,県道34,12号を走り繋いで,金清温泉に着いたのは18:30だった。辺りはすっかり暗くなってきている。徳島自動車道の高架をくぐり,暗い山道を走る。

こんなとこに本当にあるんだろうか?かと思っていると送迎バスとすれ違った。間違ってはいないらしい。

宿に着き,早速夕飯をお願いした。食堂にはけっこう人がいる。遠くの方からいい気分のおっちゃんらしい歌声が聞こえてくる。宴会だろうか。

どうやら宿というよりは,地元の人の保養所のような雰囲気である。私が食事を待っていると,年配の一団が帰っていく。泊まり客は少ないらしい。

食事が来た。私はそれを掻き込みながらも,目はテレビに吸い付けられていた。

天気予報。台風来襲らしい。しかも超大型。そいつが沖縄あたりに停滞しているとブラウン管が喋っている。

 ・・・まじかよ。家出てくるときはそんな話聞いてねーぞ。しかも本州の方に来るとか来ないとか。

食事はあらかた平らげていた。私は沈んだ気分で温泉に向かった。

何は無くともやはり風呂である。命の洗濯。湯船につかりながら,まあ何とかなるだろうと思っていた。

 走行距離,およそ250km+フェリー50kmの300km。

投稿者 daurade : 20:41 | コメント (0)

初めての四国編1

今までは単発かつ衝動的なツーリングであったが,今回は初のロングツーリング,といってもたかだか1週間だが,そのことについてまとめとこうと思う。

まず初日。出発したのは大学2年の9月19日(日)。午前3時に自宅を出た。初のロングツーリングということもあって,今回は今までの経験と勘,ツーリングマップの情報を駆使してルートを設定した。基本的に有料道路は使わないのでルート設定と走行時間帯の予測は重要な問題である。だってツーリングで渋滞に巻き込まれて余計な体力,集中力を削ると事故につながるし。基本的には渋滞しそうな箇所を極力回避し,車線の多い幹線道路,あるいは交通量の少ない県道などを使う。まあツーリングマップのおすすめを使えば一石二鳥なのだが。

東京から西に向かう場合,主なルートは国道1号,国道246号,国道20号である。今回は初日の目的地を三重県の鈴鹿に設定したので,1号か246号に絞られる。基本的に関東を出るまでは渋滞は必至なのだが,その場合日中を回避し,夜間走行を選択する。さらに夜間走行のもう一つのメリットは,特に夏期の場合,炎天下を避けて快適に走れる点である。デメリットは,夜なので当然景色は見れない。ので初めて通る道やおすすめルートの場合は要注意。さらに幹線国道は,長距離トラックが多く走っているので,ほんっっっとがんばって走らんと怖いです。煽られること多々あり。。。私は前後左右全てトレーラーに囲まれたことがあるので。。。てゆうか夜の幹線国道はトラックだらけ。一度も私と同じ境遇のバイクを見かけたこたない。バイクといえば族ぐらいなもんである。

本題に戻る。1号か246号だったら基本的に246を選びたい。だって箱根越すの面倒だし。。。時間もかかりゃ走り屋もいる。実際1度だけ深夜西日本から帰宅途中,気分を変えようと1号の三島側を走行中に,グリッパー(ドリフトしない人たちの意,ドリフトとは・・・しげの秀一『頭文字D』なんかを読んで下さいまし)らしきレビンとR32に登りでぶち抜かれた。こんときは70~80km/hで走っていたのにあっという間であった。以来夜は1号を避けている。
 
というわけで,246である。厚木~秦野までは断続的に渋滞するが,夜中はそうでもない。もっともこの時夜中に出発したのは,合理的な判断だけではなく,興奮して眠れなかったからという大きな理由があったりもする。それから246は,神奈川県警の覆面パトがよく出没するので注意が必要である。私もツーリングの帰り,夜中だったが疲労のあまり集中力を欠いて,覆面をぶち抜いてとっつかまった経験がある。次の日の講義のためにあせって帰宅していたのが仇になったのだが。。。ともかく自宅から246である。

この246に出るルートは,二子玉川から246,向ヶ丘・専修大学~あざみ野経由で246,世田谷通りで鶴川まで行きこどもの国経由で246,という3つの中から気分で選ぶ。

246は夜なので比較的空いている。厚木の中心部もすぐに通過し,伊勢原,秦野もこの時間帯ならばかなり流れはよい。秦野を過ぎると徐々に山間部に突入していく。まあ夜中なので景色の変化はわからんが,両側に迫ってくる山体の迫力というかプレッシャーはかなりのものがある。なんというかそこだけ闇が濃いというか,そんな感じである。松田を過ぎると信号の間隔も開きが出て,かなりスピードが出る。山北,谷峨を過ぎるともう静岡県である。そっから先はほぼ直線。御殿場,裾野とハイスピードで駆け下りてゆく。大体沼津まで2時間程度だろうか。不思議なことに御殿場あたりに差し掛かると「いってきます」という気分になるのだ。まあ,関東を出たということである。

夜も白み初めて,テンションも上がってくる。沼津から国道1号に乗り換え,今度は静岡突破を目指す。右手には愛鷹山。その背後にうっすらとではあるが,富士山も見える。これらを眺めながら,湿地帯の中を走り抜けていくのはなかなか気分がよい。ええ,よそ見はだめですね。富士の手前あたりで1号は高架になる。ちょっとした高速気分だが,対面通行なので結構怖い。。。そのすぐ右側を新幹線が走っている。新幹線に抜かれるとわかっていても結構くやしい。この辺りは製紙工場とかがあり,高架の上から工場内に積まれたチップの山が見える。ここを走ると毎回思うのだが,あの独特の甘酸っぱい匂いはなんなのだろう。

そうこうするうちに高架は終わり,道の駅富士を過ぎると富士川である。富士川を渡り大きく左にカーブすると,目の前は太平洋。ここから清水までは海沿いをひた走る。この辺りは東名高速と併走しているのだが,下手すると国道を走っている車の方が速いのである。。。私も1度高速を走っている車を抜いた事がある。なんかねえ,がんばれちゃう道です。ここ。

興津~清水区間は時間帯によって渋滞する。特に東名高速の清水インター付近,静清バイパスの高架入り口。上り下り共に渋滞するので要注意である。高架は丸子まで続き,対面通行なので走行には注意したほうがいい。丸子に到着したのが,確か6時半くらいだったと思ったが,給油しようと思い静岡市街へ国道1号の本線を戻った。しかしガソリンスタンドがことごとく閉まっている。。。さすがにガソリン無しでは相棒も鉄の塊だ。途方に暮れてバイパスへ引き返したのだが,一軒だけ建物の明かりがともっているスタンドがあった。7時開店とあり,しばしスタンドの前でたたずんでいたら,私の姿に店のおっちゃんが気付いてくれて,特別に給油してもらえたのであった。

地方に出かける場合,日曜はスタンドといえども休みの場合があるので,残量には常に気を付けるべし。基本だが最重要である。

1号のバイパスに戻り,宇津ノ谷トンネルを越えると藤枝である。このあたりになるとややテンションが下がる。車のナンバーも東京周辺のやつないし。。。

 。。。えれーとこきちまった。帰りてー。。。いやいや!中途半端に遠いから,帰るのも面倒なので先に進まねばならぬ。

1号線はバイパスがかなり整備されているのだが,藤枝,掛川,磐田,浜名のバイパスは有料道路なので,今回は断固として走らなかった。今回はというのは,これらのバイパス,22時から翌朝6時までは無料になるので以降はかなり利用した。しかし1車線の上,上記の時間帯はトラックしか走っていないので非常に気力,体力共に消耗する。

藤枝市街は断続的に渋滞する。島田バイパスは流れがよい。大井川を渡り,金谷バイパスで牧ノ原台地の上へ登る。日坂を経てバイパスを断固拒否して,掛川市街地へ。袋井を経てまたまた磐田で市街地走行。天竜川を渡り,南に進路を変え,中田島砂丘を経て浜名湖を渡り,再びバイパスに復帰する。バイパスは高架なので,眼下には遠州灘が広がり気分は爽快である。調子に乗ってあまり立ち乗りなどはしないよう心がけたい。

個人的には,藤枝,磐田,掛川,浜名の順でバイパスの利用価値は下がっていくと思う。少なくとも前の2つは使って損はないと思う。というか,たいした値段ではないので普通の方は使った方がよろしいかと思う。今回私は断固として使わなかったが。

遠州灘を背に北上すると,もう愛知県内である。非常に静岡が長く感じるのは私だけであろうか?ここから豊橋までは1号で行くのだが,豊橋からは国道23号を使う。ちなみに豊橋の手前の二川辺りで富士と同様新幹線に再接近する。まあ,当然チキンレースしますわな。でものぞみはめっちゃはええ。。。

豊橋からは23号なのだが,豊川を渡った辺りの河川敷で休憩をした。9時過ぎ。さすがに疲労のピークである。30分ほど休み,23号で蒲郡へ。23号は蒲郡までは三河湾のシーサイドライン。流れもかなりよいし,快適な道である。蒲郡からはやや内陸に入り,矢作川の手前あたりから高架のバイパスが名古屋まで断続的に続く。ほとんど高速道路と変わらない。

個人的に思うのは,バイクにとっての快適な道路とは何かというと,流れのよさと周囲の風景の面白さ,道自体の面白さ(アップダウンやワインディングなど)と,道幅自体のスケールがあると思う。実際走り比べて見るとわかるかもしれないが,仮に国道1号の宇津ノ谷付近と蒲郡~矢作川までの国道23号を比べてみる。風景や車の流れはほぼ変わらないとしていいと思うが,1号は片側3車線,23号は大体において1車線である。私はバイクで走るなら23号の方が面白いと思う。その理由のひとつに1号はバイクに対してスケールが大きすぎることが挙げられる。トラックや乗用車のための道路であるから当然なのだが。ゆえに走っていても快適は快適なのだが,1号は興ざめしてしまう。人工物がでかすぎる。

話がそれてしまった。23号の高架バイパスは渋滞しなければかなり快適である。名古屋までの距離表示が2桁になると俄然テンションが上がる。沼津あたりの表示で名古屋まで200kmとか表示されても,やる気のやの字もでねえ。。。あれって意味あんのだろうか。ああ,また逸れた。。。23号の周りは田園風景が広がり,眺めも良い。名古屋に入るとさすがに車の量は増えるものの,ここから庄内新川までの区間は我慢である。飛鳥,弥富を過ぎると三重県に入る。木曽川,長良川を渡ると桑名,四日市。23号も名古屋から四日市にかけてはトラックがめちゃ多いので要注意。

四日市を過ぎてからまた国道1号に復帰し,鈴鹿を目指す。といってもここまで来れば鈴鹿は目と鼻の先である。今回は鈴鹿サーキットの隣,青少年の森公園に宿泊した。ここのテント場は無料である。ただし,事前に予約しないと,私みたく管理人に嫌み言われます。ただこの日は空いていたので大丈夫だったが。この公園についたのが13時。ちかくに温泉(確かさつき温泉だったか)があるので,昼寝をしてから温泉に入る。

温泉は最高。まじで最高。飯は食わなくても温泉は入るべきであると断言できる。温泉に入ると飯なんかどーでもよくなる。飯なんかいらねーって。

まあ一応は飯は食おう。夕食は飯ごう炊さん。缶詰にみそ汁である。20時就寝。

走行距離約400km。10時間の行程であった。次回に続く。。

投稿者 daurade : 20:37 | コメント (0)

中津川~大弛峠編

このルートは私のお気に入りのコースである。初めて行ったのは99年の5月初旬で単独行動。以来単独・複数も含めて大体年に1度は行く。初回の単独行は大弛峠が通行止めだったため迂回。2回目はAtとのバディで完走。3度目はSM,Tktさんとで行くも大弛峠を越えた先で通行止めのため戻って迂回。あとは行ったかもしれんけど忘れた。。。

というわけで,ここでは一番印象に残っている2回目を紹介しておくことにする。確か99年の秋だったと思う。Atが免許をとってバイク(セロー)を購入して初のバディツーリングだったのがこのコースだった。かもしれない。

朝大学に集合し(6時頃かな),国道16号~国道411号で軍畑へ。そこから都道53号で名栗,そして国道299号で秩父へ。名栗にも探せば林道有り。ただしピストンだと思うが。53号は情緒があり,おすすめルートである。

秩父から国道140号を秩父湖へ荒川沿いを遡る。この日は確か秩父に出た所で朝食を取った。当時のブームはAtがおでん,私が肉まんであった。基本的にコンビニにそれらがある限り季節に関係なく食べていた記憶がある。なぜなら,寒いから。。。

真夏でも早朝山間部などを走ると風邪引くほど寒い。バイクを快適に乗るコツのひとつは,如何に快適な環境を維持するかという点に尽きる。まあ,投資をすればそれなりに揃うのだが,そんな事はおっさんになってからの事で,若いうちは集中力と創意工夫で乗り切るのがベターであると思う。

さて本題の林道に移ろう。秩父湖から北に,県道210号に入り中津川渓谷へ。この道は狭い上に,たまにダンプがブラインドコーナーから突撃をかましてくるので要注意である(まあ,ダンプの運ちゃんにすればおめーらこんなとこ走ってんじゃねーってとこだろうが)。途中からダートになり,渓谷沿いから徐々に峠に向かって勾配とカーブが急になってくるものの,全体的にはフラットな路面で走りやすい高速ダートといえる。

実際地元では有名な林道であるらしく,タイムアタックをしている連中も見かける。さすがにセローでツーリング気分で来ているのでぶち抜かれるのであるが,それでもカチンとくる。まあでもこの林道ならば走り屋が出没してもしょうがないだろうなあ。。。それくらい面白いのだ。しかし調子に乗ってはいけません。まれに普通車が通行するので,スピードの出しすぎは死に繋がります。普通車が何とかすれ違える道幅だし。。。あと普通にオンロードのビッグバイクとすれ違った時は正直驚いた。彼は勇者であると思う。

この中津川林道を登り詰めると三国峠であるが,埼玉側は深く浸食された渓谷,長野側はどちらかと言えば高原のような景観であり,峠を境にがらりと変わる景色も見所のひとつである。

県道68号から川上牧丘林道へ突入するのであるが,この林道こそがこのコースの真骨頂といえる。中津川が前座として霞んでしまう程のレベル。大弛峠付近が標高およそ2300m,68号が標高1300mほどであるから1000mほどの標高差を一気に駆け上ることになる。しかもガレたダートのつづらおれである。

路面状況はサッカーボールほどの礫がゴロゴロしており,走りごたえは十二分。周囲の植生もカラマツからシラビソに移り変わっていく(多分ね。。。確認してないけどそうだった記憶あり。というのもダートに夢中で景色を堪能するゆとりはなかったので。。。今度じっくり味わいたいものである。)のも見応えがある。あと注意が必要なのはこの林道12月1日から5月末までゲートが閉まっている。これは積雪のためである。行こうと思えば行けるが,まあ薦めない。1UPキノコを大量に保持している方,もしくは全滅しても所持金が半分になるだけで復活できる奇特な方は自己責任でどうぞ。。。

さてこの時は年に一度あるかないかの好天であった。峠までたどり着いた我々は一休みしていたのだが,At殿がなんと山に登りたいとのたもうたのである。。。

 いやね,気持ちは分かります。でもね俺の靴これですもん。。。
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 めっちゃ重いし,足首うごかねーし。。。あー,のりのりで聞いてねーや。そうっすか。はい,行きましょう。

山登るの大学一年のワンゲルの養成合宿以来。。。いや大学の高尾山巡検以来か。。。まあ天気もいいしねってことで登りました。ちなみにAtさんは例の靴です,無論。いやーこの登山きつかった。。。Atはすいすい登ってくんすけどね,こっちは飛雄馬もびっくりくらいの養成ギプス。思いっきり酸欠になりました。しかも下山者にそんな装備できちゃあかん言われました。もう仰る通り。いっぱいいっぱいです。

この時は国師ヶ岳に登ったのだが,ピークからの眺めは筆舌に尽くしがたい!雲一つない青空。遙か彼方に富士山,南アルプス,北アルプスが望め,我々はその場に立ち尽くしたのであった。今までで一日中見ていても飽きないと思ったのはこの時と瀬戸内海の島から見た船が行き交う瀬戸の風景である。

下山したあとは甲府に向かった訳だが,ここから先はあまり覚えてない。。。確か殆ど舗装路で水ヶ森林道はダートだったのは覚えている。この辺りは林道が入り組んでいるものの殆どが舗装されていたと思う。この時は危うく迷子になりかかった。。。夕方になり日も暮れてきてちょっと涙目であった。まあなんとか甲府まで下りてこれたのでよかったのだが。

なぜかこのルートで来ると国道20号のとある吉野屋辺りで腹が減る。今まで何度ここで食べたことか。。。あとは国道20号で帰るだけなのだが,20号混むんですよ。特に大月~相模湖までが。さすがに渋滞はいやなので,大月から国道139号に入り,そこから主要地方道35号へ。この道,津久井の方への抜け道らしく,けっこう交通量が多い。昼間走ってもなかなかの風情がありそうであるが,ほとんど街灯がない上に,かなりトリッキーな道である。そして県道517号~主要地方道76号~県道518号を経て国道413へ。初めてのルートな上に案内図もない。しかも街灯無しのガードレールも無い。おまけに1.5車線だし。。。迷子になったと思いつつ,ほぼ勘でなんとか国道に出た時はかなり感動した。あとは橋本経由で帰宅。

走行距離はざっと300km。時間にして13時間ほどだったかな。

投稿者 daurade : 20:28 | コメント (0)

不揃いで薄汚れていた気が・・・ 怖い話4

以前,弟Rとツーリングに行った時のこと。

Rが高校2年くらいだったと思う。Rもセローを買ったので(弟どもは真似ばかりしやがる),鍛えてやろうと思い,南アルプスに連れて行った。林道を何本か走らせて,レベルを上げちゃろうと思ったが,やめておいた。彼の装備がないからだ。そこで山梨の芦安村・広河原に行って帰ってきた。

それ以前に私はひとりでそこに行ったことがあった。バイクで手軽に行ける範囲(私の中で)では,景色もいいし,経験も積める絶好の場所のひとつだろうと思い,彼を連れて行った。朝五時に出発予定が,私の寝坊のせいで10時に出発。弟は出掛けないつもりだったらしいが,そんなもん知るか。寝不足はいい仕事と美容の敵だ。

ではあるが,さすがにちょいと飛ばして行った。まあ経験上その日の内には,帰宅できるのはまず確実ではあったが。

道志川沿いの国道413を山中湖まで抜け,国道138・139で精進湖へ。そこから国道358で国道20まで出て,芦安に向かった。峠を何本も越えていく中で,夜叉神トンネルは別格に怖かったらしいが,それを含めてひよっこにはいい経験だと思っていた。

広河原で一休みし,帰りも同じ道を辿った。R358の場所はどこだか定かではないが,とある民家も疎らになり,山道に差し掛かった所だった。当然私が先頭を走っていたのだが,前方の路上に何かが散乱しているのが見えた。片側1車線の道であり,我々が走行している車線のみにそれらが散乱していたので,私は苦もなくかわした。かわしながらそれらを見ると,奇妙な違和感を感じた。

それらは子供用の靴だったから。

20足程度はあったろうか。それもデザインがまちまちでサイズも揃っていないように見えた。Rもそれらをかわして私の後ろをついてくる。前にも後ろにも,対向車も来ない夕暮れの山道である。

私は前走車がトラックかなんかで積み荷がばらけたのかと思った。しかし・・・と思い直した。靴が散乱している形が妙なのだ。普通荷台から落ちたなら,進行方向に長径が延びる楕円のような形になるはずである。しかしそれらは,進行方向に直交するような長径を持つ,楕円形をしていたのだ。

では道の脇から誰かがばらまいたのだろうか?しかしこんな山道で?民家は散在しているが,それほどの量の子供靴を必要とするようには思えない。では,一体・・・・?

私は考えるのをやめた。峠で余計なことを考えていたら,命がいくつあっても足りない。私は疑問をひとつでも減らすべく,前走車の有無を確かめようとスピードを上げた。Rも恐らく別の意味で私に食らいついて来た。

結局,精進湖からR139に出るまでに車を捉えることは出来なかった。あれは見間違えだったのだろうか・・・?

道の駅なるさわで,私は一休みすることにした。バックミラーに映る弟が,かなり疲弊しているように見えたからだ。バイクを降りると,弟が青い顔で私の所に来た。疲れているな,私はそう思った。

 「兄貴さ,さっきの何?靴?」

 どうやら見間違えではなかったらしい。私は,小さくうなづくと

 「気にするな。気にしたら負けだ。それにまだ家に着いた訳じゃない。」

弟はうなづくと足早にトイレに行った。私はタバコに火を付けた。何も考えないようにして。

その日の夜,無事に家に着いた。Rは色んな意味で疲れ切っていた。以来,2人でツーリングには行っていない。

投稿者 daurade : 17:42 | コメント (0)

それでもやっぱ振り返る気はしない 怖い話3

よくある話かもしれない。

このサイトを御覧になってくれている方はご承知の事と思うが,私の趣味はツーリングである。そのツーリングにまつわる話をしようと思う。概ね本州は廻ったことになる。山陰,北陸を除いて。あとは九州,沖縄を巡れば,全国ほぼ行ったことになる。

ツーリングの移動には,夜間走行をする。大抵は交通量の多い国道の場合が殆どで,街灯もないような山道を夜間走るのは稀だ。特にひとりの時は。なぜなら,セローの光量では心許ないから。私が常々不思議に思うのは,不可解な現象に直面するのが夜間でも交通量の多い国道の場合が多いことだ。たまに昼間でも同様なことは起きるが。

荷物を積んでいても,基本的にそのような国道を走る時は,制限速度+10Km/hで周囲の流れに乗るように走る。それでも抜かれることはままある。それは仕方ない。そのような時,ほとんどの車はパッシングやクラクションを鳴らさずに抜いていく。もちろんどちらか,または両方をされて抜かれる場合も多い。特にその場合,運転者と目が合うことが多々ある。普通追い抜く時に,抜く車輌のドライバーを直視するだろうか?

別段どうということはない。そんなときは,経験上後ろの荷物を確認する。一度だけ荷物が落ちたのを抜きがけに教えてくれたドライバーがいたから。しかし,荷物が吹っ飛ぶことなんて,よっぽど適当に荷造りしない限り,一般道ではありえない。

走行中は余計なことは考えない。しかし,2車線ある国道(もちろん夜間だから空いている)の左を走っていて,右側の車線を走ってきた車に抜かれる時に,クラクションを鳴らされてからは少し考え方が変わった。一体彼らは「ナニ」を注意したのだろうかと。

深い意味は無いかもしれないし,頑張れ!という意味かもしれない。しかし,ある体験をしてしまってからは少し認識が改まってしまった。

それはロングツーリングからの帰りで,国道246で東京に入り,あと少しで自宅という所だった。時間は既に午前。深夜ながら246は交通量が多い。とある交差点で信号待ちをしていた時,私のすぐ背後で,

 カン!!

という大きな破裂音がした。すぐ私は振り返った。なんのためらいもなく。普通ならば,バイクの故障,特に音といい,場所といい,排気系のトラブルを予想するだろう。もしくは,後続車になんらかのトラブルが起きた,と。

話を少し先取りすれば,排気系を含めバイクのトラブルもなく,後続車もいなかったのだ。私は振り向いた瞬間,こう思った,といういうより感じた。

 アア,イナクナッタ。アリガトウ・・・・・・・・・・!?

いなくなった?何が?ありがとうって誰に?無意識にそう感じておきながら,私は自問した。ただ,何故か涙が出そうになった。パニックにはならなかった。むしろ自然な成り行きでそうなったと感じた。

信号が青に変わり,私は走り出した。無事に家に着くと,何事もなかったように眠った。非常に疲れていた。

あの時の感覚は今でもよくわからない。ただ,そう思ったことは間違ってはいないと感じる。以後,この出来事と先のパッシングが繋がるような気がしてならない。

そう,誰かが後ろに乗っている?そんな事を思う。

それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。しかし,今まで死にそうで死ななかった,事故になりそうで間一髪免れたこととかの頻度を鑑みて,私はいい方にとっている。

投稿者 daurade : 17:38 | コメント (0)

2004年11月08日

彼方からの手紙

 盟友Atから事件簿・伊豆編の投稿があった。以下At原文
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伊豆に行ったのは琵琶湖に行った翌年のGWだったと思う。泊りのツーリングは確か2回目でGWを利用してダート(林道)を走ろう!!!と話が持ち上がった。春先の山は5月でも寒いが、バイクに乗れる時期がきたので皆うずうずしていたのだろう。目的地は近場の伊豆で、雑誌で見て惚れた長九朗林道&それをつなぐ林道(萩ノ入林道、大鍋林道)である。

面子はIk(管理人)、SM、Atの琵琶湖組。我々のしょっぱなの泊りがけツーリングが琵琶湖だったため多少のきつさに耐えられる精神力はその時点でついていた。琵琶湖(伝説)みたいなツーリングは後にも先にもないのだが・・・

ツーリング当日、天気は曇りだったと思う。伊豆の天気は残念なことに雨であった。出発時点の記憶は定かではない。Ikが大学まで来たのか、それともR246あたりで合流したかはわからない。(まてよ246からちょい言った駅で待ち合わせしたっけ?コンビニで。それは白金?)

合流した俺たちは、R246から確か沼津にでてR136に入った。そして、出発から休憩をとっていなかったのでコンビニに寄ろうということになった。そこで事件は起こる。走行の順番はIk、At、SMの琵琶湖と同じだった。右手にコンビニが見えてきたので2番手の私は右ウインカーを出し、入ろうとした。その時点で先頭のIkはもうコンビニに入っていてもおかしくない。だが、Ikはよそ見していたのか急激に右折したかと思うと縁石に「バコォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」・・・・・・・はまった・・・・。俺とSMはコンビニの駐車場にはいり笑っていた。しかし、なかなかぬけないので手伝い、どうにか休憩をとったのである。

その時の会話。
At(俺):「・・・・・どうしたの?」
Ik:「え・・・信号が・・・」
SM:「・・・・・(ニコニコ)」
At:「信号???」
Ik:「信号が点滅してて見とれてた・・・。」
At&SM:「・・・・・・・・・・・・苦笑」
(確かに一直線の道路に信号が5,6個黄色点滅だったが・・・。)

まぁ、怪我もなく、セローも無事で旅は続く・・・・。

休憩後、修善寺手前でR136からR414にうつり伊豆を南下した。このあたりから小雨がちらつき始める。
ちょうど昼飯の時間になりかけていたので、お決まりの道の駅(天城越え)でお決まりのインスタントラーメンを駐車場の片隅で作り、食らった。バスの団体客に変な目で見られながら・・・・

その後、天城トンネルをくぐり、いよいよ林道へ!!!
まずは荻ノ入林道、フラットで走りやすい林道。雨のため滑りやすい露岩、石に最高レベルの注意を払う。例によってAt(俺)だけサンダルみたいな靴なので・・・
次に長九朗林道、結構ぼこぼこしていておもしろい!!!テンショングぐんぐん上昇!!!

難なく走り終え、寝床を探す。長九朗と大鍋の合流点のやや広い平坦地発見!!!
まだ、午後3時頃だったが早めにテントを張る。(我々もバカではない、ちゃんと琵琶湖で学習してるのだ)
テントを張り一息ついていると、遠くから排気音が・・・。えーーーBMWの軍団です。我々ぽかーーーん。
大型で来るとは・・・やるなとおもいつつ飯の支度。ご飯、味噌汁、サンマの缶詰を流しこむ。疲れたので早々就寝とおもいきや。遠くで野良犬らしき遠吠えが・・・だんだん近づいてくるではないですか!!!!と考えているうちに熟睡。

翌日、寝ぼけまなこに大鍋林道突破。なんともあっけない・・・。眠気ざましにR414で下田へ。天気は多少良くなる。しかし、のんびりしていられない。我々はこの日、大学の助手であったIzaさんと先輩であるBBさん、TktさんとBBQの約束をしていたのだ。待ち合わせ場所は、伊東駅前。
ひたすら、下田からR135を北上。途中の伊豆高原で寒さにより萎えるが無事伊東に到着。車組(助手&先輩陣)と合流した我々は、BBQの場所探し・・・。以外にてこずり、ようやくBBQにありつく。

飯後に温泉でも入ろうということになり、いざ修善寺へ!!
Ikが知っていた最近出来た総檜風呂へ!素晴らしく気持ち良かったのを覚えている。あの温泉は俺ん中で3本の指にはいる。

帰りはどこをどう帰ったか記憶がない。車組とどこで別れたのかも不明である。
我々3人が流れ解散したのだけは覚えている。
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とまあ以上ですが,後ほど意味つっこみを入れながら,再現していこうかと。

投稿者 daurade : 20:32 | コメント (0)

2004年09月28日

雨降りツーリング

雨降りの中の林道もなかなか乙なもんざんす(強がり)。まあなんとか帰ってこれました。

山中湖の紅富士の湯(だったかな??)お勧めです。多分天気が良ければ露天風呂の借景として富士山ドーンです。庭もちゃんと手入れされてる。村出資の会社が経営しているだけあってなかなか地元志向でいい感じだ。

At氏は帰り居眠り運転してました。。。家によって爆睡して帰っていったけど。今までに比べるとかなり常識的なツーリングであった。

地図

投稿者 daurade : 19:26 | コメント (0)

2004年09月27日

富士へ

明日てか今日,Atと富士山へ。林道探索です。先行研究ばっか読んでて,自分の論文全く手つかずですが行きます。

 http://catch-up.hp.infoseek.co.jp/flash/Disappointed_Love.html

このサイト見て思ったのは,去年の背中の鈍痛。まじでガンかと思ったけど,痛みが出るくらいだったら末期だし,1年たった今,とっくに死んでると思うから,その線はないなと。

去年のあれはセルフケアを全くしなかったツケだろうなあ。今思うに3年以上もよくあの生活で体がもったもんだ。

投稿者 daurade : 19:25 | コメント (0)

2004年05月28日

帰還

けつが痛いです。痔ではないです。バイクけつです。野球肩があるならバイクけつもあっていいはず。

とにかく昨日は久々のダートでした。んー,まあ復帰戦にしては上々の首尾だったかと。

投稿者 daurade : 18:30 | コメント (0)

2004年05月27日

房総半島ツーリング

今まで房総半島にツーリングに行ったことはなかった。それは,林道がほとんど舗装されてしまっているという事と,都心部の混雑がうっとうしいからである。なまじ近いだけに一泊しようとも思わず,今までほったらかしたままであった。んじゃなんで?って事だが,単に日帰りで行けるポイントはほぼ行ってしまったから。ちなみに私は高速や有料道路はほとんど使わない。というか使う気にならない。風の抵抗はつらいわ,めいっぱいとばしても後ろから煽られるわ,その上金も取られる。そんなんなら下道を使う方がましだからである。そういう訳でポイントは限られる訳である。

さて今回は明け方の4時に狛江を出発した。出掛けにAtにメールを送ったが,今までの経験上,十中八九寝坊してくるだろう。SMならばわかるはず(私も同類だと思っているかもしれないが。。。)。まあ早朝なのでどの道も空いてるのだが,いつものくせで多摩堤通り~目黒通り~国道1号のルートで都心部に出た。このルート信号も少なく,車線も多いので日中でも比較的早い。そしてレインボーブリッジから国道357号で船橋まで。曇りがちながら薄日が差し込む,まあツーリングのコンディションとしては上々な天気である。

船橋でAtと待ち合わせる。


 あ。いる。


そうAtさんお待ちかね状態だったのである。ちょっとびっくり。いやかなりびっくり。とりあえず合流して,一服。

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そして357~国道14号~国道16号。大型車は多いものの流れがいいので問題なし。途中,体とバイクに燃料補給。最近ツーリングの朝飯は納豆巻がマイブームである。むろん,セローは納豆巻は食わない。うまいのにね。
 
16号から国道297号へ。主要地方道13号を右折し,海上小学校を過ぎた最初の信号を左折。立野通りを直進。この通り,ゴルフ場が林立している。ゴルフ場の合間を走っていると思いきや,いつの間にか林道へ。幸か不幸か,先頭のAt隊長のヘルメットにゴルフボールが直撃するミラクルは起こらず。

なぜかわからんが,Atはしきりにカラスを気にする。靴を履き替えるために,小休止を取ったときにAtが「あのカラス俺たちを狙ってるよ!!」とカラスを指さす。


 カァ~~~

先を急ごう。林道米田線。簡易舗装が禿げたようなダート。しかも短距離。まあほんの小手試し程度か。丹原線。完全舗装。問題外。音信山線も完全舗装。ここらへん,眠気のピーク。その結果道に迷う。

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あれ以上進んだら涙のUターンだっただろう。だって分岐点,勘ですもの。地理科出身,しかも地図持参の我々。。。まあ,ちょっとロスしたものの,本線復帰。問題なし。万田野線。Atさん蛇を踏む。記録ワイルドピッチ。失点1です。なんかオーバーアクションでかわしたなあと思ったら,蛇が悶絶してました。さすがに蛇は轢いた事ないなあ。リスはあります。へこみます,まじで。養老線,坂畑線ときて国道465号に。林道ほとんど舗装済み。あー,でも記憶飛んでるからダートあるかも。。。しかし,景色だけ見るとすごい山深いって。

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ちょっとなめてた,房総半島。はい,ダートの話は置いといて。

国道出たのはいいものの,私も道間違えました。文字通り465号を右往左往しました。。。眠かったから仕方なし。でも併殺打クラスのミスである。ここらへんから天気が崩れ出す。。。雨降ってきました。テンション大暴落。Atが蛇を踏んだからだ。間違いない!この天気だと次のダートはグッチョンダート決定。伊豆以来の事態である。

465~国道297号を経て,佐野を過ぎた辺りで右折。杉戸林道へ。本日のメインである。メインでグッチョンである。雨は降ったり止んだり。。。杉戸線は全線ダート。これは楽しめました!フラットでアップダウンあり,ぬかるみあり,

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露岩あり。

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中級くらいだろうか。雨で濡れていたので露岩はかなり滑るものの無事クリア。ここを出るときは必ずゲートを閉めましょう。怒られます。そう看板に書いてあります。

林道を出て,国道128号へ。小湊で小休止。

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私的に興味をそそられる寺院(多分日蓮宗)があったものの,この靴で境内に入る気も起きず,かといって履き替えるのも面倒だったので行かず。

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少し休んで,鴨川で昼食。ガストで。Atとツーリングに行くと必ずガストになる。ちょうどタイミングのいいところにあるからだが。これはマイブームではない。もう飽きましたから。

昼食後海岸で昼寝。At爆睡。

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わかります?この子この靴で,この上履きみたいんで今日ここまで乗り切ってます。というか,今まで全部このタイプの靴で乗り切ってきてます。しかも隊長本日の雨具,上着のみで参戦です。ナチュラルドライバーです,彼。

その後主要地方道34号,国道410号へ。途中410号の旧道へ入り,林道へ再度挑戦。

ダートと舗装路の2択で舗装路を選択。雨降ってたし,もういっぱいいっぱいでした。。。無理はしません。大人ですから。ちなみにこの旧道,トンネルがあるのだが,通行止め。ガードレールでバリケードしてあるうえに,トンネル全面に鉄板で封印してある。珍しいと思い,カメラを向け,シャッターを押そうとした瞬間,雨が本降りに。あわててカメラをしまう。本日はこの手の偶然を支持します。そういう直感が働いたから。Atは崩落するからだろうと言っていたが,目がマジだった。まあ,多分そっちの方向だろうね。こういう旧道をアタックしてるとこの手のものは多々ある。

林道高山線,渕ヶ沢奥米線を経て国道へ。465~国道410号を北上。主要地方道24号で市原へ。途中カッパを落とすも回収。危うく一昨年と同じ轍を踏むところであった。今回は速度取り締まりを2ヶ所でやっていた。千葉県警の牽制球でアウトになるわけにはいかぬ。国道16号を経て,途中Atと路上流れ解散し帰宅。18時過ぎであった。

今回の走行距離は約300km,所要時間は約14時間であった。Atお疲れさんでした。さすが千葉県民(特に意味無し)。

投稿者 daurade : 23:22 | コメント (0)

2004年05月26日

旅立ち

管理人は明日(27日)の未明に狛江を発ち,千葉の林道探索に行って来ます。Atと私のみですが。。。

まあ,私も約一年ぶりにバイク本格復帰の気配なので,まずは今まで懸案だった千葉を視察してきます。

投稿者 daurade : 18:29 | コメント (5)